論文紹介:茨木智志「歴史的展開から見た日本の世界史教育の特徴」
山崎信一

 茨木智志氏による論文「歴史的展開から見た日本の世界史教育の特徴」(『歴史教育研究』17号(2019年)、1-17頁)は、近現代、すなわち明治以降の近代的学校制度の確立期から現在までの、日本における世界史教育の歴史を扱っている。この論文は、英語に訳され、Minamizuka Shingo (ed.), World History Teaching in Asia: A Comparative Survey (Birkshire, 2019)という論集に所収されている。1 この論集は、アジア諸国の世界史教育を比較・検討したものであり、この論文は、世界史教育の国際比較を考える上でも大きな意義を持っている。

 この論文では、日本近現代の世界史教育を大きく二つの時期、すなわち第二次世界大戦前の「教育勅語」を指針とする教育の行われた時期と戦後の「教育基本法」に基づく教育の行われた時期に分け、さらにそのそれぞれに三つずつの時期区分を行い、合わせて6つの時期に分けて分析を行なっている。以下にその要点をまとめてみる。

 最初の時期は、近代学校教育の開始(1872年の「学制」発布)から、1898年頃までの時期とされている。この時期における外国史教育は、主に欧米言語から翻訳された教科書やそれをもとに日本人の手によって作られた教科書がもとになっており多様であったが、しだいに古代オリエントから19世紀欧米の発展にいたる「西洋史」教科書に収斂されてゆく。第二の時期は、1898年頃から1930年代まで、「東洋史」が提唱された結果、日本史・東洋史・西洋史に三分された歴史教育が展開した時期である。この時期には、制度として取り入れられるには至らなかったが、東洋史と西洋史を融合した世界史が提唱された。第三の時期は、1930年代から1945年の敗戦までの時期で、教育の戦時体制化の中、外国史は「国史」や「大東亜建設」に従属し資するためのものと位置づけられた。

 第二次世界大戦後、日本の教育制度は根底から変化した。その最初の時期は、1945年の敗戦から1955年頃にかけての時期で、教科としての社会科の成立と、科目として東洋史と西洋史に代わって世界史(1949年より実施)が導入された時期であり、世界史教育が開始されるという転機となった時期である。世界史の導入は突然のものであり、また東洋史や西洋史のような学問的背景があるわけでもなかったことから、社会科教育の一環として、単元学習や生徒の自主的な学習を重視した世界史教育のあり方がさまざまに模索された時期でもあった。戦後の第二の時期は、1955年頃から1989年頃までであり、世界史は生徒の学習を促すものから、暗記すべき事項の羅列の色彩を強めた。また、学習指導要領が文部省告示として規定力を強めた。途中1978年の学習指導要領では、ヨーロッパ中心史観の克服も意図されたが限界もあった。またこの時期に、世界史教育者の中から、定型化する世界史にあらがい、世界史とは何かを問う実践が模索された点も重要である。戦後の第三の時期は、1990年代以後の時期となる。1989年の学習指導要領改訂により、高等学校の社会科が解体され、地理歴史科の必修科目として世界史が位置づけられた。

 この論文には、多くの興味深い点がある。まず、外国史教育と世界史教育は同じものではないという点、そして「世界史」という枠組みが、第二次世界大戦後の歴史教育の中である種唐突に始まった点、そしてそれ故に、多くの教育者がそのあり方を試行錯誤しながら模索してきた点である。学問分野としては、戦後においても戦前以来の日本史・東洋史・西洋史の三分が一般的であり、世界史をまず形作ろうとしたのは歴史教育に携わる人々であり、その成果の上に現在着実に広がりつつある世界史研究も位置するのだろう。また、外国史教育・世界史教育が、戦前から現在まで、多くの政治的介入にさらされてきたという点にも気づかされる。それは、自由民権運動抑圧のための小学校からの外国史学習の削除から始まり、1930年代に頂点に達した。そして戦後においても、教科書検定強化や高校社会科の解体などの形で継続してみられている。

 著者は、論文中で「自国史教育と世界史教育は一種の緊張関係にある」と述べている。戦前の外国史教育が自国史教育に従属したものとなっていったことへの反省が、戦後の世界史教育のひとつの出発点であり、いずれの社会においても、自国史教育を行わないという選択肢がない以上、世界史が自国史を相対化する視点を提供し続けることは、今後においても重要であろうと思われる。図らずも、最新の学習指導要領改訂においては、高等学校の世界史が必修でなくなり、代わって日本史と世界史をいわば融合した新科目「歴史総合」が必修科目として位置付けられた。また、学習指導要領において歴史総合の目標として「我が国の歴史に対する愛情」を深めるとあげられたことは議論と批判を呼んだ。日本の近現代には、言うまでもなく大きな「負の歴史」が存在している。そして、それを「負の歴史」として理解する上でも、自国史に従属しない世界史の提供する視点が重要なはずである。

1 World History Teaching in Asiaは、2010年に始まった共同作業の成果である。当時アジア世界史学会の会長をしていた南塚が、アジア各国の研究者に呼び掛けて、賛同してくれた人たちで、開始した。参加してくれたのは、日本から茨城智志(上越教育大学)、吉峰茂樹(北海道有朋高校)、韓国からはSunjoo Kang (Gyeongin National University of Education)、中国はZhang Weiwei(Nankai University)とYang Biao(East China Normal University)、ベトナムはTa Thi Thuy(Institute of History)、シンガポールはSim Yong Huei とChelva Rajah (National Institute of Education)、フィリピンのFrancis Alvarez Gealogo(Ateneo de Manila University)、インドネシアのAgus Suwignyo(Gadjah Mada University)、Satyanarayana Adapa(Osmania University)の皆さんであった。途中で、東京において一回、フィリピンのセブで一回の研究会をおこない、アジア世界史学会のシンガポール大会で中間報告を行ったりして、2017年に原稿を集め、その後、Patrick Manning(ピッツバーグ大学)教授のもとでネイテイヴ・チェックをしてもらって、原稿を完成した。2018年に入稿し、校正段階で、Manning教授らの助言をもらった。また、この間、世界史研究所は、原稿の収集、整理、校閲などで粘り強い作業を続けた。本書は以上のみなさんの協力・助力の産物である。(南塚信吾)

(「世界史の眼」No.3)

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