「世界史の眼」No.28(2022年7月)

本号では、2本の書評を掲載します。島根大学の鹿住大助さんには、小川幸司・成田龍一編『世界史の考え方』(岩波新書、2022年)を書評して頂きました。また、敬愛大学の高田洋子さんには、アンソニー・リード(太田淳・長田紀之監訳)『世界史のなかの東南アジア』(上下)(名古屋大学出版会、2021年)の書評をお寄せ頂きました。

鹿住大助
書評 小川幸司・成田龍一編『世界史の考え方 シリーズ歴史総合を学ぶ①』岩波新書(新赤版)1917、2022年1月

高田洋子
書評 アンソニー・リード『世界史のなかの東南アジア 歴史を変える交差路 上下』(太田淳・長田紀之監訳、青山和佳・今村真央・蓮田隆志訳、名古屋大学出版会、2021年)A History of Southeast Asia, Critical Crossroads, Chichester: Wiley Blackwell, 2015

小川幸司・成田龍一編『世界史の考え方』(岩波新書、2022年)の出版社による紹介ページは、こちらです。アンソニー・リード『世界史のなかの東南アジア』の出版社による紹介ページは、上巻がこちら、下巻がこちらです。

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書評 小川幸司・成田龍一編『世界史の考え方 シリーズ歴史総合を学ぶ①』岩波新書(新赤版)1917、2022年1月
鹿住大助

1.はじめに:本書のねらいと高校歴史教育の変更

 本書は2022年1月から刊行され始めた岩波新書の「シリーズ歴史総合を学ぶ」の第一巻である。第二巻『歴史像を伝える──「歴史叙述」と「歴史実践」』、第三巻『世界史とは何か──「歴史実践」のために』は、本稿執筆時にはまだ発行されていない。本書の「はじめに」では、「歴史認識とは、①事実の認識(歴史実証)・②事実関係の解釈(歴史解釈)・③解釈の意味の検討(歴史批評)・④探究成果の表現(歴史叙述)という一連の実践行為(歴史実践)である」と主張する。恐らく、第二巻はその副題にある「歴史叙述」について、第三巻は世界史の「歴史実践」全般に関して論じられるのだろう。本稿では第一巻の叙述のみを取り上げて論じるが、シリーズ全体を読めば、また異なる評価になるものと思われる。

 本書が対象とする読者は、高等学校学習指導要領の改訂にともない、今年から始まった「歴史総合」科目を学ぶ高校生や、それを教える高校教師だけではない。「世界史に関心をもつすべてのみなさんを読者に想定し・・・『世界史は何のために探求するのか』という問いについて、私たちと一緒に考えて」欲しいとある(「はじめに」より)。高校生に「歴史総合で理解すべきポイント」を説明したり、教師に「歴史総合授業の作り方」を指南するものではない。授業で世界史を学ぶための「問い」を例示するのではなく、「そもそも世界史はなぜ、何のために学ぶのか」という「問い」を考えさせることが主眼であるという。

 ここで、高等学校の学習指導要領改訂と「歴史総合」科目の新設について簡単に紹介しながら、本書の意図と構成を読み解いてみる。今回の改訂により、歴史科目は従来の「世界史(A・B)」必修、「日本史(A・B)」選択のカリキュラムが変わり、必修科目として「歴史総合」を全生徒が学習し、その上に選択科目の「世界史探究」「日本史探究」が置かれることになった。

 「歴史総合」では、「近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉え、資料を活用しながら歴史の学び方を習得し、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を考察、構想する科目」(「【地理歴史編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説」、123頁より)とあるように、世界や日本の現代的諸課題形成に関わる近現代の歴史を学習することになった。歴史科目だけに限ったことではないが、「世界史探究」「日本史探究」の名称が示すように、「問い」に基づいて生徒自身が歴史的事実を検討したり、解釈を導き出したりする「探究学習」が重視されているのも特徴である。

 また、「歴史総合」の内容は、大きく「A.歴史の扉」「B.近代化と私たち」「C.国際秩序の変化や大衆化と私たち」「D.グローバル化と私たち」の項目に分かれる。「・・・私たち」が項目名についているのは、それぞれの時代が生徒自身の生きる現代の諸課題にどう関わるか、考察できるようになることを意図しているからである。

 本書『世界史の考え方』は、この四つの大項目のうちB、C、Dに対応して、「Ⅰ.近代化の歴史像」「Ⅱ.国際秩序の変化と大衆化の歴史像」「Ⅲ.グローバル化の歴史像」の三部構成をとる。また、第一部は「第一章 近世から近代への移行」「第二章 近代の構造・近代の展開」からなる。そして、第二部の「第三章 帝国主義の展開」「第四章 二〇世紀と二つの世界大戦」、第三部の「第五章 現代世界と私たち」へと続く。各章では、それぞれが対象とする時間軸上において、これまでの歴史学でどのよう「問い」があったのか、それがどのように変化してきたのか、その変化によってどのような歴史像が導き出されてきたのかを考察する。

 そして本書は、これを考察するための叙述方法に特徴がある。各章では、出版された年代や、対象地域、視点や解釈の異なる三冊の著名な歴史書(「課題テキスト」)を主に取り上げて論じる。議論は「対話」の形式をとり、編者の小川幸司と成田龍一に加え、各章で一人ずつ課題テキストの著者や、解説者をゲストに呼び、一冊目・二冊目の歴史書とその「問い」が描き出す歴史像やその問題点を検討し、対象となる時代に対する歴史学の認識がどのように変化してきたのかを論じている。そして各章末には、対話の内容をまとめる「問い」が示され、歴史総合での学習を促そうとする。

 「課題テキスト」以外にも関連する文献を取り上げているが、三冊のテキストは、新書や文庫版の書籍が多く、比較的手に取りやすい。本書で編者やゲストが繰り広げる対話を読むことで、間接的にこれらテキストへの理解が促されることだろう。ただし、その内容が初学者向けにも「分かりやすい」文献ばかりでは決してない。むしろ、「名著」であるがゆえに、著者が置かれていた時代状況や内容についての関連知識を持っていた方が読みやすく、また、意味を深く考察すればするほどよく理解できるようになるような文献が多い。

 以下では、各章の概要を簡単に紹介する。なお、各章で編者とゲストが展開する対話の論点は多岐にわたっており、以下は「要約」というよりは、「端折った紹介」であることをご容赦いただきたい。

2.本書の概要

 第一章では、近世から近代への移行期の歴史像を論じるため、大塚久雄『社会科学の方法』(岩波新書、1966年)と川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書、1996年)、岸本美緒『東アジアの「近世」』(山川出版社《世界史リブレット》、1998年)を取り上げている。大塚は資本主義と市民社会が同時に成立したイギリスをモデルに、各国の歴史を比較・分類して近代世界像を描いた。一方で、川北の文献では資本主義近代の歴史を、世界商品の生産・流通をコントロールし、世界システムの中核となった「支配する側」と、被植民地化されシステムの周縁に位置づけられた「支配される側」の構造化の歴史として描く。川北の議論では、現代に生じている格差の問題は、国ごとの発展段階の問題ではなく、世界規模での構造が問題となるのだ。さらに、岸本の『東アジアの「近世」』を取り上げながら、前近代の各地域の国家・経済的特色が、現在にもつながっていることが、著者である岸本の回想や解説と、編者との対話を通じて論じられる。

 第二章では、フランス革命と産業革命、1848年革命という近代史上の三つの転換点をめぐる歴史像を論じる。「課題テキスト」は遅塚忠躬『フランス革命』(岩波ジュニア新書、1997年)と、長谷川貴彦『産業革命』(山川出版社《世界史リブレット》、2012年)、良知力『向こう岸からの世界史』(未来社、1978年)である。ここでは、まずはフランス革命の捉え方をめぐって、遅塚の著書を中心に、フランス革命が「劇薬」化したことを「相対的後進性」に求めた歴史解釈を紹介する。さらに、遅塚以外の論者を取り上げながら、近代化を推し進めた革命主体や事件の層に注目するか、革命主体が生み出される状況や構造(傾向)に注目するかなどの着眼点の違い、明治維新との比較をめぐる論点を検討する。次に、長谷川の産業革命論を取り上げ、人類史上の分水嶺と評価する視点、グローバルヒストリーにおける産業革命分析の視点、推進主体としての発明家だけでなく民衆層への注目など、歴史家の視点を紹介する。さらに、長谷川も対話に登場し、1848年革命をめぐって良知の『向こう岸からの世界史』が指摘するように、支配と被支配の重層化など、単純化されえない複雑なありようを描くことが重要であると指摘される。

 第三章は、帝国主義や国民国家形成の時代におけるナショナリズムや人種論を論じた歴史が検討対象となる。本章では、江口朴郎『帝国主義と民族』(東京大学出版会、1954年)、橋川文三『黄禍物語』(筑摩書房、1976年)、貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(岩波新書、2018年)が「課題テキスト」である。江口の世界史は、大塚の歴史発展の比較分析としての世界史ではなく、世界史全体の構造分析である。その歴史像は、帝国主義と民族を軸として、各国特殊な資本主義発展や封建的な要因のあり方と、世界的な資本主義的体制とを統一して把握しようと試みる点に特徴がある。二冊目の橋川は、ヨーロッパにおける「黄禍」観念の根深さや、19世紀の黄禍論に対する中国と日本における対称的な反応の現れ方から、近代日本の特異な人種観の変遷が論じられ、アジアにおける盟主としての日本人観が作られていく過程を独自の視点で描き出している。また、対話の中で「人種」も「民族」も歴史的に形成されてきた概念であり、操作的に用いられてきたことが指摘される。その上で、貴堂との対話を通じては、「大塚久雄が描いたような資本主義と市民社会を実現した『近代』像とは異なり、奴隷制がなおも存続し、それが終了したかに見えてもなお、国民から排除する人々を『人種』という形で作り出し、その抑圧的な政治によって国民国家の統合を実現していく『近代』のありよう」を指摘する。近代の帝国主義時代にあって、国民国家とともに作り出された人種や民族の問題が、現代の人種差別や排外主義、移民への抑圧という、どこでも、誰にでも起こりうる課題につながっていることが明らかになる。

 第四章では、20世紀の世界史像について、丸山真男『日本の思想』(岩波新書、1961年)、荒井信一『空爆の歴史』(岩波新書、2008年)、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』(勁草書房、1982年)の三冊を中心に、戦時−戦後の連続性めぐる歴史学の論点を開示する。丸山は、「戦後歴史学」と似て、近代日本における「封建遺制」を指摘し、日本の特殊性=問題を論じる。日本の近代には、前近代と、超近代が雑然と同居しているという認識に立ち、権力の核心たる天皇制が「精神的機軸」としてこの事態に対処しようとする特殊な状況を生み出す一方で、主体としての個人を生み出すことができなかったとする。二冊目の『空爆の歴史』では、20世紀の戦争を空爆の視点から考察し、それが文明/野蛮という非対称の認識を背景になされる「大量虐殺」行為であると把握する。帝国主義の植民地戦争における空襲から、第二次大戦中の日本軍の生物兵器爆弾投下、アメリカが使用した原爆の正当化、ベトナム戦争時のナパーム弾やクラスター爆弾、冷戦体制崩壊後の「空からの一方的な戦争」に至るまで、「非対称性」が背後に連続して見られることを指摘する。本章のゲストとして登場するのは永原陽子であり、内海愛子の著作を論じながら、「戦争責任」ではない、「植民地責任」の考え方を解説し、世界史の構造的問題が連続していることを指摘する。

 最後の第五章では、第二次世界大戦後を「グローバル化」の時代として、どのような歴史像が描かれてきたのかを論じる。「課題テキスト」は、中村正則『戦後史』(岩波新書、2005年)、臼杵陽『イスラエル』(岩波新書、2009年)、峯陽一『2100年の世界地図 アフラシアの時代』(岩波新書、2019年)であり、ゲストとして登場するのは二冊目の著者の臼杵である。まず、中村の『戦後史』にでは、日米関係論を軸にした内発的発展論を構想し、敗戦国が冷戦体制下でどのように歩んできたのかを描く。ただし、中東情勢の変化に対応して「戦後」が終焉に向かうなど、戦後日本の歩みを「グローバル化」の歴史像として把握する必要があると、編者の成田は指摘する。その上で、臼杵の『イスラエル』をとりあげ、「多様な内実をもつイスラエル国民を統合するためにホロコーストという歴史的経験が重視され、またテロをおこなうパレスチナ人という表象された『敵』への対決姿勢を強調することが、政権の支持基盤をつくっている」とする。臼杵自身はイスラエル国家では、その植民地主義的な国家の出発点を歴史としてどう描くかが問題となることや、イスラエル国家=「ユダヤ人の国家」ではなく、五人に一人はイスラエル国籍を取得したアラブ人であり民族と国籍でズレがある複雑な民族構成を認識しないと、イスラエル国家の性格を見誤ることになるという。最後の峯の『2100年の世界地図』は、グローバル・ヒストリーの視点に立って、2100年を予測するものである。世界の人口重心が21世紀中に「アフラシア」に移動し、現在の「私たち」が「他者」と認識する人々によって「成長」が担われるのである。近代化からグローバル化へと展開してきた世界史は、「西洋」の思想がそれを推進したのであり、世界史が提起する現在の課題も「西洋」の産物である。峯は「アフラシア」という「非西洋」における「非近代」に今後の世界史の可能性を見いだす。つまり、「未来」から見て何が「現代的諸課題」なのかを考えることでより多面的な検討が可能となるのだ。

3.おわりに:問題提起

 以上のように、本書は「歴史総合」が扱い、区分する時間軸に沿って、これまでの歴史学がどのような歴史像を提供してきたのか、それが変化してきたのかを検討し、現在地を確認している。また、近代化以降の世界史が作り出してきた現代的諸課題とは何かを、歴史像の検討を通じて示している。今年から必修科目「歴史総合」を学び始めた高校生の多くには、「課題テキスト」の著者や彼らが生きた時代についても理解しなければならず、読みこなすのが難しい書籍であるかもしれない。「歴史総合」という教科の内容を理解する・考えるためというよりは、教科の背景をよりよく理解し、教科の中で何を問うべきかを考えるための書籍であるといえよう。

 ところで、既に2017年には中学校の学習指導要領も改訂され、昨年度から新しい社会科が始まっている。高校の「歴史総合」や「世界史探究」で生徒が探究する世界史は、カリキュラム上でその上に位置するのである。改訂以前からも、中学校社会科の歴史的分野において世界史学習はあった。日本史が中心ではあるが、教科書の大項目では古代・中世・近世・近代・世界大戦・現代の別に、それぞれの時代の世界史(古代文明の始まり〜冷戦体制)が含まれている。中学校の社会においても「主体的・対話的で深い学び」(いわゆるアクティブ・ラーニング)が目指され、知識の詰め込みではない学習が強調されている。

 本稿のおわりに、本書の趣旨に基づき、筆者の関心から問題提起をしたい(本書に対する批判ではない)。それは「問い」の難しさについてである。本書が一貫して重視するのは歴史の「問い」である。本稿のはじめにみたように、「そもそも世界史はなぜ、何のために学ぶのか」という「問い」を考えさせることが主眼であるという。恐らく、本書が目指しているのは、生徒自身が自らこの「問い」の言葉を発し、自ら世界史を探究するようになることであろう。

 ところで、筆者が大学で担当する授業の受講者に「歴史学習とはどのような行為か」を調査したところ、「正しい知識を記憶する」や「教科書やWeb等から妥当な歴史解釈を探す」よりも、「歴史的事実を探究する」「自らの視点・解釈をもって歴史を語る」「他者と歴史を語り合う」という選択肢に強く共感しており、歴史学習は主体的な学習であると認識していた。本調査の対象となった学生は、中学・高校の学習指導要領改訂前の学生である。

 もちろん、この結果をもって全国に一般化できるわけではないが、従来の学校教育の歴史教科を通じても、学習者は歴史学習に「主体的な探究学習」のイメージを持っていたのかもしれない。それが、「受験のため」や「仕方なく」に変わる場面はどこにあるのだろうか。

 本書各章の最後には、対話のまとめとして、「『歴史総合』の授業で考えたい『歴史への問い』が例示される。例えば、第一章であれば、「①『イギリス・フランス・アメリカが歴史発展のモデルである』という歴史の見方は、どのような点をその根拠にしているだろうか。また、そうした見方の問題点は、どこにあるだろうか」などの「歴史総合」の「問い」を提示するのだ。

 この「問い」はどこで、誰に、どのように投げかけられるのだろうか。もちろん、第一には本書の読者であり、対話形式による歴史像の多面的検討という手法をとる本書の各章を読み直し、よりよく理解させるためであろう。

 もし、これが「歴史総合」の授業・クラスという場で、教師が投げかけるのであれば、生徒は一斉に第一章の記述から正解を探そうとするだろう。そして適切な箇所をなるべく早く見つけ、マーカーで線を引こうとするだろう。そのとき、生徒は、自らの行為を「問い」に対する主体的な探究だと思っておこなうのだろうか。

 一方で、もし、生徒たちに本書が教材資料として配付されていなければ、この「問い」は「正解のない問い」として認識され、これをめぐる生徒同士の対話が求められているのだ、あるいは他の教科書や副読本などから検討する材料を探すのだ、と理解し、他者との対話に参加したり、検討材料を探そうとする行動をとるだろう。「問い」に対する「正解の内容」が定まらないのであれば、クラスの中で「正解の行為をすること」が次善の策になるのだ。そのとき、生徒は、自らの行為を「問い」に対する主体的な探究だと思っておこなうのだろうか。

 授業・クラスという空間では、教師と生徒に非対称の関係性が存在する。なぜなら、教師はルールを定め、発問・説明・指示をおこない、生徒を評価するからである。それは教育という営みでは当然のことであり、だからこそ生徒の学びをつくることができる。一方で、生徒は閉じた教室空間の非対称の関係性の中で、与えられた「問い」に取り組む。「何が正解か」には非常に敏感である。教師の「問い」は関係性の中で正解行為を促すのである。

 生徒は「そもそも世界史はなぜ、何のために学ぶのか」という問いに対して主体的に探究しようとするイメージを持ちつつも、授業が進むにつれて(あるいはこれも非対称の関係性である受験が近づくにつれて)正解行為を探す学習へと変わっていないだろうか。本書各章末の具体的な「問い」を生徒自らが発して探究するような場を、大学教育を含む学校教育の現場、小−中−高−大をつらぬく歴史教育のカリキュラムにつくることが課題であると考える。

(「世界史の眼」No.28)

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書評 アンソニー・リード『世界史のなかの東南アジア 歴史を変える交差路 上下』(太田淳・長田紀之監訳、青山和佳・今村真央・蓮田隆志訳、名古屋大学出版会、2021年)A History of Southeast Asia, Critical Crossroads, Chichester: Wiley Blackwell, 2015
高田洋子

 アンソニー・リードは1939年にウエリントンで生まれ、当地のヴィクトリア大学で歴史学修士号を、その後ケンブリッジ大学で博士号を取得した。マラヤ大学歴史学講師、オーストラリア国立大学「東南アジア史」教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校東南アジアセンター初代所長兼歴史学教授を経て、2002年からはシンガポール国立大学アジア研究所所長も務めた。彼はSoutheast Asia in the Age of Commerce 1450-1680, 2 volumes (New heaven and London: Yale University Press.1988/1993)で、東南アジアが「長い16世紀」に、世界の動きに連動して当時の世界で最も豊かな交易社会を築いたとする時代像を、人びとの生活史の視点も入れて生き生きと描いた。今回紹介する東南アジア通史は、この「商業の時代」を中心に、前後の時代から20世紀末までを同じ観点で詳述した大著だ。

 東南アジア地域は、ユーラシア大陸のインドシナ半島部(大陸部)とインド洋の東側及び太平洋の西側に浮かぶ大小無数の島々(島嶼部)から成る。現在11か国6億5千万以上の人口を擁し、自然/民族/言語・文化/宗教他、実に多元的、多種多様な世界だ。そのため東南アジア全体史を一人で描くのはとても難しい。「東南アジア」という地域概念が定着し始めたのは戦後で、本格的な歴史研究が始まってまだ60-70 年位しか経っていない。私の院生時代にはMilton Osborne, Southeast Asia, An Introductory History (1979)が注目され、2013年には第11版が出るほど世界中で読まれた。この通史と比較すれば、本書では近世early modern史と現代史の部分が相当のボリュームになっている。

 全体は魅力的なタイトルのついた20章から成り、各章に5~8つずつの小テーマが並ぶ。古代から現代へと記述されてはいるが、各章で論じられる期間は相互に重なったり、ずれたりと変幻自在だ。読者は、はじめは水墨画のようにぼんやりとした東南アジアの姿が、季節風の風下に世界各地の人びとや ”もの” が集まっては去っていく、交流と危機の時代を繰り返すうちに一つのまとまりある姿が立ち現われ、やがて別々の色合いを帯びて変化する歴史過程をイメージできる。従来の研究成果や、外来者の記録・報告・私的手紙等を多用しながら、基層社会の上に受容された仏陀やシヴァ神、古くからの貿易システムとムスリム商人のネットワーク、イスラーム、カトリック、プロテスタンティズム、儒教原理のせめぎ合いが描かれる。16世紀の世界的な「銀」の流通に伴う長距離交易、世界市場向け香辛料他の熱帯産物とプランテーション生産、交易を独占し「商業の時代」を急速に終わらせたオランダや英国、また近代をもたらすヨーロッパ勢力と華人の世紀、メスティーソとクレオール文化、コスモポリタンな港市の発展と銃砲国家gunpowder kingsの抗争、そして権力者の支配から逃れる高地人たち・・。東南アジア特有の「ナガラ」、「ヌグリ」、そしてマレー世界とヌサンタラ。多様性を受け入れるシンクレティズムの世界が、外来の普遍主義や純潔主義、そして近代主義にまみれることから生じる歪みや自律性の喪失が饒舌に語られる。

 19世紀後半以降の植民地社会は、(近代)国家のインフラ造りの一方で人口が増え、貧困と非自立化peasantizationがすすんだ。かつての欧華都市the Euro-Chinese citiesは衰退して中心都市だけが際立ち、エリートは近代教育を熱望した。さらに現代はネーションが創られると同時にマイノリティーも創られる。食料増産の”革命”を経た1970年代には、環境破壊と政治腐敗という”陰鬱な”コストを払って、東南アジアの経済成長は再び「商業の時代」に回帰した。全章を通して人びとの衣食住、旺盛なパフォーマンス、気候変動、災害・疫病、ジェンダーなどグローバル・イッシューへの言及も議論を補強している。V.リーバーマンのStrange Parallels 、J. Scottのゾーミア論、ギアツのインヴォリューション論も意識される。また、東南アジアでは交易で得られた富がなぜ欧州のように資本蓄積されなかったか考察される。1980年代に活発化した中間層の運動や都市ムスリムの信教心の高揚は、ヴィクトリア時代のイギリス・プロテスタント運動に似ているとの指摘がある。民主主義を欠落した近代主義の日本軍によって規律と軍式動員、支配者と被支配者の一体化が強制されたことは、独立後の権威主義体制や国家による女性への管理・馴化につながった。西欧の ”男性的” 近代主義も家父長制の下の女性らしさを求めていたとリードは述べる。元来東南アジアでは、ジェンダーバランスの中の女性の位置づけは高かった(女性は商業の担い手であり、異なる文化の媒介者だった点を根拠に)。国家の役割は小さく、節度と調和を重んじて結束をはかろうとする行動規範は、世界の中の東南アジアの特徴だとしている。刺激的な議論にみちた本書は、東南アジア史研究の基本文献となるだろう。

(「世界史の眼」No.28)

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「世界史の眼」No.27(2022年6月)

今号では、小谷汪之さんに、3回連載予定の「土方久功と鳥見迅彦―「日本の中の世界史」の一コマとして―」の「(上)」をお寄せ頂きました。また、南塚信吾さんの連載「「万国史」における東ヨーロッパ I-(2) 明治期「万国史」における「東ヨーロッパ」(その2)」を掲載しています。南塚さんには、「文献紹介 向野正弘「酒井三郎の「世界史学」に基づく歴史教育構想―1950年代後半、『世界史の再建に先立つ見解』」『歴史教育史研究』第19号 歴史教育史研究会 2021年 23-37頁」も寄せて頂きました。

小谷汪之
土方久功と鳥見迅彦(上)―「日本の中の世界史」の一コマとして―

南塚信吾
「万国史」における東ヨーロッパ I-(2) 明治期「万国史」における「東ヨーロッパ」(その2)

南塚信吾
文献紹介 向野正弘「酒井三郎の「世界史学」に基づく歴史教育構想―1950年代後半、『世界史の再建に先立つ見解』」『歴史教育史研究』第19号 歴史教育史研究会 2021年 23-37頁

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「万国史」における東ヨーロッパ I-(2)
明治期「万国史」における「東ヨーロッパ」(その2)
南塚信吾

Ⅰ パーレイ的「万国史」の中で:明治初期の文部省教科書

2. 文部省『史略』文部省 明治5年(1872年)と師範学校編輯『万国史略』文部省 明治7年(1874年)

 1872年(明治5年)に学制が発足した時、すでにあった寺内章明『五洲紀事』と西村茂樹『万国史略』が、とりあえず小学校の教科書とされた。しかし、よりコンパクトな教科書が必要であった。それに合わせて文部省が編纂したのが『史略』明治5年(1872年)(『日本教科書体系』第18巻 講談社に所収)である。地理学者内田正雄の筆による。『史略』は、巻の一が日本(皇国)、巻の二が支那、巻の三と四が西洋の歴史であった。日本史の巻は天皇歴代史で、中国史は王朝史であって、ページ数も少なく、天皇・皇帝の事績を並べただけで、歴史というほどの記述にはなっていなかった(「歴史」という用語は使ってはいたが)。「西洋史」のほうは上下二巻になって、これは、ページ数も多く、文章として歴史記述になっていた。本書は、「人の始めは国々の説異同ありていずれとも定め難し」として、「大洪水」と「ノア」から始めていた。「大洪水」以前の聖書的な見方は脱していたわけである。その上で、上古、中古、近世を区分していた。上古は紀元500年ごろまで、中古はそれ以後1500年まで、近世をそれ以後今日(明治)にいたるまでとしていたが、実際には、中古と近世の区別はせずに、中古以下各国の歴史を並列して論じていた。構成は以下のように、パーレイ的に各国史を並記したものであった。

史略

上古

 アッシリア、バビロニア、フェニシア、ユダヤ、ペルシア、ギリシア、ローマ

中古以来

 仏蘭西、英吉利、独逸・墺太利・普魯士、西班牙・葡萄牙、和蘭、比耳時、瑞西、嗹國・瑞典、魯西亞、以太利、土耳其(附希臘)、亜米利加

 2年後、この『史略』のなかの西洋史と東洋史の部分を独立させ、それを詳しくして、師範学校編輯『万国史略』明治7年(1874年)(『日本教科書体系』第18巻 講談社に所収)が出版された。大槻文彦〔宮城師範学校長となった〕の「序文」によれば、「万国史」は「世界中の国々の歴史」という意味であるが、日本の歴史は別に論ずるので、この中には入れない。西洋史については、すでに文部省から出版された「概略の歴史」(『史略』のこと)があるので、それを増減したという。つまり、この「万国史」は「日本史以外の外国史」を網羅しようとするものであった。ここに、便宜的とはいえ、日本史と「万国史」を二本立てで考える方式が登場したのである。

 その構成を見ると、下のようであった。

《巻の一》

亜細亜洲―漢土、印度、波斯、亜細亜土皃其(トルコ)

欧羅巴洲上―希臘、羅馬皃

《巻の二》

欧羅巴洲下―「人民の移転」、仏蘭西、英吉利、独逸、墺地利、普魯士、瑞西、和蘭、比耳時、嗹馬、瑞典、那威、西班牙、葡萄牙、伊太利、土耳古、露西亜

亜米利加州―「発見殖民」と合衆国

 『万国史略』は、『史略』を踏襲していて、それと同じく、万国の歴史を網羅していた。それぞれの国について、歴史をタテに述べるという方式であった。パーレイの影響が見える。だが、アフリカとオセアニアは削除されている。それに、「人民の移転」(諸民族の大移動)と「発見殖民」が独立の項で扱われるようになった点が『史略』と違うところである。

 人類の起源については、『史略』は大洪水から始めていたが、『万国史略』は少し妥協的で、亜細亜土皃其(トルコ)の節において、「西洋ノ説」によれば、ユーフラテス川のそばにアダムとイブが初めて「化生」し、人類の起源となったと言われると記していて、聖書を全面的には取り入れていないが、一応の配慮はしていたようである。

 さて、『史略』と『万国史略』では、ヨーロッパの東部をどのように扱っていたであろうか。『五洲紀事』と同じく、ここでも、ギリシア、ハンガリー、ポーランドのみが扱われていた。

≪ハンガリー≫

 ハンガリーは、『史略』では、『五洲紀事』のように独立の項目にはなっていなかったが、独逸・墺太利・普魯士の節と土耳其の節においていろいろな脈絡で述べられていた。主なものは、①「独逸」が10世紀に「ヘヌリ」(ハインリッヒ一世)の時に「ハンガリー」から邊境を侵す者を打破ったこと、②「オットマン」国が「バジヤシスト」一世のときに「ハンガリヤ」に侵入し、ホンガリー王が仏独の兵と連合してこれを防いだこと、③1520年代の「ソリマン」(スレイマン)二世のときに「ハンガリー」を攻略して属国としたこと、④「ハプスブルグ」の墺太利が1500年代から「ボヘミヤ」「ホンガリー」を領地に帰させて大国となったこと、⑤17世紀末の墺太利の「レヲポルド」帝の時「ハンガリー」の人民が乱を起して、土耳其がこれに乗じて「ウィーンナ」を包囲したがこれを退け、「ハンガリー」を平定したことなどである。

 オスマン帝国がハンガリーとの関係で位置づけられていることが注目される。このうち②はバヤジットのブルガリア攻撃のことと誤っていると思われるが、その他はいずれもハンガリー史にとって重要な史実であった。その論じ方は「王朝史」であったが、『五洲紀事』より正確な歴史になっている。『五洲紀事』にあるような匈奴の子孫という人種的な観点はなかった。ここで気になるのは。「人民」という言葉であるが、この時期の「万国史」では、「国民」と並んで「人民」が使われていて、その「人民」は広く人間という意味でも、民衆という意味でも使われていた。

 以上は『史略』の記述であるが、ハンガリーの扱いは『万国史略』でもまったく同じであった。

≪ギリシア≫

 『史略』では、土耳其史が系統的に述べられていて、その中で希臘の独立も扱われていた。ギリシアの独立についての記述を見てみよう。

「希臘は東羅馬の衰退後、久しく土耳其の版図に期せしが、其の苛酷の政令に耐えず、千八百二十一年より終に兵を挙げて土耳其に抵抗し、数年間死力を盡して血戦せしと雖も、衆寡敵せず、殆んど土耳其の為に圧服せられんとす。然るに英国仏国魯国等より兵を出し、千八百二十八年大いに「ナバリノ」に於いて土耳其の海軍を討破り、其翌年「モレヤ」の地独立して希臘国と号を初め、「カポジストリヤ」大頭領に任せしなり。」(『日本教科書体系』第18巻 54頁)

 ギリシアの独立は当時の日本では注目されていた出来事であった。この記述は『五洲紀事』のそれとほぼ同じである。記述は今日から見てもほぼ正確である。ただギリシアは1829年に「独立」したのではなく、自治国となったということは、正確には押さえられていない。だが、他は正確である。また「カポジストリヤ」(カポディストリアス )大頭領への言及が新しいところである。すでに「独立」、「大頭領」(大統領)という用語が出ていることに注目しておきたい。『万国史略』もこれと同じ内容であった。 

≪ポーランド≫

 『史略』では、ポーランドについては、独逸・墺太利・普魯士の項で、「1795年、墺普の両国、魯西亜と共に波蘭国を亡ぼし、之を三分して、各領地を増せり」(41頁)とされ、魯西亜の項の中では、「波蘭国を亡ぼし、普魯士、墺地利と之を分ち領す」(50頁)と出てくるだけである。波蘭の側での抵抗のことも指摘はなく、諸王の偉業として扱われている。当時の日本ではポーランド分割への関心は高いはずであるが、意外にあっさりとしている。『五洲紀事』にあった「人民」「国人」の目線がなくなっている。『万国史略』もこれと同じ内容であった。

 以上のように、『史略』と『万国史略』においても『五洲紀事』と同じく、ヨーロッパ東部のうちでは、ギリシア、ハンガリー、ポーランドが関心の対象であった。それはアメリカのパーレイに倣ったものであろうが、日本としても国家の独立と分割に対する関心が、これらの国への関心となっていた。だが、寺内の『五洲紀事』と比べて、いわば「権力的」な見方をしていた感がある。また、仏蘭西の「大騒乱」とナポレオンの戦役、1848年の「動乱」の記述はあるが、それとの関係で、ヨーロッパの東部が論じられることはなかった。なお、『五洲紀事』では「革命」が使われていたが、ここでは「騒乱」や「動乱」である。まだ用語は確定していなかった。

3. 田中義廉『万国史略』甲府書林 明治8年(1875年)   

 師範学校の創建者として知られ、文部省の教科書編集に携わった洋学者田中義廉の書いた『万国史略』明治8年(1875年)(『日本教科書体系』第18巻 講談社に所収)は、小学生用の準教科書である。文部省刊ではないが、文部省において西村茂樹のもとで働いていた田中の編のものであるから、教科書に準じた意味があったものと思われる。そして、日本と「支那」は別にするので、本書にはこれを含めないという方針で書かれている。

 本書も亜當(アダム)と厄襪(エブ)から始め、聖書的要素を残していたが、創世記は半頁で片付けていた。それでも『史略』や『万国史略』よりは聖書的であった。構成は以下のようであった。

巻の一 太古史

 亜西里亜(アッシリア)、馬太(メディ)、新亜西里亜、巴比羅尼亜(バビロニア)、猶太(シュダー)、勿搦齊亜(フェニシア)、亜剌比亜(アラビア)、波斯(ペルシア)、亜細亜土耳其、希臘(ギリシア)、羅馬(ローマ)、羅馬尼(ロマニイ)

巻の二 伊太利、仏蘭西、

巻の三 西班牙、葡萄牙、日爾曼(ゼルマン)、孛魯士、和蘭、比利時、瑞西

巻の四 英吉(イギリス)、嗹馬(デンマーク)・瑞典(スウェーデン)・那爾威(ノルウエイ)

巻の五 魯西亜、土耳其、米利堅聯邦

 見られるように、師範学校編『万国史略』と比べた場合、中国やインドは抜けているが、同じような各国史の並列になっている。これはパーレイから内容を取って編集したとされている。ヨーロッパは各国史的に詳しく論じられていた。その中でヨーロパの東部に関連して論じられているのは、ギリシア、ハンガリー、ポーランドであったが、ここではルーマニアが出てきている。

 まずギリシアについてみると、『五洲紀事』や『万国史略』と同じく、古代から始まる希臘の節の終わりにギリシアの独立が論じられている。内容は、独立までは従来と同じであるが、本書では、独立以後のギリシアの動きもが論じられている。1832年にバイエルンよりオットー(オソン)一世を迎えて「独立」したが、この王は「不徳」にして「人望」を失い、1860年(1862年の誤り)、「國人」はこれを廃してデンマークより王(ゲオルギオス一世)を迎えた。その後ギリシアは盛んになったという(『日本教科書体系』第18巻 171頁)。「國人」の目線から歴史が見られているということができる。

 つぎに、ルーマニアが登場する。羅馬の節の次に、羅馬尼(ロマニイ)が論じられていた。『五洲紀事』や『万国史略』にはない記述である。曰く、西と東の羅馬の滅亡のあとその「人民」が多悩(ダニューブ)河の辺に移ったが、土耳其の苛政に苦しんできた。それがようやく1860年ごろから「國人」力を合わせて「独立」を謀り、公国となり「羅馬尼(ロマニイ)」と称した。しかし、土耳其の覊軛を免れず、公位についた歴山の元でも6年間政令が整わず、内乱が起きて、このたびドイツから新たに公を迎えた。それが今の迦爾(カール)一世である(同上 179頁)。ルーマニア人がローマの末裔であるというのは、ストレートすぎる理解ではあるが、早くもこの時期にドナウ川の辺まで関心が届いていたことは特記すべきである。ここでも「國人」の目線から書かれている。

 三つ目にハンガリーを見よう。これも『五洲紀事』や『万国史略』と同じく、日爾曼(ゼルマン)と土耳其の節で述べられていた。扱われているのは、ほぼ同じ内容で、①919年に王位に就いた「顕理」(ハインリッヒ一世)が英邁果断で「洪牙利」を打破ったこと、②教法改革(宗教改革)で日爾曼の南部が騒擾している時に、所利曼(スレイマン)二世の土耳其が大挙して洪牙利を蚕食し、墺太利に侵入し、1529年、維也納(ウイーン)を囲むに至ったこと、③17世紀末の墺太利の「略波爾」(レオポルト一世)帝の時、1683年に、土耳其が洪牙利人を誘い、墺太利を攻めてまた「維也納」を包囲したが、墺太利はザクセン、バイエルン、ポーランドの兵の助けを得て、これを退けたことなどである。

 しかし、『五洲紀事』や『万国史略』にあった、「ハプスブルグ」の墺太利が1500年代から「ボヘミヤ」「ホンガリー」を領地に帰させて大国となったこと、土耳其の二回目の攻撃の際、「ハンガリー」の人民が乱を起して、土耳其がこれに乗じたということ、第二次包囲を退けたのち、オーストリアが「ハンガリー」を平定したことなどは、記されていなかった(同上 208,210,244,245頁)。なおハンガリーの記述では「國人」の目線は貫かれていない。

 最後に、ポーランドはどうか。墺太利と孛魯士と魯西亜のところで、三国で「波蘭ヲ滅ボシテ、其地ヲ三分セリ」と出て来る。しかし、ポーランド人の抵抗の事などは触れられることはなかった(同上 211,212,241頁)。ここでも「國人」の目線は貫かれていない。

 仏蘭西の「大騒乱」とナポレオンの戦役、1848年の「動乱」について、『史略』や『万国史略』以上に記述は詳しくなり、とくにナポレオンと1848年に関しては、充実した記述となっているが、それとの関係で、ヨーロッパの東部(チェコやハンガリーやルーマニアなど)が論じられることはなかった。

 こうした違いや「國人」目線が散見されるという違いはあるとはいえ、基本的には『五洲紀事』や『万国史略』と同じようにパーレイを底本にした教科書であった。各国併記であり、視線も王朝荒廃や治乱興亡を主としていた。面白いことに、パーレイの本自体はまだ完訳が出ていなかった。それは次の時期になる。

(続く)

(「世界史の眼」No.27)

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文献紹介 向野正弘「酒井三郎の「世界史学」に基づく歴史教育構想―1950年代後半、『世界史の再建に先立つ見解』」『歴史教育史研究』第19号 歴史教育史研究会 2021年 23-37頁
南塚信吾

 本稿は、1950-60年代に世界史について独特の議論を展開した酒井三郎の「世界史学」の研究のための予備論文である。上越教育大学の茨木智志の主催する『歴史教育史研究』は世界史を含めた歴史教育について地道な研究を発表しており、本論文はそのようなものの一つである。

 本稿で扱われる酒井三郎は、1901年(明治34年)に高知県に生まれ、東北帝国大学で西洋史を専攻して卒業後、東京帝国大学の大学院で学んだ。修了後、日本大学、日本女子大学で教えたのち、高知の追手前高校の校長を務め、1951年に熊本大学教授となった。1968年に定年退職したのち、立正大学に76年まで務め、1982年に亡くなっている。この間、『国家の興亡と歴史家』(弘文堂書房、1943年)、『世界史の再建』(吉川弘文館、1958年)、『ジャン・ジャック・ルソーの史学史的研究』(山川出版社、1960年)、『日本西洋史学発達史』(吉川弘文館、1969年)、『啓蒙期の歴史学』(日本出版サービス、1981年)などを出している。

 向野正弘の論文は、

  1. 酒井三郎の「世界史」認識をめぐって
  2. 酒井三郎の歴史教育に対する覚悟
  3. 戦後の社会科「世界史」の回顧と現状認識
  4. 「世界史学」について
  5. 現在ならびに未来の取り扱い
  6. 「世界史学」から見た歴史教育構想
  7. 歴史教育の大綱試案
  8. 酒井三郎の隘路
  9. 現代の「世界史」教育への示唆

という構成を取っている。

 個々の節の内容は紹介する必要はないだろうが、この中で、とくに紹介しておきたいのは、「世界史学」という概念であろう。酒井は、「日本史に対立するところの外国史の同義語である世界史」、つまり「東洋史プラス西洋史すなわち世界史」という規定を排する。ではどうするか。向野によれば、酒井は、網羅主義の世界史にたいして、「世界史学」に基づく「世界史」を提起しているという。酒井の言葉によれば、「世界史学とは世界を対象とした歴史学」であり、「世界に住まう人間の社会生活の発展を対象とするもの」だという。「世界史学」は、「いわゆる日本史・東洋史・西洋史のたんなる綜合ではない。かつて行われた万国史ではない」。日本史・東洋史・西洋史の「それぞれの歴史の発展の共通な面をとりあげて、世界の共通の史的問題をとりあつかう」のである。だから、「日本史のある断面は、西洋史的問題としてじゅうぶんに意味をもつものであり、東洋史・西洋史においてもまた同様である。かくして日本史即世界史であり、東洋史・西洋史それぞれすなわち世界史でありうるといった世界史史学」を考えているという。だから、酒井は、日本世界史・西洋世界史といういい方もできるのだという。

 われわれが考える「日本の中の世界史・世界史の中の日本」という考え方に通じるのかもしれない。また何らかのテーマをもって地球上の諸国を「通地域・通国家的」に考えるという方向を考えていたのかもしれない。

 河野は、酒井の「世界史学」という概念は史学史のなかでなお確認しなければならないと注記しているが、概念は別としても、酒井が具体的にどういう歴史を考えていたのかは、興味のあるところである。酒井の『世界史の再建』においては、教育体制と教科書を材料にもう少し具体化されているようだが、向野がどのような理解をしめすのか、是非とも知りたいところである。

(「世界史の眼」No.27)

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論考掲載のお知らせ

世界史研究所所長の南塚信吾さんによる、論考「ウクライナ侵攻と新自由主義」が、『歴史学研究』2022年6月号に連続時評として掲載されています。どうぞご一読下さい。

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ウクライナ侵攻に関する論考掲載のお知らせ

本研究所研究員の木畑洋一さんの論考「歴史の針を巻き戻すプーチンの戦争」が、『法と民主主義』2022年5月号に掲載されました。こちらよりお読み頂けます。

日本民主法律家協会の発行する『法と民主主義』2022年5月号では、「ロシアのウクライナ侵略に反対する-9条徹底の立場から」という特集で、上記木畑論考のほか、松井芳郎(国際法)、君島東彦(平和学)、和田春樹(歴史学)、清水雅彦(憲法学)諸氏などの論考も掲載されています。

また、本研究所所長の南塚信吾さんの「大国のはざま 東欧「小国」の苦難」という記事が、4月24日(日)の朝日新聞文化面に掲載されています。なお、4月26日(火)には朝日新聞電子版(会員限定記事)にも、内容を拡充した記事が掲載されました。

いずれも、現在のウクライナ侵攻を、より長期的な世界史の文脈から分析する論考です。ぜひお読み下さい。

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「世界史の眼」No.26(2022年5月)

本号では、前号に続き、稲野強さんによる「1873年のウィーン万国博覧会における出品物の審査について―官営富岡製糸場製生糸「トミオカ・シルク」の場合―(下)」を掲載しています。(前号掲載の「(上)」はこちら)。また、法政大学の佐々木一惠さんに、益田肇『人びとのなかの冷戦世界―想像が現実となるとき』(岩波書店、2021年)の書評をお寄せ頂きました。

稲野強
1873年のウィーン万国博覧会における出品物の審査について―官営富岡製糸場製生糸「トミオカ・シルク」の場合―(下)

佐々木一惠
書評 益田肇『人びとのなかの冷戦世界―想像が現実となるとき』岩波書店、2021年。

益田肇『人びとのなかの冷戦世界―想像が現実となるとき』(岩波書店、2021年)の出版社による紹介ページは、こちらです。

また、すでにお知らせの通り、「世界史の眼」No.23とNo.24に掲載された、「戦前パラオの真珠産業と「南進熱」」に対して、小谷汪之さんに補遺をお寄せ頂きました。本論とあわせてお読み下さい。

小谷汪之
戦前パラオの真珠産業と「南進熱」・補遺

戦前パラオの真珠産業と「南進熱」(上)はこちら、戦前パラオの真珠産業と「南進熱」(下)はこちらです。

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書評 益田肇『人びとのなかの冷戦世界―想像が現実となるとき』岩波書店、2021年。
佐々木一惠

 冷戦とは何だったのか?本書のこの問いは、今、新たな意味合いを持って問い直されている。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。不安、戸惑い、怒り、さまざまな感情が人びとの間で沸き起こっている。本書は、こうした市井の人びとの感情が、冷戦という大きな歴史的な「現実」の構築に重要な役割を果たしていたことを明るみにする。

 本書の焦点は朝鮮戦争期である。1950年6月25日、北朝鮮が北緯38度線を越えて韓国に侵攻した。朝鮮戦争勃発のニュースは瞬く間に世界各地を駆け巡り、人びとの間に第三次世界大戦への不安と恐怖を巻き起こした。しかし著者の益田氏によると、第三次世界大戦の危機に対する反応は一様ではなかったという。例えば北朝鮮の軍隊が南進してきていたソウルでは、多くの住民はソウルに留まる選択をした。その背景には「同族だから何もしないだろう」という思いがあったという(67頁)。同じ頃、ニューヨークなどアメリカの大都市では、主婦たちが新たな世界大戦の勃発とそれに伴う物資の欠乏を心配し、生活必需品の買い出しに走っていた(70頁)。また中国では「国民党が広東と大連に上陸したらしい」などのデマが飛び交い(72頁)、日本では再軍備論が突如頭をもたげていた(77頁)。

 このように朝鮮戦争勃発が各地で創り出した「リアリティ」には地域差があった。本書はこの地域差に着目する。益田氏によれば、第三次世界大戦に関する言説が爆発的に広がったのは主に東アジア、ヨーロッパ、そして米国などの地域であったという(79頁)。これらの地域に共通していたのは、第二次世界大戦という強烈な体験、その記憶に基づく恐怖、また戦争経験が作り出した国民的記憶の存在であった。この第二次世界大戦の経験や記憶が、朝鮮戦争を第三次世界大戦の前哨戦と捉える見方を作り出し、さらにそれが個々の地域の文脈の中で冷戦という「現実」に真実味を与えていったと益田氏はいう。そこから本書は、膨大な史料の裏付けのもと、中国、米国、日本、イギリス、台湾、フィリピンを事例に、冷戦という「現実」が実際にはローカルな立場から見た世界情勢の理解であったこと、言い換えるならば、「地域特有のレンズ」(90頁)を通じた世界情勢の「翻訳」であったことを丹念に示していく。

 益田氏によれば、冷戦という「現実」を現実たらしめた装置の一つが「印象をめぐるポリティクス」であったという(第4章)。この「印象をめぐるポリティクス」においては、「安全保障」や「国防」といった概念の中に、人びとが「脅威」に対して抱く印象を管理することも含まれていた(156頁)。例をあげるならば、朝鮮戦争に参戦した中国には、38度線で停止し戦争を早期に終結させる選択肢があった。しかし中国は38度線南進という強行路線を選択した。その背景には、中国国内における革命的情熱の衰退への懸念(157頁)、そして国内外の人びとの心に中国が与える象徴的な意味合い、すなわち共産中国の大勝利と「美帝」(アメリカ帝国主義)の敗退(159頁)、という印象形成の目論みがあったという。

 さらに益田氏はこの「印象をめぐるポリティクス」が、普通の人びとにどう受け止められ、また冷戦の各種のプロパガンダや動員計画に普通の人びとがどう関わったのかを検証していく(第5-6章)。例えば、ソ連が提唱する真実(プロパガンダ)に対する巻き返しとして展開された米国の「真実キャンペーン」の活動には、多くのアメリカ人が参加した。その効果は、カリフォルニア州のある精神科医が、突如として「アメリカが警察国家になってしまった」と嘆くほどであった(191頁)。また中国では、日本の再軍備という新たな現実を受け、「抗美(米)援朝」運動が抗日戦争の記憶と結びつく形で展開されていった。この運動に参加したある中学生は、祖国に対する見方が変わり、「祖国がなければ何もない」という思いに駆られるようになったという(211頁)。このように米国においても中国においても、普通の人々は各種のプロパガンダや動員計画への参加を強要されたのではなく、むしろ国家の利益を守るという名目で自らを動員していた。そこには、社会に存在する隠れた願望、すなわち、一体感への切望や協調心の高揚というべきものが存在していたと益田氏は指摘する(212頁)。さらに益田氏は、これらの動員プログラムの主要な作用は、人びとの間に合意を形成することではなく、社会のどこに「敵」がいるのか、誰が「敵」なのかを明らかにすることにあったとする(191頁)。

 そこから益田氏は、個別具体的なローカルな局面において、誰が「敵」として粛清されていったのかを丹念に炙り出していく(7-10章)。米国のマッカーシズムでは、労働組合員、公共住宅計画や国民健康保険制度の推進者、アフリカ系アメリカ人の公民権運動家、フェミニスト、移民、ゲイやレズビアンらが、「非アメリカ的」分子として糾弾されていった(244頁)。イギリスや日本では労働組合員が粛清の主な標的になった。また中国の「鎮圧反革命」運動では、山賊、泥棒、地元のごろつきたちまでもが「反革命分子」として摘発されていった(287頁)。さらに台湾では「反共抗俄(共産主義に反対し、ロシアに抵抗する)」運動の旗印のもと、国民党政府への異論や不満が抑圧され(303頁)、フィリピンでは土地改革と社会正義の実現を掲げたフクバラハップ団が「非フィリピン」活動を行なったとして粛清された(311頁)。ここから見えてくるのは、朝鮮戦争期に各地で巻き起こった国内粛清は、必ずしも特定のイデオロギー(共産主義・資本主義)や政治体制(民主体制・独裁体制)に特徴づけられたものではなかったということである(315頁)。

 ではなぜ国内粛清現象が世界中でほぼ同時に発生したのか。また、この世界同時多発的な現象は何を意味していたのか。益田氏はそれを次のように説明する。まず同時多発的な国内粛清現象については、先に述べたように、朝鮮戦争の勃発により人々の間に呼び起こされた第二次世界大戦の記憶が、各地で第三次世界大戦の恐怖を引き起こしたことによって生じたという。そしてこの第三次世界大戦の危機は戦時ムードを作り出し、国内粛清を安全保障と治安維持の名のもとで正当化していった。さらに益田氏は、国内粛清が普通の人びとから支持を得た背景に、「政治」の本質の変化があったとする。それは、総力戦経験を経た社会においては、もはや国民の願望や心情を考慮することなしに政治を執り行うことがほぼ不可能な状況になっていたということである(162頁)。こうして国内粛清は社会的承認と支持によって遂行されていった。

 それではなぜ冷戦言説を盾とする「敵」の国内粛清が、各地で社会的承認や支持を得ることができたのだろうか。益田氏によると、そこには混沌とした戦後状況を「安定化」させたい、あるいは「秩序」だった(もっと慣れ親しんだ)「普通」の生活様式に戻りたい、という大衆的な「草の根保守的」な夢や希望が存在していたという(256頁)。この「草の根保守的」な願望こそが、戦後新たに台頭してきた新興勢力(土地改革者、労働組合員、仕事を持つ女性、アフリカ系アメリカ人など)を社会的に抑圧し沈黙させる運動の原動力になっていたという。ここから益田氏は、グローバル冷戦という「現実」は各国の首都中枢部に構える権力者だけでなく、社会における秩序維持と調和形成に意識的また無意識的に関与していた世界各地の無数の普通の人びとも、その参加者の列に含まれていたと結論づける(317頁)。  

 これまで見てきたように、本書は社会史、外交史、政治史を融合させながら、さらにローカル・ヒストリーとグローバル・ヒストリーの双方の見地から、既存の冷戦の歴史像に揺さぶりをかける優れた歴史研究書である。周到かつアクロバティックな著者の論の運びは読む者を圧倒する。本書の評価については、著者自身が巻末の解題において詳細に論じているが、この解題で指摘されていない点に最後に触れておきたい。本書は大衆感情や社会的通念、噂、またそれにまつわる不安や恐怖を、冷戦によって生み出された派生物ではなく、冷戦の「現実」を生み出した要因として捉えている(5頁)。そこから、市井の人びとを、冷戦論理の実践における受身的な存在というよりは、むしろその主体と見立て、彼・彼女らの「囁き、噂、心情」(12頁)を丹念に拾い上げ検証している。こうした点で本書は、昨今歴史学において注目されている感情の歴史学や、個人の主観性に着目するエゴ・ドキュメント(手紙・日記・回想録など一人称で書かれた史料)の歴史学にも大きな貢献をしている。よってこれは多分に無い物ねだりの指摘となるが、もし本書が感情史のパースペクティブ(「感情体制」や「感情の共同体」など)を意識的に取り込み論考を進めていたなら、グラムシのヘゲモニー概念(暴力的な強制ではなく服従する側の同意を取りつけることによる支配)を鋳直し、民衆の主体性の重層性・複層性・両義性をより深く照射したかもしれない。そこでは恐らく、ジュディス・バトラー(フェミニズム理論・セクシュアリティ研究)が言うところの具体化=身体化された複数的な行為遂行性(パフォーマティヴィティ)などの視点が重要な意味を持つことになるだろう。  

 いずれにしても、本書は冷戦に関するこれまでの見識を塗り替える画期的な研究であることは間違いない。そして、現在、ウクライナで進行している事態に際し、冷戦という「現実」が改めて問い直されるなか、本書の最後に書かれていた「私たち自身も(中略)日常レベルにおける、いわば権力者なのだから」(327頁)という言葉は、私たち一人一人に対する重い問いかけとなっている。

(「世界史の眼」No.26)

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