1945年に第二次世界大戦の殺戮が終わった時、世界中に安堵感が広がった。そしてすぐ後に、平和を維持するために、国際連合が結成された。その二つの主要機関は、50か国全員が加わる総会と、15か国から成る安全保障理事会であった。15か国のうち、合衆国、イギリス、フランス、ソ連、国民党中国の5か国が常任理事国であった。5か国は、拒否権が与えられないのなら国連を組織することを拒否した。その拒否権というのは、望むなら安保理のいかなる動議をも拒否するというものであった。結果的に、この要求こそ、これまで75年にわたって由々しき要求であったのである。
国連は、発足して以来新たに140か国のメンバーを受け容れた。そのほとんどはかつて帝国に支配されていた国である。国連総会は1947年に、イギリスの委任統治領(第一次世界大戦後につくられた制度)に導入された原則に従って、パレスチナの分割を提案した。パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分割しようというものである。イスラエルは1948年に国連の参加国となったが、パレスチナの参加は何度も延期された。かくて、パレスチナとイスラエルの紛争は、他の長期の紛争と同じものになった。つまり、アルジェリアとフランス、ベトナムとフランス、ケニアとイギリス、アンゴラ(およびモザンビーク)とポルトガル、ナミビアと南アの間の紛争と同じになった。そして、イギリスとフランスは次第にイスラエル側につき、パレスチナ国家を認める決議には拒否権を行使してきた。
1.世界の世論
テレビとデジタル・コミュニケーションのおかげで、世界の世論は社会変化を求めて大規模なデモによって自己を表現してきた。これらの大デモは大体は忘れ去られているかもしれない。しかし、それらは多文化主義の考えを打ち立てるのに重要な役割を演じた。この多文化主義の中で、それまでは孤立していたグループが、ジェンダーの平等やエスニックな平等や宗教的平等にと向かったのである。それらはまた帝国や植民地を終わらせることにも役立った。
以下の例は、ひとびとがネイションや政治的意見の相違を超えて、いかに一緒になって、人間の諸価値について意見を表明してきたかを示している。
1989-1992年
1989年2月に南アでネルソン・マンデラが牢獄から解放された。かれは、変化求めて、アフリカ中をまわり、それからヨーロッパとアメリカ合衆国へ行って、帰国した。そして彼は1994年に南アの大統領になった(注意しておくと、アメリカ合衆国は、1986-89年の間に、パレスチナ、ナミビア、南アの国家を承認する決議に拒否権を発動していた)。この間、1989年4月には中国で天安門デモが起きたが、その年の6月4日にはデモは中国政府と軍隊によって潰された。しかし、世界的なデモはよみがえって、中国での民主的改革や南アの政変を支援しただけでなく、東欧の体制転換やフランス語圏アフリカの諸国会議やソ連に代わってできた新しい国々をも支援したのであった。
わたしは大西洋を回るツアーで、これらの民主化デモのいくつかを見る事が出来た。1991年の3か月間に、アメリカ合衆国、アフリカ、ヨーロッパの中の三か国を訪問して、社会運動への参加者にインタヴューをした。このツアーの後、1991年にソ連が崩壊した。しかし、アメリカ合衆国と他の常任理事国は、他の大国を受け容れて安保理のメンバーを拡大する改革を行うことを拒否した。
わたしは民主主義の表現としてのデモを見た。つまり、人々が学校に行けることや、自分の望む分野で働くことや、その他の事を、政府が規制することへの大衆の反発としてのデモである。わたしはこのことについて、プラハでの労働組合の活動家であるわたしの父と議論をした。かれはそういう変化は、大きなグローバル権力とグローバル企業を持ち込むことになり、もっと経済統制をもたらすだろうと言った。たしかにかれは正しかった。1990年代にG7が世界貿易機関(WTO)を作り、自由貿易をすべての主要経済にたいして公的に拡大した。しかし、わたしもまた正しかった。ヨーロッパやアフリカのいくつかの国では政府はより民主的になり、国民は自分の考えるところを話し、大衆デモを行える経験を勝ち得たのである。
2003-2005年
この時期、アメリカ合衆国は再び世界のことを指図しようとした。2001年から、アメリカ合衆国はイラクが「大量破壊兵器」WMDつまり核兵器を持っていると主張した。(アメリカ合衆国は国連安保理にイラク侵攻に同意し支援するように圧力をかけて、安保理は決して同意はしなかったとはいえ、アメリカ合衆国の計画に反対はしなかった)。2003年2月15日には6か国において、アメリカ合衆国のイラク侵略計画に反対する数百万のデモが広がった。抗議の広がりは、当初主なメディアが伝えていた以上に大きかった。主要メディアはロンドンとシドニーにのみ焦点を当てていたのだ。アメリカ合衆国は、大衆の意見にも拘わらず、突き進んで、3月20日にイラクに侵入した。戦争が続くにつれデモは下火になったが、戦後のアブグレイブ刑務所での捕虜虐待問題が明るみに出ると、ふたたび拡大した。イラクで多数の犠牲者を出したにも拘わらず、「大量破壊兵器」はまったく発見されなかった。
2011-2022年
この10年の間に、世界の世論は、いくつかの重要な出来事に対する市民の反応として現れた。例えば、アラブの春である。これはチュニジア、エジプト、シリアその他アラブ諸国における国民的な蜂起で、民主主義を求めるものであった。このアラブの春は、世界中からの支持を集めたのだった。また、2020年5月25日にアフリカ系アメリカ合衆国人のジョージ・フロイドが警察によって殺された事件の後、抗議が全米に、そして世界中に広がった。そしてついには国連人権委員会の世界会議を開催させるまでになった。最後に、2014年には、ロシアがウクライナからクリミアを獲得したことへの非難が世界的な抗議となり、8年後にロシアがウクライナを全面的に侵略するといっそう抗議は広がった。
2023-2024年
最近の歴史における最大の、そして最も一致したデモは、2023年10月7日にハマースがイスラエルを突如攻撃したあとに始まるガザ戦争への反対のデモである。「武力衝突―場所と事件 データ・プロジェクト」の研究によると、2023年10月7日から2023年11月24日までに、世界中で、親パレスチナの抗議デモが7000件以上あり、親イスラエルの抗議が850近くあった。下は、親パレスチナの抗議デモの分布である。
Data and image by The Armed Conflict Location & Event Data Project
世界中の人々は、パレスチナ国家の正当性を尊重することを表明した。それは国連参加193か国のうちの140か国の旧植民地の独立にあたるのだとみなした。それは、独立と国民尊重と諸国間の平和への、世界的な呼びかけなのである。
世界的なデモの高まり具合は、個々の出来事に応じて高くなったり下がったりするであろうが、パレスチナの独立を支持する声は、それが達成されるまで粘り強く続くであろう。
2.世界の新しい動き:国連と来るべき改革
安保理の5つの常任理事国(特にアメリカ合衆国)に世界の諸問題への過度な影響力を与えさせてきた拒否権が終わりになる可能性は大いにあり得ることである。フランスは2016年以来、拒否権をなくすことに賛成してきている。メキシコもそうである。中国とロシアは、ある地域では拒否権の恩恵を受けているが、他の地域では、拒否権のない方が益することが多いかもしれない。
実際のところ、国連加盟国の圧倒的多数は、5大国の拒否権を終わらせ、安保理にいくつかの常任国枠を設け、大陸ごとに中心国をそこに任命するという考えを支持している。これは国連憲章を少し修正することを必要とするが、国連総会が力を発揮してそういう変更をすればいいだけのことである。
アメリカ合衆国とイギリスだけが依然として拒否権を守ろうとしている。昨年アメリカ合衆国はガザ戦争を終わらせようという国連決議に3回も拒否権を行使した。ついで、2024年3月にはパレスチナの国連加盟に拒否権を行使した。こういう立場は、パレスチナを外交的に承認しようという大勢に真っ向から対立するものである。パレスチナを承認した国はすべての国の80%にも達しているのである。ごく最近では、ヨーロッパでもアイルランド、スペイン、ルクセンブルク、アイスランド、スウエーデン、スロヴァキアがパレスチナを承認するようになった。
戦争がほぼ一年も続いても、アメリカ合衆国政府(両政党も含めて)はイスラエルのガザ戦争に武器を与え支援し続けている。際限のない「交渉」によって、「ジェノサイド」が起きていることを認めず、停戦に向けて真剣な圧力をかけることもしていない。イスラエルは後退する気配も見せていない。イスラエルの首相ベンジャミン・ネタニアフがアメリカ合衆国を訪問した後、直ちにパレスチナとレバノンの指導者が暗殺された。さらに、ガザの病院や学校への攻撃が繰り返され、食糧や水が断たれていることは、イスラエルの戦争継続の決意をただもう再確認させられるだけである。
指摘しておかねばならないのだが、現在のガザ戦争――イスラエルによって実行されているが、アメリカ合衆国の拒否権によって守られ、アメリカ合衆国の武器を供給されている――は、すでに世界裁判所において審査されているという事である。これは南アが国際司法裁判所に提出して、広い支持を集めている訴えに基礎をおいている。
私の考えでは、世界の市民(そしてとくにアメリカ合衆国の市民)は、多数が支配し、大多数の意見を踏みにじる大国の拒否権をなくした国連という考え方に慣れるべきだと思う。そして拒否権のない世界においては、アメリカ合衆国は重要な国ではあるが、もはや世界の多数の意見を無視して国連に自国政府の意思を押し付けることはなくなるであろう。拒否権のない国連においては、決定は、大小を問わず、国々の連携関係によって行われるであろう。
2024年9月22-23日にニューヨークで開催予定の「国連未来サミット」では、国連改革の問題がヤマ場に来るかもしれない。事務総長であるポルトガルのアントニオ・グテーレスは、このサミットの組織者として、安保理改革を強く支持している。もしこの改革がうまくいけば、どういう国々が世界のリーダーとして登場してくるのだろう。(これまでいくつかの国の熟練した外交官が重要なイニシアティヴを発揮してきたが、拒否権によって無視されてきた。)アメリカ合衆国は、もはや単にヨーロッパだけでなく、世界中の国と連携を打ち立てなければならなくなるのではないだろうか。そして、究極的には、アメリカ合衆国は、拒否権で支配するよりも、いくつかの点では敗北を受け入れなければならなくなるのではなかろうか。
(Contending Voices Global Opinions and United Nations Reform by Patrick Manning Sep. 4 2024)
訳者注)9月に開かれた「国連未来サミット」では、マニングの期待していたような国連改革の動きは起きなかった。しかし、南塚とのメールのやりとりで、フィンランド大統領アレクサンデル・ストゥブが総会で、安保理改革に言及したことは、注目されると、マニングは言っている。
(「世界史の眼」No.58)