2023年10月23日、バイデン大統領はイスラエルを訪問し、ハマスによるイスラエル攻撃を2001年9月11日の同時多発テロ事件になぞらえて、イスラエル人の怒りの感情に理解を示しながら、こう語った。「私は警告する。怒りを感じても、それに飲まれてはいけない。9.11の後、我々は激高した。正義を求めて、それを実現した。だが同時に過ちも犯した」と(『朝日』10月23日号)。
第二次世界大戦後の米国は、一貫してイスラエルを支持してきたが、イスラエルにネタニヤフ政権のような右翼政権が成立し、パレスチナ人地区への侵攻が繰り返されるようになると、少しずつ批判の姿勢を見せ始めている。特に、イスラエルによるガザへの報復攻撃が激化するにつれ、イスラエル支持の世論が減少し始めている。例えば、PBSなどの世論調査でイスラエルが「やり過ぎ」とした意見は、10月11日時点では26%であったが、11月6-9日時点になると、38%に増加していた。
11月25-26日のニューヨーク・タイムズの世論調査で、全体の平均では親イスラエルが38%、親パレスチナが11%、同等が28%であったのに対して、自分を「大変リベラル」と考える人では、親イスラエルが16%、親パレスチナが32%、同等が35%となった。つまり、革新的なグループの間では親パレスチナが親イスラエルの倍を記録するに至っている。
このような動きは、イスラエルがガザに報復爆撃をした直後に、「平和のためのユダヤ人の声」などの団体が呼び掛けて「ガザでの虐殺停止」を要求するデモが連邦議会内で行われ、300人が逮捕された事件にも表れている。このデモに参加したナオミ・クラインは、イスラエルがナチによるジェノサイドの恐怖を利用して、現在の虐殺を試みていると非難し、「我々はこのような形で反ユダヤ主義の恐怖を操作することを許さない」と宣言した(The Guardian, October 19, 2023)。
米国では、イスラエルを批判すると、すぐ「反ユダヤ主義者」のレッテルが貼られ、それ以上の批判が封印される傾向がずっと続いてきたが、近年、シオニズムに反対するユダヤ系知識人の台頭が目立つようになっている。その代表格が、2007年に『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(邦訳も2007年刊)を出版したジョン・J・ミヤシャイマーとスティーヴン・M・ウォルトであった。この本では、米国のイスラエル・ロビーがイスラエルを無条件で支持するように米国政府に圧力をかけて来たとした上で、「こうした米国の外交政策は米国の国益に適っていない。それどころか、イスラエルの長期的な利益も損なう」(上巻、p.4)と主張した。
彼らが特に米国の利益を損なった例として挙げたのは、9.11事件以来の「対テロ戦争」の一環として2003年3月に始まったイラク戦争であった。この戦争の開戦理由として当時のブッシュ(子)政権があげたのがフセイン政権が大量破壊兵器を保有しており、それがテロリストに渡るのを防ぐ必要性であった。しかし、実際に開戦後、フセイン政権が打倒され、米軍がイラクを隈なく探したが、大量破壊兵器は発見されなかった。
つまり、ブッシュ政権は「がせネタ」に踊らされて、国連安全保障理事会の同意も得られないまま、開戦したこと、その結果、長期にわたるイラク占領で、米兵にも多数の犠牲者をだすことになったのであった。当然、米国の議会ではこの「がせネタ」を誰が流したのか、追求したが、この本の著者はそれがイスラエル政権から流され、米国のイスラエル・ロビーがブッシュ政権の開戦決断に重大な影響を及ぼしたと主張した(下巻、p.71)。
例えば、開戦1年前の2002年4月中旬、ネタニヤフ・イスラエル元首相がワシントンを訪問し、米国の上院議員や『ワシントン・ポスト』の編集委員と会談し、こう語ったという。「サダム・フセイン大統領は核兵器を開発中である。その核兵器は、スーツケースや小型かばんに入れて運ぶことができるものだ。もちろん米国本土にも運び入れることができる」と(下巻、p.79)。また、当時イスラエルの外相だったシモン・ペレスはCNNの番組に出演しこう語った。「サダム・フセインはビン・ラディンと同じくらい危険です。米国はフセインが核兵器を開発しているのに、ただ座ってそれを見物しているべきではないのです」と(下巻、p.79)。
当時のブッシュ政権では、副大統領のチェイニー、国防長官のラムズフェルトら「ネオコン」と呼ばれた保守派の対外干渉主義者が政権の中枢を占めていた。このネオコン・グループは、1997年に2000年の大統領選挙で共和党政権を奪還すべく結成された「新アメリカの世紀プロジェクト」に起源をもっていた。このグループの中には、ノーマン・ポドレッツのような保守化したユダヤ系の知識人も参加していた(拙著『好戦の共和国 アメリカ』。pp.265-6)。
米国におけるユダヤ系移民の多くは19世紀末に東欧やロシアから移民し、大都市の不熟練労働者として、民主党を支持する傾向が強かった。しかし、1980年代になると、富裕化して共和党に鞍替えするものが出始め、イスラエルを無条件で支持する「保守的国際主義」の主張を展開するようになった。それでも、過去の差別やホロコーストの体験から現在でも革新的な立場を維持しているユダヤ系も多く、彼らは民主党左派に影響力を維持している。
その民主党ではイスラエルのガザ侵攻が激化する中で、4分3が停戦を支持するようになっており、即時停戦を求める決議が40人の民主党議員によって提案されたという(『朝日』12月5日)。他方、共和党の中にはトランプ前大統領の影響を受けて「アメリカ・ファースト」の動きが出て、イスラエルへの軍事援助が減額される可能性もある。そうなると、従来のように米国政府が無条件にイスラエルを支持し続ける政策に転機が訪れる可能性もある。今後の米国世論や政府の動向を注視する必要があるだろう。
(「世界史の眼」2023.12 特集号5)