世界史とはいかなる試みでありうるのか。世界史を描くためにはどのような問題の設定の仕方が要求され、それをいかなる文体と構成のもとに表現すればよいのか。『世界哲学史』と題された思想史家たちの挑戦を前にするとき、歴史家が心に抱くことになるのはおおよそこのような問いであるにちがいない。19世紀を対象としたその第7巻の批評を書くにあたって、各章の多岐にわたる内容に分け入っていくのではなく、世界史という問いそのものをまず念頭に置くのは、私自身も歴史家の一人としてこの問いを抱き続けてきたからにほかならない。すなわち本評は、西洋中心的な哲学史から脱し、新たな世界哲学史を描かんとする者たちへの、歴史学者という立場からする遠くからの応答である。
世界史というものを、たんなる情報の併記ではないかたちで構成しようとするのならば、おおよそ僕らは二つの視点に頼ることになる。異なる地域のあいで人物から人物、社会から社会へと伝わっていった事物や観念に注目する〈伝搬〉の視点と、異なる地域において直接的な因果関係は認められないもののどこか類似した文化形態や共通した社会関係に注目する〈構造〉の視点である。本書のなかでしばしば使用されている「共鳴」や「重なり合い」といった語彙は、この両方の視点をゆるく押さえようとするものだと言える。これらの語彙こそが本書を「世界哲学史」というかたちへと構成する仕方を示しているのであって、その試みが西洋中心的な視点から哲学史を解放できているのかという問題への解答もやはりこれらの語彙に関係することとなる。
さて、「自由と歴史的発展」なる副題の付けられた第7巻では、「共鳴」や「重なり合い」といった語彙の具体的内容は、伊藤邦武氏による第1章においてあらかじめ示されている。本巻の編集者でもある伊藤氏は、自らの目標のために積極的に意志を発揮する「自発性の自由」、およびさまざまな目標のなかから無差別にいずれかを選び出す「無差別な選択の自由」という、デカルトにおける二種の自由の捉え方を持ち出す。そしてそれらの自由は、19世紀においてはそれぞれ歴史のなかに求められることとなったという。すなわち、ヘーゲルが典型である歴史的発展の哲学(第2章)と、時間的推移のなかでの偶然の積み重ねをみるダーウィンに顕著な哲学(第5章)である。アメリカ独立革命およびフランス革命に続く19世紀という時代は、まさにこの「自由と歴史的発展」の絡まり合いのなかにおのれの哲学を見出したというわけである。幕末・明治における日本の「文明開化」という観念もその一種として位置づけられることとなる(第10章)。
しかし、それだけであれば西洋中心的な哲学史を脱したとは言い難い。日本の事例がそうであるように、そのような自由の観念は西洋からの輸入、少なくともその影響のなかで形成されていったことは周知の事実である。そこで本書は第三の自由を持ち出す。すなわち、自らの性質を自分の力で変更し、新たな自己へといたることを可能にする自由、「習慣形成」としての自由である。本書は、この自由にこそ新たな哲学史を描くための「共鳴」を見出そうというのだ。要するに、この「習慣形成」という契機こそがアメリカのプラグマティズム(第7章)だけではなく、フランスのスピリチュアリスム(第8章)、インドのベンガル・ルネッサンス運動(第9章)、あるいは日本の福沢諭吉らにおける「修身」概念にも見出されるというわけである。
本書を世界史として構成する核がこのような自由の「共鳴」であるとするならば、それが西洋中心的な哲学史からの離脱の契機にもなっていなければならない。しかし、そのことは何を意味するだろうか。近代世界史を成立させているものとしての世界市場は、私たちが常日頃触れる学知の国際的な流通経路にも深く影を落としている。たとえば、どの地域の学者・思想家の名前をどれくらい挙げられるかという単純な問いにすら、個々の能力というよりもこの地政学的関係こそが解答するだろう。言うまでもなく、その関係の中心にあるのが「西洋」であり、それこそが西洋中心的枠組みを生み出している。だとすると、この知の流通経路に対抗するだけの概念的・構成的強度があるかどうかがここで試されているのである。本書の考察を読み終えて最後に残るのはこの点での疑問である。19世紀とは、まさにこの知の世界市場が新たに形成されていった時代ではなかったか。そしてそれはまた、20世紀の世界戦争と植民地戦争に繋がっていくものではなかったか。少なくともこの第7巻に関してはこの点をはっきりと構成的に組み込んだうえで、それとの関連のなかで自由の問題も考察し、「共鳴」といった語彙も用意するべきではなかったか。世界哲学史という試みに続き新たな世界史を描かんとする歴史家たちにこそ、これらの問いは残されたのである。
(「世界史の眼」No.16)