論文紹介:松本英治「別段風説書の取り扱いと翻訳作業-長崎訳の場合-」(『青山史学』第41号(2023)、129-142頁)/「別段風説書の取り扱いと翻訳作業-江戸訳の場合-」(『洋学研究誌 一滴』第30号(2023)、1-23頁)
山崎信一

 ほぼ同時期に発表されたこの二つの論考は、江戸時代末期にオランダ商館から幕府に提出された別段風説書が、長崎で受領後にどういった経緯で翻訳や江戸への送付がなされ、また江戸でどのように翻訳がなされたのかを分析したものである。著者の松本英治氏は、開成中学・高校で教鞭を取る一方、この問題の研究に従事している。別段風説書とは、江戸時代を通して、オランダ商館長からの聞き取りをもとに作成された通常の風説書とは別の、より詳細な内容を伴ったものであり、アヘン戦争以降、バタヴィアで作成されオランダ語原文の形で長崎にもたらされたものということである。この別段風説書は、オランダ語原文から長崎で翻訳の上、江戸に送付され、さらに時期に応じて江戸でも翻訳作業が行われており、その経緯が両論考で明らかにされている。なお松本氏は、両論考に先立って、「書評 風説書研究会編『オランダ別段風説書集成』」(『青山史学』第39号(2021)、41-50頁)を発表している。これは、2019年に刊行された『オランダ別段風説書集成』の書評であるが、別段風説書に関わる問題が扱われており、いわば本年の二論考の問題整理の部分としても読むことが可能である。無論、個々の論考は独立してもいるが、この書評を加えて三つの論考に目を通すことで、このテーマに関する理解は格段に進むと思われる。

 『青山史学』は、青山学院大学文学部史学科の紀要としてよく知られているが、『洋学研究誌 一滴』は、あまり知名度は高くないかもしれない。これは、岡山県津山市にある津山洋学資料館が発行する研究誌であり、1992年から年一冊のペースで刊行が続いている。江戸期の津山藩は、宇田川家、箕作家から著名な洋学者を輩出しており、津山に洋学資料館が設けられたのもそうした経緯によっている。津山洋学資料館は博物館として機能する一方で、洋学研究の場ともなっている。

 両論考は、入手可能な史料の情報にあたって、オランダ商館に別段風説書が到着してからの長崎訳の作成過程、さらに江戸に送られたのちの江戸訳の作成過程を可能な限り再構成し、併せて、各年それぞれにおける作成の相違も簡潔にまとめている。松本氏が明らかにしているところによれば、別段風説書はまず長崎奉行のもとに長崎の阿蘭陀通詞により翻訳され、原文とともに完成した翻訳が江戸に送付された。その後、江戸で改めて天文方の蛮書和解御用野本で翻訳が進められ、さらに長崎訳との校合も行われた。また、江戸訳は必ずしも毎年作成されたわけではないと言う。また、別段風説書に記された情報の扱いの変化にも言及されている。そもそも阿蘭陀通詞による情報操作への警戒が江戸訳作成の動機となっていたようであり、また機密保持から徐々に関係諸藩への限定的な情報公開へといった変化も明らかにされている。

 評者の専門は西洋史研究であるが、外国語文献の翻訳、さらには外国(史)研究を志す者から見れば、別段風説書の翻訳にあたった人々は、ある意味で先駆者であったということになるだろう。幕末から明治期の各種の翻訳、さらには翻訳書を元にした文献においては、諸概念の日本語訳が設けられて定着してゆくが、その原点の一つが、別段風説書の翻訳作業であったのかもしれないと思わされ、またそうした時間をかけた蓄積が外国(史)研究を可能にしたとも思える。また、垣間見える固有名詞の同定などの地道な作業のあり方に想像を膨らませると、この時代の翻訳者たちには時には共感も覚え、また、公務として非常に大きな責任を負いながら、草稿が没収されるような困難な形で作業にあたったことへの苦労も偲ばれる。評者も翻訳に関わることが少なくないが、本論考によって、オランダ語原文からの翻訳そのものがどのような過程で進行したのかへの興味も否応なく掻き立てられた。今後も、研究の進展により、さらに多くの点が明らかになってゆくだろう。

 なお、『青山史学』に掲載の論文は、こちらから読むことが可能である。また、『洋学研究誌 一滴』は、津山洋学資料館(こちら)より入手可能となっている。

(「世界史の眼」No.44)

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