書評:秋田茂編著『石油危機と国際秩序の変容―「東アジアの奇跡」の起点』(ミネルヴァ書房、2025年)
木畑洋一

 本書は、1970年代を対象として、二度の石油危機に揺れた世界における国際秩序の変化の様相に取り組んだ国際的な共同研究の成果である。編者秋田茂は、これまでも精力的に、時代を輪切りにしてその世界史的相貌に迫るという研究を組織してきており、これはそうした試みの一環である。この日本語版に先立って、英語版が2024年に出版されているが(Oil Crises of the 1970s and the Transformation of International Order: Economy, Development, and Aid in Asia and Africa , Bloomsbury, 2024)、そちらではサブタイトルが「アジア、アフリカにおける経済、発展、援助」とされおり、本書のサブタイトルとは異なっている。両者を合わせて、「アジア、アフリカにおける経済、発展、援助の様相に「東アジアの奇跡」の起点を探る」とでもしてみれば、本書のねらいははっきりしてくるであろう。

 そのねらいは、秋田による序章で詳論されている。その柱は次のようになろう。従来、石油危機によるインパクトは先進工業国について論じられることが多かったが、本書ではアジア・アフリカの非ヨーロッパ諸国へのインパクトが重視される。非ヨーロッパ諸国の経済開発、発展の様相、さらにそれに関わった援助の問題を検討することによって、冷戦と脱植民地化という二つの視角から議論されてきた国際秩序論に今一つの視角を加えることが目指される。それによって、「東アジアの奇跡」(世界銀行が1993年に用いた表現)という状況が生まれてくる過程の起点も確認されることになるのである。以下、各章の内容を簡単に紹介しつつ、若干のコメントを加えていきたい。

 本論は、三つの章から成る第Ⅰ部「石油外交と冷戦」で始まる。

 第1章「石油危機とグローバル冷戦」は、このテーマに関する研究者として世界の第一人者であるといってよいデーヴィッド・ペインターの筆になり、62頁と最長の章である。著者は、これまでの冷戦研究が石油問題を十分に位置づけているとはいえず、他方石油危機に関する歴史研究も冷戦状況を看過している、という問題意識のもとで本章を執筆しており、第一次石油危機から第二次石油危機の後に及ぶまでの期間を対象に、国際政治経済の動態を、石油問題を軸とし、米国の姿勢を中心として描いている。さらに、本書の後の部分での主役となるオイルマネーの問題も丁寧に論じられており、いわば序章に次ぐ第二の総論としての性格をもっている。ただ冷戦との関わりで石油をめぐるソ連の政策についてもかなりの言及がなされているものの、米国についての分析と比べると物足りないという感が残る。また、第一次石油危機を扱った部分においては、国家と企業の関係に踏み込んだ立体的な議論がなされているのに対し、第二次石油危機に関わる部分では国家の政策に視線が集中して議論がやや平板になっているという感を抱いた。

 第2章「第三世界プロジェクト盛衰の支柱としての石油危機」の筆者デーン・ケネディは、米国におけるイギリス帝国史研究の第一人者であり、最近では、脱植民地に関する著書が、『脱植民地国家―帝国・暴力・国民国家の世界史』(白水社、2023年)として邦訳されている。筆者は、脱植民地化の進展の様相を描いた後、それによって生まれた国々を主力とする国家群が「第三世界プロジェクト」と呼びうる国際体制改革に向けての動きを起こしたことの重要性を指摘する。そうした動きを背景として、第一次石油危機が生じるとともに、1974年に国連での「新国際経済秩序樹立宣言」の採択が実現したのである。しかし、国際経済秩序の改変が進まぬまま、石油価格の高騰で苦境に陥った非産油国は、イラン革命によるイラン石油産業の混乱を起点とする第二次石油危機でさらに衝撃を受けることとなり、「第三世界プロジェクト」はついえてしまった。このように、脱植民地化過程のなかから生まれた「第三世界プロジェクト」に焦点をあてて70年代の時代像に迫ろうとする本章の議論に、筆者は大いに共感を抱くものである。ただ、国際経済秩序の提起に対抗する先進国側の動きが今少し書きこまれていれば、「第三世界プロジェクト」盛衰の動態がより明確になったのではないだろうか。

 第3章は、わが国における米外交史研究の泰斗で、秋田と長く共同研究をつづけてきた菅英輝の筆になる「東南アジア開発におけるアジア開発銀行の役割―冷戦と石油危機の文脈」である。ここでは、1966年に設立されたアジア開発銀行(ADB)が、第一次石油危機とほぼ軌を一にする形で、アジア開発基金(ADF)を設置した経緯が述べられた後、ADFの増資をめぐるドナー加盟国間のかけひきが、米国の姿勢を中心に据えながら描写される。ADBにおいて影響力をもった日本が、ADBの意向と「日米協力」のもとでの米国の意向との間で微妙な立場に立たされた状況の分析も興味深い。米国の動きが詳論されることで、ADBの活動を冷戦の文脈で考察するというねらいは達成されている。

 以上の三つの章を承けて第Ⅱ部「国際金融秩序と開発金融の変容」の二つの章が配置される。

 第4章は、やはり秋田と息のあった共同研究を行ってきた山口育人による「石油危機と「民営化された国際開発金融」」と題する章である。タイトルの「民営化された国際開発金融」という表現は、田所昌幸が用いた「民営化された国際通貨システム」という言葉を意識したものであり、そこで大きな役割を演ずるのは、第一次石油危機によって生み出された膨大なオイルマネーである。このオイルマネーが主として流入していった先が、西側先進国の民間金融市場であり、そうした民間資金が、60年代末に停滞をみせはじめていた先進国のODAに代わって、途上国に対する開発金融で大きな役割を担っていくことになったのである。そのような状況が進むなかで、民間金融市場に対応できる途上国とそれができない途上国との間の違いが広がっていった。さらに山口は、ともにその前者の途上国であった韓国とブラジルが、第二次石油危機に際して、工業化戦略の違いからさらに分化していく様相をも扱う。それにより、ケネディが指摘した「第三世界プロジェクト」衰微の要因に迫っているのである。

 第5章「1970年代の大循環―ユーロダラー、オイルマネー、融資ブーム、債務危機、1973-82年」は、国際経済史の専門家として日本の問題にも通暁したマーク・メツラーが執筆している。山口が強調していたオイルマネーの国際的な動きの具体像はこの章で描かれており、「オフショア・米ドル・システム」の問題として詳述されている。それを軸としてこの章で提示される1970年代像はかなり包括的であり、序章、第1章とならんで、本書の全体像をつかむ上で重要な章となっている。最後の部分で、クリスチャン・ズーターなどの研究を引きつつ、長期的な資本主義の歴史のなかに1970年代の変化を位置づける試みを行っていることも、重要である。ただ、第一次産品産出国が置かれた位置については、しばしば言及されるものの、突っ込んだ議論はなされていない。たとえば、ささいな表現の問題であるかもしれないが、「オフショア・米ドル・システム」による「信用拡大は、新植民地主義によるある種の「トロイの木馬」として理解されるようになった」と述べつつ、それ以上の議論がなされていない、といった点に食い足りなさが残るのである。

 これに次ぐ最後の三つの章が、第Ⅲ部「冷戦、開発と経済援助」を構成する。三つの章は、それぞれ特定の国家を対象としている点で、第Ⅱ部までとは異なる様相を呈している。

 まず検討されるのが、中国であり、新進気鋭の研究者南和志による第6章「世界エネルギー危機と中国石油外交」である。本章の分析対象は石油政策に絞られており、60年代に産油国としての相貌を明らかにしていた中国が、石油生産量増加を図るために、技術輸入や海底油田開発に力を入れつつ、その過程で資本主義圏、とりわけ米国との結びつきを進めていった様相が描かれる。中国の石油政策がある意味場当たり的であったからこそ、金融危機で改革開放路線が終焉に追い込まれることもなく、他方で世界経済から孤立してしまうこともなかった、という結論部分での議論は、一見意表をつくものであるが、同時に説得的でもある。

 本書の編者秋田が、次の第7章「インドの「緑の革命」・世界銀行と石油危機―化学肥料問題を中心に」を担当している。この章の対象はインドの農業問題であり、60年代末にはじまった「緑の革命」のもとでの農業振興の重要な条件となった化学肥料の集中的な大量使用を実現するために、インド政府がとった政策が分析されている。化学肥料のための最大の資金源はインド政府自体であったが、国際金融機関としては世界銀行がきわめて大きな役割を演じ、また第二次石油危機後の国際収支危機をめぐってはIMFからの金融支援が重要な意味をもった。この問題の検討を通じて、秋田は、インドにおける「緑の革命」の意義の再評価という年来の主張を改めて展開する。それは確かに首肯できるものであるが、インド経済のパフォーマンスについての政府自身による評価には、今少し批判的な検討を加えることが必要ではないであろうか。

 最終章となる第8章は、イギリスでのアフリカ経済史研究を代表する研究者の一人、ギャレス・オースティンによる「商品価格高騰に直面したガーナとケニヤ―ナショナルとグローバルの交錯」と題する章である。オースティンは、ともにイギリスの植民地としての位置から独立したガーナとケニヤの70年代における経済状況を比較し、比較的安定した経済活動を示したケニヤと、大幅なインフレに見舞われたガーナの違いを生み出した背景を、為替レートの問題をはじめとして、多様な要因にわたって検討している。政治指導層内部における農業利害関係者の有無が問題になるという点の指摘など、興味深い論点も多いが、結局のところは、「石油価格の衝撃自体よりも、ナショナルな対応の方がより重要であった」という一文で結ばれていることに示されるように、両国内での政策選択が最大の問題であるという結論となっており、章のサブタイトルの「ナショナルとグローバルの交錯」という視角が後景に退いているという感は否めない。

 以上、本書の内容を評者なりに要約し、簡単なコメントを加えてきた。全体としてみた場合、二度の石油危機が非ヨーロッパ諸国にもたらしたインパクトに重点を置いて、1970年代における国際秩序の変容に新たな光をあてようとする本書のねらいは、かなり達成されていると思われる。石油危機で生み出されたオイルマネーの動きが浮き彫りにされている点など、この課題に迫る上で大きな効果をもっていると感じた。ただ、「東アジアの奇跡」の起点を探るという点に絞ってみると、確かにかなりの示唆はえられるものの、「奇跡」の主体となった国・地域の様相について、本書の枠組みのなかでの分析が今少し欲しかったという感はぬぐえない。その点で、英語版には収録されている佐藤滋によるマレーシアとシンガポールを扱った章が、本書には掲載されていないのが残念である。

 本書の各章は、それぞれ独立した内容をもつものであるが、章同士の連関を各筆者がよく意識しつつ執筆しているということが随所で感じられることも、本書の大きなメリットであるといってよい。共同研究の組織者であり本書の編者である秋田の労を多とするものである。

(「世界史の眼」No.61)

カテゴリー: コラム・論文 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です