『世界史の中の「ガザ戦争」』(藤田進・世界史研究所編、大月書店)に寄せて
栗田禎子

 本書は現在も進行中のガザの事態に関し、これを世界史の中に位置づけてその性格・背景を明らかにすると共に、克服の展望―それはとりもなおさず今後の世界のゆくえを考えることに直結する―をも歴史学的観点から考察しようとする労作である。「はじめに」でも触れられているように、2023年10月にガザをめぐる状況が新たな(そして破局的な)段階に突入して以来、現状分析的あるいは地域研究的な視点からは既に多くの著作が発表されてきたが、問題を世界史の中に位置づけ、人類社会全体の今後のゆくえに関わるものとして捉えようとする姿勢を明確に打ち出している点で本書は際立っている。編者の藤田進、そして世界史研究所メンバーをはじめとする十数名の執筆者らの、「歴史家集団」としての面目躍如と言えよう。

 本書の構成は以下の通りである。

はじめに
第Ⅰ部 「ガザ戦争」とは何か―歴史から問う
第1章「ガザ戦争」の実像
1 二〇二三年一〇月七日まで
2 「ガザ戦争」
3 高まる世界的批判
おわりに
第2章 パレスチナ問題の歴史を読み直す
1 パレスチナ問題の起源―イギリスの責任
2 イスラエル国家とパレスチナ難民の解放闘争
3 二〇〇六年 パレスチナ分裂以降―ハマース政権下のガザ
第Ⅱ部 イスラエルと西側諸国
第3章 イスラエル・パレスチナ問題と米欧
1 米国のイスラエル・パレスチナ政策と反シオニズム
2 イスラエル批判と反ユダヤ主義
3 ドイツの〈反・反ユダヤ主義〉のドグマ
第4章 イスラエルの岐路
1 ガザ攻撃を続けるイスラエル国家が示すもの
2 イスラエルのユダヤ人問題
第5章 日本とガザ戦争―中東での戦争と日本の戦争国家化
1 中東の戦争と日本の関係性
2 日本の中東政策の原点―オイルショック
3 第一の転機としての湾岸戦争
4 第二の転機としてのイラク戦争
5 第三の転機としての集団的自衛権容認
おわりに――中東の戦争を利用した日本の戦争国家化
第Ⅲ部 対抗と平和への模索
第6章 「下から」の抵抗と変革
1 亡びることなき抵抗者たち―不死なるものムスタズアフィーン
2 「ガザ戦争」と「グローバルサウス」―戦争が顕在化する「グローバルサウス」空間の重層性
3 南アフリカのジェノサイド提訴
第7章 ロシア・中国と「ガザ戦争」
1 ロシアのユダヤ人問題と「ガザ戦争」
2 中国と中東問題―パレスチナおよびイスラエルとの関係を中心に
第8章 国連の改革へ
1 「ガザ戦争」と国際社会の失敗―国連の現場で見た「ガザ戦争」の現実
2 「ガザ戦争」と国際世論と国連改革
あとがき

 評者(栗田)は既に本書に関し、新聞の書評欄で概評を行ない、本書がガザ戦争は「植民地戦争」の現代版であり、ガザで起きていることは入植者国家イスラエルによる現地住民の集団殺戮(ジェノサイド)にほかならないとの視点を明確に示していること、ガザの惨劇を放置・黙認する先進諸国の姿を浮き彫りにしながらも、各国支配層と市民社会との間に「亀裂」が生じつつあることも明らかにしていること、そしていわゆる「グローバルサウス」の動向や国連の動きをはじめ、平和で民主的な世界に向けての国際的な「変化の兆し」に注目していること、等の特徴を指摘した(『しんぶん赤旗』2025年11月23日読書欄)。本書を貫くこのような骨太の姿勢と、その叙述に説得力と厚みを与えている多角的な視点とは、上記の章別構成からも明らかであろう。以上を基本的な認識、評価とした上で、以下では(上述の概評では紙幅の関係で触れられなかった点も含めて)追加的な感想やコメントを記すこととしたい。

 「はじめに」および第Ⅰ部について。2023年10月の事件がガザのパレスチナ人にとっては占領と封鎖を突破し、かつて自分たちが住んでいた土地に「帰還」するための闘いであったことを明確に示すと共に(「はじめに」)、続く第Ⅰ部で「ガザ戦争」そのもの(第1章)、およびその背後にあるパレスチナ問題全体(第2章)の性格と展開を歴史的に解き明かして行く。あくまで平易な語り口を心がけつつ、実は最新の研究の成果やアラビア語資料も用いた綿密な叙述がされている点が印象的である。ただ、注文をつけるとすれば、パレスチナの民衆の闘いを彼ら自身の視点から捉えようとする試みの前例として、本書の編者である藤田自身の著作である『蘇るパレスチナ―語りはじめた難民たちの証言』(東京大学出版会、1989年)を(「はじめに」あるいは第1章で)紹介し、同書が明らかにしたパレスチナ民衆運動史をめぐる貴重な知見を、本書の読者とも共有しておくべきではなかったか?『蘇るパレスチナ』はパレスチナの歴史を民衆の視点から捉える上での必読書であり、特に英委任統治期の1936~39年に展開されたパレスチナ民衆蜂起(いわゆる「アラブ大反乱」)をめぐる叙述・分析の深さは世界的にも例を見ない水準に達している。1936年蜂起の性格を知ることは現在のハマースによる運動を理解する上でも不可欠(1936年蜂起の「記憶」やイメージのハマースによる援用、という側面に限っても)と考えられるので、本書中に『蘇るパレスチナ』への言及がないのは惜しい気がした。(本書の刊行を機に『蘇るパレスチナ』が再び注目を集めることを期待する。)

 また、これとも関連するが、パレスチナ問題が(1948年のイスラエル建国でスタートするわけではなく)英帝国の中東支配の過程で生み出されたものであること、まさしく「植民地主義」にルーツを持つ問題であることを読者により鮮明に印象づけるためには、たとえば第2章の歴史叙述も(第一次大戦よりさらに遡って)19世紀末の列強による中東・アフリカへの侵略、植民地化過程を巨視的に振り返ることから説き起こす、という手法もあり得たのではないか、という印象も持った。(具体的にはエジプト占領や「アフリカ分割」、ボーア戦争等の歴史的意味の再確認。この時期に遡るチェンバレン、バルフォアといった「帝国主義人脈」の系譜の検討など。)それにより、ガザ戦争を19世紀末のアフリカでドイツが行なったのと同様の「植民地戦争」として捉える、という(「あとがき」での)問題提起が生きてくるし、また、たとえば「南アフリカの経験とパレスチナの経験は本当に共通しているのか」という第6章での問いとの対話の回路も準備できたのではないか、とも感じた。

 第Ⅱ部について。ここでは前述のように、イスラエルによるガザ攻撃を黙認あるいは支援する先進諸国(米国やドイツ、さらには日本)諸政府の姿が描き出され、イスラエル支持を正当化する思想的・イデオロギー的な装置(いわゆる「反ユダヤ主義」概念等)が分析されると共に、各国の支配層と市民の間の「亀裂」、中東での戦争に対し抗議の声を上げ始めた市民の動きにも目配りがされている。イスラエルという国家自体の性格や内部矛盾に関する分析も興味深い。注文をつけるとすれば、これらすべて(イスラエルを支える先進諸国の姿勢やイスラエル自体の行動)を「世界資本主義の現状」という視点から捉え、位置づけるとしたら、どのような分析が可能か訊いてみたい、ということだろうか。第Ⅰ部、そして第Ⅱ部第3章の叙述からも明らかなようにイスラエルという国家は当初は英帝国の中東支配の都合上建設が開始された入植者国家であり、第二次大戦後は米国の強力な後押しのもとに建国を実現、以後、冷戦期の米国の中東戦略の要とも言うべき役割を果たしてきた存在であるわけだが、冷戦終結後の今、先進資本主義諸国による中東支配の構造はどのような変容を遂げ、現在進行中の「ガザ戦争」は世界資本主義のどのような局面・段階を反映していると言えるのだろうか?ハイテク化・軍事化するイスラエル経済がグローバル資本主義の中で果たしつつある役割や、イスラエルの「新自由主義」路線への転換等をめぐる示唆的分析が見られるが、これをあらためて米国やヨーロッパ諸国、日本も含む大きな構図の中に位置づける議論も期待したい。現在の欧米における政治・思想状況やイスラエル国内のイデオロギーの変化、日本の戦争国家化等をめぐり、各章で展開されている鋭く深い分析を、冷戦後の世界の変容や、「新自由主義」の現段階という観点から統一的に捉え、説明することはできないだろうか?

 第Ⅲ部について。前述のように、いわゆる「グローバルサウス」の動向、またロシア、中国等の動きをも分析すると共に、国連の動きをはじめ、平和で民主的な世界をめざす「変化の兆し」にも注目を促す内容であり、興味深い。特に第8章にはUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)保健局長や米国の歴史家も寄稿するなど、執筆者の多様性、広がりを感じさせる部ともなっている。第Ⅲ部を読んで印象に残るのは、ガザ戦争をめぐり、先進諸国とは一線を画した態度をとっている「グローバルサウス」の動向を検討しながらも、むしろその内部の重層性や矛盾に着目する視点が示されていることである。評者(栗田)はイランの現体制が「ムスタズアフィーン(虐げられた弱者)」との連帯を掲げるイラン・イスラーム革命の理念のもとにパレスチナの民衆の抵抗を支援する姿勢をとっていることを基本的には評価する立場であるが、こうした姿勢の根底に「善悪二元論」があり、また一種の「戦士文化」が存在する(それは男性中心主義にもつながる)ことをイスラーム研究の立場から批判的に指摘した分析(第6章)は興味深いと感じた。また、「グローバルサウス」諸国の政府も実は「新自由主義」路線をとっており、先進資本主義諸国やイスラエルと利害の共通性を有していることを鋭く指摘する論考もあり、ここには(先に第Ⅱ部への「注文」として記した)世界資本主義の現状の中にガザ戦争を位置づける、という発想が観察されると言えるかもしれない。

 それと同時に感じたのは、(現実には「新自由主義」にからめとられ、腐敗し、独裁化しつつあるかもしれない)「グローバルサウス」の諸政府が、にもかかわらず公的には先進諸国とは一線を画し、国際政治の場でガザ戦争に批判的なスタンスを示しているという事実の背後には、やはりこれら諸国の民衆の存在―植民地支配や占領に苦しんだアジア・アフリカ・ラテンアメリカの民衆の経験と、それゆえに彼らがガザの状況に寄せる共感―があり、それが各国の政府の立場を否応なく規定しているという面もあるのではないか、ということであった。本文中にも(「国家」主体のBRICSではなく)「民衆が主体のグローバル空間の構築」が重要だとの指摘があるように、グローバルサウスの「政府」だけでなく、その背後にある「民衆」のエネルギーにも注目する必要があるのではないか。

 「冷戦」終結以降、「新自由主義」時代のグローバル資本主義の下で、世界の民衆はともすれば支配エリートの価値観・言説を植え付けられ、分断され、搾取や差別に対し抗議の声を上げる力を奪われてきたが、現在ガザで進行中の事態は、そのあまりに破局的な様相――まさに民衆を標的とするジェノサイド、絶滅戦争という性格―ゆえに、全世界の民衆を覚醒させ、その怒りとエネルギーを解き放ちつつあると言えるかもしれない。―「ガザ戦争」はまさしく人類史の転換点なのではないかと感じながら、本書を読了した。

(「世界史の眼」No.69)

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「世界史の眼」No.68(2025年11月)

今号では、明治大学の山田朗さんに、林博史『沖縄戦:なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書、2025年)を書評していただいています。

また、南塚信吾さんによる「江戸後期の対外認識―「ハンベンゴロー事件」の衝撃」を掲載しました。(※11月5日)

南塚信吾
江戸後期の対外認識―「ハンベンゴロー事件」の衝撃

山田朗
書評:林博史『沖縄戦:なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書、2025年)

林博史『沖縄戦:なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書、2025年)の出版社による紹介ページは、こちらです。



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書評:林博史『沖縄戦:なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書、2025年)
山田朗

戦後の平和と繁栄は犠牲者のおかげか?

 2025年10月10日、石破茂首相(当時)は、「戦後 80 年に寄せて」と題する「内閣総理大臣所感」を発表した。この日は、81年前(1944年)、米空母機動部隊の艦載機によって沖縄本島をはじめとする南西諸島が大規模な空襲を受けたいわゆる「十・十空襲」の日である。この空襲は、無差別爆撃となって那覇市は旧首里城を含む約90%が焼失、沖縄本島だけで軍人・軍属218名、陸軍人夫120名、民間人330名が犠牲になり、その他に船舶の被害で民間人約600人が死亡したとされている。当時の日本政府(小磯國昭内閣)は、この無差別攻撃に、中立国スペインを介してアメリカ合衆国政府に対して、国際法に違反するものだとの抗議を行なっている(合衆国政府は無回答)。もっとも、「石破所感」は、「十・十空襲」やこの無差別攻撃という歴史を意識して、この日を選んで発表されたものとは思われない。

 それどころか、この「所感」は、戦前日本の植民地支配や侵略戦争については一言も言及せず、「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。」といった、いわゆる「おかげ論」(戦後の平和と繁栄は犠牲者のおかげだとするもの)を展開している。だが、現実には、日本人犠牲者の前に、アジアにおける2000万人を超えるとされる膨大な犠牲者が存在し、日本軍将兵の犠牲も半分以上は餓死・病死であり、日本人犠牲者310万人の約90%は、戦争の勝敗が決した後の最後の1年間に生じたもの(吉田裕『続・日本軍兵士』中公新書、2025年)であることを考えると、犠牲者の「おかげ」で戦後の平和と繁栄があるとする議論は、大きな欺瞞を含んでいる。戦争の犠牲者を日本人(植民地支配下にあった人々を含む)に限定してみても、軍人・民間人の膨大な犠牲は降伏を許さない、捕虜になることを許さない日本軍というシステム、それを支えた政府や日本社会のあり方によって死ぬことを強いられた、いわばそのような制度的な束縛によって殺されたものである。

 降伏を許さない、捕虜になることを許さないというシステムは軍人だけでなく、民間人にも強制され、本来であれば助かる命がむざむざと失われた。そのことをはっきりと示すのが沖縄戦である。沖縄戦に関する本は、数多くあるが、林博史『沖縄戦:なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書、2025年)ほど沖縄戦の実態を深く、かつ広がりをもって叙述している本は他に例を見ない(なお、前述した「十・十空襲」に際しての日本側の抗議、米側無回答の件も、本書156〜157頁に記述されている)。

沖縄戦の全体像と細部に至るまでをも示す周到な構成

 『沖縄戦:なぜ20万人が犠牲になったのか』の章立ては以下のとおりである。長いスペースを取るにもかかわらず、章・節だけでなく、項まですべて示したのは、本書の構成から本書の叙述の時間的・空間的広がり(隙のなさ)を見ていただきたいからである。

序 なぜ今、沖縄戦か
第一章 沖縄戦への道
 1 沖縄の近代—同化・差別と反発
     琉球王国から沖縄県へ  
     同化と差別・貧困への反発
 2 中国やアジア太平洋への侵略戦争と沖縄
     中国での沖縄出身兵士たちの体験
     沖縄の外に送られた労働力と「南進論」
 3 なぜ沖縄が戦場になったのか
     沖縄への日本軍の配備と飛行場建設  地上戦闘部隊の増強
     本土防衛の捨て石としての沖縄
     米軍はなぜ沖縄をねらったのか
第二章 戦争・戦場に動員されていく人々
 1 沖縄の戦時体制
     社会運動や思想の弾圧
     行政・教育による戦時体制づくり
     天皇・国家に命を捧げる国民づくり—皇民化政策
     人々を動員していく地域社会
      戦争を煽るマスメディア
      徴兵を忌避する人たち 
 2 戦場動員態勢へ
     軍のために動員される人々
     徴用
     食糧など物資の供出
     日本軍将兵の横暴・非行
     軍と県の対立
 3 疎開—根こそぎ動員と表裏一体の政策
     役に立たない者を疎開させる
     県外疎開—一般疎開と学童疎開
     県内疎開
     宮古・八重山の疎開
 4 軍と県による戦場動員
     軍県一体で進められた「県民総武装」
     軍人として召集された中学生—鉄血勤皇隊
     一般住民を戦闘員に—義勇隊                               
第三章 沖縄戦の展開と地域・島々の特徴
 1 米軍最初の上陸—慶良間諸島
 2 米軍の沖縄本島上陸 一九四五年四月
     沖縄本島上陸
     大本営と天皇の戦争指導
 3 沖縄本島中部の激戦 一九四五年四月~五月
     運命を分けた地域
     斬り込みに駆り出される兵士たち
     天皇・政府から見放された沖縄
     時間稼ぎの南部撤退
     住民スパイ視を煽った日本軍
 4 沖縄本島北部の戦闘
     広大な北部に配備されたわずかな国頭支隊
     ゲリラ戦部隊の遊撃戦
     軍官民一体のスパイ組織・住民監視
     日本軍による住民虐殺
     ハンセン病者の犠牲
     米軍による住民虐殺                                         
 5 沖縄戦の終焉—本島南部 一九四五年六月
     多くの民間人を道連れにした海軍部隊
     組織戦闘の終焉
 6 飢えとマラリアの宮古・八重山
     宮古諸島
     八重山諸島
     戦犯裁判
 7 離島の沖縄戦
     沖縄本島周辺の島々
     久米島・粟国島・渡名喜島
     伊平屋島・伊是名島
     大東諸島
     奄美群島・トカラ列島
 8 米軍の戦闘方法、心理戦、軍政と収容所
     十・十空襲と米軍の攻撃方法
     心理戦
     軍政と収容所
     「戦後」の出発
     捕虜収容所
 9 沖縄からの九州奄美への爆撃                                     
第四章 戦場のなかの人々
 1 日本兵たち
     変化する日本軍
     捕虜になることを許さない日本軍
     人々の良心良識を抑圧する軍組織
 2 日本軍による住民に対する残虐行為
     日本軍による住民虐殺
     日本軍によって死に追いやられた人々
     スパイ視された障がい者たち
 3 戦場に駆り出された人々
      戦場動員された義勇隊員
     本土決戦の先取りとしての沖縄戦
     海の墓場に駆り出された漁船と漁民たち
 4 「集団自決」
      慶良間列島
     沖縄本島中部
     伊江島
     沖縄以外
     起きなかった地域・島々
        なぜ「集団自決」が起きたのか
 5 学徒隊
     男子学徒隊
     女子学徒隊
 6 死を拒否した人々
     生きることを選んだ民間人
     投降を促した人たち
     助かった人たち
 7 防衛隊員
     主力温存のための捨て石部隊
     生きようとした防衛隊員
     なぜ防衛隊員たちは「玉砕」を拒否したのか
     沖縄出身兵たち
 8 朝鮮人
     軍夫
     朝鮮人兵士たち
     船舶の乗組員など
 9 日本軍「慰安婦」と性暴力
     日本軍「慰安婦」
     日本軍「慰安婦」にされた朝鮮人女性
     米軍の性暴力
 10 沖縄の外での戦争に参加した沖縄の人々
     無謀な作戦の犠牲になった兵士たち—中国・大陸打通作戦
     戦後も帰らなかった兵士たち
     戦犯になった沖縄の人たち
 11 移民した人たちの戦争
     中国・「満州」
     東南アジア
     南洋諸島
     南米                                                       
 12 米軍兵士にとっての沖縄戦
     戦争神経症の多く出た米軍兵士たち
      沖縄にやってきた米軍部隊の戦歴
第五章 沖縄戦の帰結とその後も続く軍事支配
 1 どれほどの人たちが亡くなったのか
     戦没者数の推計
     南部撤退・戦闘の長期化と北部疎開が増大させた犠牲
     沖縄の外での戦没者
  2 どうすれば犠牲をなくせたのか、減らせたのか
     民間人を守る方法はなかったのか
     沖縄戦は避けられなかったのか
 3 加害と侵略の出撃基地—米軍基地
     加害の出撃基地
     沖縄/日本に集中する米軍基地
 4 沖縄戦の戦後処理
     遺骨収集と追悼
     援護法の適用と歪められた沖縄戦像
     不発弾
 5 沖縄戦の認識・体験談・研究
     沖縄戦叙述・研究の歩み
     自衛隊の沖縄戦認識
おわりに
あとがき
参考文献

〔県市町村史・字史74点、一般文献146点、英語文献4点、林博史文献単著9点、林博史文献論文・史料紹介10点 合計243点〕

新書判、348頁 〔 〕内は山田による補足

 書物の構成(目次)というものは、その著作の見取り図であり、どのようなパーツをどのように配置し、組み立てているのかを、端的に示すものである。もちろん、叙述そのものが大切であることは勿論だが、読者はこの見取り図を見ることで、その著作の意図や力点の置き方、著者の用意周到さを読み取ることができる。

 本書の構成(目次)を見ると、沖縄戦という対象を歴史として、あるいは現代につながるものとして考える上で、必要な素材が過不足なく周到に盛り込まれていることがわかる。なぜ、このような周到な構成を作成できたのか。それは、著者がこれまでに沖縄戦に関して実に多角的に研究を蓄積してきたからである。参考文献欄と本書本文でわかるように著者は、『沖縄県史』(新県史)の編纂に深くかかわってきただけでなく、『沖縄戦と民衆』(大月書店、2001年)、『沖縄戦:強制された「集団自決」』(吉川弘文館、2009年)、『沖縄戦が問うもの』(大月書店、2010年)、『暴力と差別としての米軍基地:基地形成史の共通性』(かもがわ出版、2014年)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(吉川弘文館、2018年)などの沖縄・沖縄戦・沖縄の基地問題に深く切り込んだ仕事をしてきた。それに多くの人が知るように、著者は、日本軍の戦争犯罪・BC級戦犯裁判、日本軍「慰安婦」の問題においても特筆すべき成果をあげて来ており、大日本帝国・日本軍・戦争の矛盾の凝縮点とも言える沖縄戦について分析・執筆し、問題の所在を明らかにするのに、これほどうってつけの執筆者はいないだろう。

本書の叙述の特徴(1):沖縄戦を時間・空間・社会的広がりの中で描く

 本書は、沖縄戦をテーマにした新書ではあるが、通常の新書のスペースには収まりきらない叙述を特徴としている。本書では、第1に時間的広がり、第2に地理的広がり、第3に社会的広がり、第4に戦争の加害と被害の関係性に十分配慮した叙述がなされている。

 第1の時間的な広がりを十分に考慮した叙述という点では、第一章において時間的に琉球王国から説きおこし、近代日本に併合され、強権的な同化システムのもとでの差別と貧困、そして「南進」の拠点とされていくプロセス、日本の世界戦争への参戦によって沖縄が否応なく戦場にされていく流れが示される。そして、第三章1~5で沖縄戦の始まりから終焉までの経過が丁寧に追われ、さらに同章8・9で沖縄が本土空襲の基地として使用されたこと、第五章3・4で戦後も続く米軍による軍事支配と戦後処理問題が解説されている。つまり、沖縄戦を中心に据えながら、前近代から現在に至るまでの沖縄と沖縄の人々が置かれた立場を細大もらさず叙述している。いろいろな本を読まなくても、まずは本書1冊を読めば、歴史の大きな流れの中の近代沖縄史・沖縄戦・戦後沖縄史がわかるようになっている。

 第2の地理的広がりという点では、大日本帝国が行った戦争がアジア・太平洋・インド洋に及ぶ広大な地域を舞台にしていることを前提として、沖縄戦を連合軍と日本軍の戦略の中で、東南アジア・中国戦線との関わりで捉え、日本本土と沖縄の関係性、そして沖縄本島だけでなく(「本島」中心主義に陥らず)、第二章3や第三章6・7など可能な限り先島諸島や周辺島嶼・離島にも目配りした叙述になっている。また、本書のサブタイトルにもある「なぜ20万人が犠牲になったのか」という点では、戦闘による様々な形態の直接的犠牲だけでなく、疎開・食糧不足・マラリアなどによる犠牲にも地域ごとに丹念にふれ、戦争の犠牲・被害というものが、直接に戦闘に巻き込まれなくても広範囲で起こることを示している。

 第3の社会的広がりという点では、とりわけ第四章において沖縄戦にかかわった様々な階層の人々を丁寧に叙述し、非常に内容が充実している。沖縄戦における日本兵の戦い、沖縄の人々への差別意識と残虐行為、とりわけ投降しようとする兵士・一般住民を射殺したり、さまざまな場面で住民をスパイ視して虐待、殺害したりする日本兵の事例を数多く紹介している。また、「捨て石」部隊として戦場に投げ込まれた一般住民である防衛隊員・義勇隊員の実態、米軍に捕まったらどうせ殺されるのだからと説いて一般住民の女性まで手榴弾を持たせて「斬り込み」に参加させた日本軍、沖縄の一般住民にとって、米軍の「鉄の暴風」と日本軍の威圧・強要の板挟みの中で「集団自決」を強いられた状況が具体的に描かれる。一般住民の「集団自決」の多くは、軍人の命令や日本兵や官吏が語る中国戦線での体験談(捕虜は殺され、女性は性暴力の対象となる)に後押しされて生じている。

 そして、本書の大きな特徴の一つだが、「集団自決」しなかった人々、「玉砕」を拒否した人々、兵士や住民に投降することを促した人々の存在を、それらの人々がそうした選択をした理由を含めて(移民体験者が多く、「鬼畜米英」の宣伝に疑問を持っていたことなど)丁寧に叙述している。これは、回想録などの文献調査だけでなく、沖縄で広範に実施されてきた聞き取り調査の成果が生かされているものだ。また、沖縄戦に多数が投入された朝鮮出身の軍人・軍属・労働者の存在、日本軍「慰安婦」のこともきちんと描かれている。

本書の叙述の特徴(2):沖縄戦における加害・被害の関係性

 本書は、沖縄戦における加害と被害の関係性を、米軍による加害、日本兵・沖縄住民の被害という単純化された枠組みで捉えることを拒否している。むしろ、沖縄戦の特徴として日本軍・官吏による加害(軍と政府・県当局による軍民一体体制の構築、戦争批判者の排除)、沖縄住民の被害、さらには沖縄住民の中における加害と被害(沖縄出身日本兵も時には住民にとっては加害者であった)、日本人による加害と朝鮮人の被害、「慰安婦」の被害など、加害と被害の重層性・複層性を描き出している。また、単に一部の「悪い」日本兵が一般住民を酷使・虐待したという捉え方ではなく、国際的な規範から逸脱し、捕虜になれない日本軍という自縄自縛のシステムと、日中戦争における日本軍による残虐行為(捕虜や一般住民の殺害、略奪・性暴力)の裏返しとしての敵観念(米軍も同じことをやるに違いないという誤認知)が、日本軍兵士たちを住民抑圧の加害者にしていったという加害と被害の構造を明らかにしている。

 本書は、著者による長年の沖縄戦研究、戦争の加害と被害についての研究の「まとめ」という役割を担っているものであろう。沖縄戦について考えたい、学びたい、あるいは戦争とはどのようなものであるか考えたい、学びたいと思う人には、ぜひ本書を手に取ることをお勧めしたい。前述したように、本書は、これまでの著者自身の沖縄戦研究だけでなく、多岐にわたる沖縄研究・戦争研究に支えられたものであるので、戦争について、沖縄戦について、沖縄についてさらに深く学ぼうと思っている人にも、本書は格好の道案内、問題別のインデックスとなるであろう。

 おそらく著者が、本書をこの時期に執筆、刊行したのは、2025年が「戦後80年」という節目にあたり、過去の戦争に関する振り返りが行われることを予期したからであろう。そして、長年にわたって沖縄そのものをウオッチしてきた著者は、沖縄の現在の姿に大きな危惧を抱いているからだと思う。かつて、「本土決戦」準備の「捨て石」とされて、20万人もの犠牲者を出した沖縄が、現在、日米安保体制のもとで軍備拡張と国際的な緊張の最前線となっている。「台湾有事」なるものが喧伝され、沖縄の島々にスタンド・オフ・ミサイルをはじめとする「抑止力」を担う部隊が配備されつつある。軍拡には軍拡で、軍事力の展開には軍事力の展開で対抗しようというパワーポリティクスそのものの動きが強まる中で、沖縄戦の歴史から世界と日本の政治が、世界と日本の市民が深く学んで教訓を汲み取って欲しい、そうしなければ、「20万人の犠牲」の存在を私たちは生かせないのではないか、そうした著者の思いが強く伝わってくる、実に読み応えのある一冊である。

(「世界史の眼」No.68)

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世界史寸評
参政党の歴史観を考える(その2)―「南京事件は捏造」なのか

 2025年10月3日の『毎日新聞』デジタル版は、“「南京事件は捏造」と主張する参院議員 研究者が鳴らす警鐘とは”と題する記事を載せた。矢野大輝記者によるこの記事は、「今夏の参院選で、旧日本軍が1937年に中国・南京を占領後、捕虜や民間人を殺りくした南京事件(南京大虐殺)を「捏造(ねつぞう)」「フィクション」と主張する候補が当選した」ことを問題として取り上げたものである。

 南京事件は、日中戦争で上海を攻略した旧日本軍が、中国国民党政府の首都・南京を陥落させた1937年12月~38年3月に、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や住民らを殺害し、強姦などを重ねた事件を指すが、これを「捏造」とする者が当選したというのである。

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 記事によれば、8月8日に「ユーチューブ」にアップされた教育研究者の藤岡信勝氏との対談で、参院選で初当選した参政党の初鹿野(はじかの)裕樹氏=神奈川選挙区=が「南京事件は捏造」だと主張し、隣に座った参政党の神谷宗幣代表も、南京事件は「もうすっかり日本軍の罪にされて」と付け加えたという。初鹿野氏は、南京事件で殺されたという人たちの「(遺)骨もどこにあるか分からないし、証拠だという写真も全部捏造。何も証拠もないような状況で、あったと断定するにはおかしいのではないか」と言ったという。実は、初鹿野氏はX(ツイッター)でもすでに6月18日に「南京大虐殺が本当にあったと信じている人がまだいるのかと思うと残念でならない」と投稿しているという。

 初鹿野氏が南京事件を否定している根拠の一つが、南京市の人口である。上の「ユーチューブ」では、旧日本軍が侵攻した37年12月にそれは「20万人」で、2カ月後には「25万人に増えている」とし、「30万人も40万人も人が亡くなっていることはない」と主張している。さらに『毎日新聞』が初鹿野氏に送った質問状への回答では、この人口について、事件当時南京在住の外国人で組織した南京安全区国際委員会が作成した文書群「DOCUMENTS OF THE NANKING SAFETY ZONE」(39年出版)を根拠として示したという。加えて、南京事件を否定している別の根拠として、写真も「南京事件の揺るぎない証拠として認定されたものはない」し、南京事件の目撃者や1次資料について「中立性のある第三者による有効なものがない」と回答したという。その上で、「歴史教科書のほぼすべてが南京事件があったという前提で書かれていることが問題と捉えている」と指摘したという。

 記事は、日本保守党から比例代表で出馬し初当選した作家の百田尚樹氏も、南京事件について組織的、計画的な住民虐殺はなかったとしていることを、想起している。かれの著書『日本国紀』(2021年、文庫版)では「占領後に捕虜の殺害があったのは事実」で、「一部で日本兵による殺人事件や強姦(ごうかん)事件はあった」と認める一方、「民間人を大量虐殺した証拠はない」と主張している。その根拠の一つとして、同じく人口問題を取り上げて、「南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人」とし、「『30万人の大虐殺』が起きたという話がありますが、これはフィクションです」と記しているというのである。

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 『毎日新聞』の記事は、このような主張に対する歴史家たちの批判をあげている。

 まず、南京事件の研究者で現代史家の秦郁彦氏は、虐殺があったと裏付ける証拠写真の特定は難しいとしつつ「(証拠)写真がないからといって南京事件がなかったとはならない」と言う。その理由として、当時の旧日本軍の戦闘詳報や外務省東亜局長が日本軍の不法行為を日記に書きとめていたことを挙げ、初鹿野氏の主張について「根拠が乏しい。ある程度の規模の民間人の虐殺があったことは否定できない」と批判したという。

 次に、同じく南京事件について研究する都留文科大学の笠原十九司(とくし)氏は、初鹿野氏と百田氏が持ち出す「人口」の根拠を、もっと実証的に「間違っている」と指摘しているという。

 笠原氏によると、南京市内に「占領前に20万人」いたという資料はなく、南京市政府の調査では占領直前の人口は50万人だったと記載されている。笠原氏は、初鹿野氏と百田氏が持ち出す「20万人」という数字は、南京安全区国際委員会で委員長を務めたドイツ人がヒトラーに宛てた手紙の中に出てくるものだが、これは市内の安全区に避難すると見込まれた人数の推計で「南京市の人口ではない」という。笠原氏は、占領2カ月後に「25万人に増えている」という主張についても否定する。旧日本軍がその頃に中国軍の敗残兵を見つけ出す目的で実施した住民登録で南京城内の住民は、安全区に20万人、その他の地域に5万人いたことを示す資料はあるが、南京市の占領直前の人口が50万人だったことを考えると「増えた」とする根拠にはならないという。

 なお、笠原氏は、その著書『南京事件』(岩波新書 1997年)において、南京事件を史実をもって跡付けており、外国人ジャーナリストや外国大使館員らが事件を報じていることも示している。さらに氏の『南京事件 新版』(岩波新書 2025年)は、関係者の証言をさらに加え、写真も載せ、そして南京事件の犠牲者の総数についてデータをもって証明している。

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 最後に『毎日新聞』の記事は、被害者数については日中の研究者で開きがあるものの、事件そのものは日本政府も認めていると指摘する。外務省はホームページに「日本政府としては、日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」との見解を掲載している。

 また、日中両国政府による「日中歴史共同研究」の日本側の報告書(10年)には「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と記載されていて、死者数は、中国側の見解が「30万人以上」、日本側の研究では「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。

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 記事の中で、笠原氏は、世界各地で戦争が今も絶えず日本でも防衛費が増額していることに触れ、「南京大虐殺の基礎知識や日本の侵略戦争がいかに残酷で無謀だったかということを知らない世代も増えてきている。デマに流されず、事実を見つめてきちんと反省しないと、日本は戦争という同じ過ちを繰り返すことになる」と述べている。記事は、戦後80年を迎え戦争の記憶が薄らぐ中、歴史研究者は「史実を見つめないと、また同じ過ちを繰り返すことになる」と「良識の府」(参議院)の担い手に警鐘を鳴らしていると、指摘している。これは「良識の府」だけの問題ではないであろう。

(南塚信吾)

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世界史寸評
「ガザ」とアメリカ歴史学会―P.マニングからのメールに思う

 わたしたちが出した『世界史の中の「ガザ戦争」』(大月書店)を、先日、アメリカのピッツバーグ大学のパトリック・マニングに届けた。マニングは、この本に国際連合の改革についての論稿を載せてくれた歴史家で、アメリカの内外で「世界史」を先導していることで知られている。

 この本をかれに送るについてはひと騒ぎがあった。9月に始め、日本からアメリカの彼に本を送ろうと郵便局へ行ったところ、この本は金額的にも本の目的としても問題ないはずであるが、いまトランプ関税の影響で通関業務が混乱していて、本がいつ着くか分からないし、無事に着くかも分からない、その場合には本は戻ってくるが、郵送料は帰ってこないと言われた。だから、1か月ぐらいは様子を見た方がいいというのであった。途方に暮れていたところ、たまたまわたしの息子が9月に末にワシントンへ仕事で行くというので、かれに本2冊を預けて、ワシントンで郵送してもらうことにした。それで無事にマニングに本が届いたのであった。

 さて、本を受け取ったマニングから早速メールで本2冊の安着を知らせてきた。そして、こう書いてきた。

  1. 本の1冊をピッツバーグ大学の世界史センターのセンター長であるラージャ・アダルRaja Adalに渡そう。かれは日本史の専門家で日本語もできる。かれに言って、日本語をできて、ガザ危機に関心を持っている人たちに、この本の事を広めてもらうつもりだ。
    ―マニングは2008年にピッツバーグ大学の世界史センターを創設した人物で、わたしもその最初の研究員として招聘され、4か月を過ごしたことがある。
  2. アメリカ歴史学会American Historical Association (AHA)の中に、ガザに関心を持って非常にアクティヴに活動している「平和と民主主義を求める歴史家集団」Historians for Peace and Democracy (HPAD)というのがあるので、そこに書簡を送って、今回の本のことを知らせ、日本語ができる歴史家たちに接触してこの本を探して読むように勧めるつもりだ。ついでに言うと、アメリカ歴史学会(AHA)は、2025年の総会においてガザでの「学校潰し」”scholasticide”についての決議を拒否していたが、最近HPADのリーダーたちに接近し、ガザに関する委員会をAHAに設けることで一致した。最近、われわれは、この重要な問題について、少しずつではあるけど、前進しているのだ。
    ―この「学校潰し」についての決議をめぐる問題というのは以下のようである。2025年1月5日にAHAの実務者会議business meetingが、「ガザでの学校潰しに反対する決議」を出していた。イスラエルがガザであらゆる教育機関を攻撃してそれを潰していたことに反対する決議である。決議はイスラエルのジェノサイドとアメリカのそれへの支援を非難するものであった。しかし、1月17日のAHA評議会はその決議を否決した。それは教育と研究というAHAの学術的な目的を規定したAHA規約の枠外にあるものだからというのであった。ところが、そのようなAHA指導部の姿勢が最近変化したというのである。マニングは2016-2017年にAHAの会長をしていたから、このようなAHAの変化にホッとしたことであろう。(詳しくは、The American Historical Association Council Betrayed its Members and the People of Gaza – Left Voice

 このように、マニングのメールからは、ガザへの関心を広めようという動きが細々と進められていること、そしてアメリカにおけるガザ問題が歴史家のあいだに竜巻を引き起こしていることを垣間見ることができるのである。

(南塚信吾)

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「世界史の眼」No.67(2025年10月)

今号では、先号より連載の小谷汪之さんの「敗戦と「南洋」―「土人」という言葉に触発されて」の(下)を掲載しています。今号にて完結です。また、東海大学の菅原未宇さんに、アンドリュー・リース(鹿住大助訳)『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)の書評をご寄稿いただきました。

小谷汪之
敗戦と「南洋」(下)―「土人」という言葉に触発されて 

菅原未宇
書評:アンドリュー・リース著、鹿住大助訳『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)

アンドリュー・リース(鹿住大助訳)『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)の出版社による紹介ページは、こちらです。

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書評:アンドリュー・リース著、鹿住大助訳『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)
菅原未宇

 本書は「ミネルヴァ世界史<翻訳>ライブラリー」の一書として、オクスフォード大学出版局から出版されたNew Oxford World Historyシリーズのうち2015年に刊行されたThe City: A World Historyを翻訳したものである。著者のアンドリュー・リースはアメリカの近現代ドイツ社会史、思想史、都市史研究者である。

 第1章「初期都市の起源と位置」の冒頭で著者は、歴史上長きにわたり相対的に少数の人口を擁したに過ぎない都市が、社会に深い影響を与え、人類史の決定要因となってきたと述べ、都市の世界史を語る意義を示す。最初期の都市は紀元前4000年紀半ば、都市形成の前提条件である余剰食糧の生産地域から近く、水利に恵まれたメソポタミアに出現した。次いでその影響を受けながら、それぞれ異なる特徴を有した都市がエジプト、インダス渓谷に建設された。独自の都市化が起こった中国では、紀元前3000年頃に都市の出現が見られ、紀元前500年頃までに、人口10万人超の都市が少なくとも四つ存在するという、同時代の他地域では見られない状況を呈した。中央アメリカにおいても都市ネットワークの建設が確認できるが、そのほかのほとんどの地域において都市はまだまれな現象であった。

 第2章「大都市」では、紀元前500年から紀元300年にかけて都市文明の繁栄を見た地中海沿岸都市が主として論じられる。中でも、政治制度や建築、文化の面で独創性を示したアテネ、ヘレニズム世界の文化的中心となったアレクサンドリア、世界史上最初の巨大都市といえるローマについて考察がなされた。ローマ人の手で、帝国内の各地にローマ同様の公共建築を備えた都市が築かれたこと、同時代にはそのほか、パータリプトラや長安、洛陽といった王国の首都が、ギリシア・ローマの影響圏の外に発達したことも記される。

 第3章「衰退と発展」では、西欧が西ローマ帝国の崩壊による都市の衰退とその後の再発展を経験する4世紀から15世紀までの世界各地の都市の展開を跡付ける。当該時期前半、11世紀までのヨーロッパにおいて都市の活力を牽引したのはビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルであった。アジアとヨーロッパ、地中海と黒海を結ぶ国際商業網の要に位置したことが、その繁栄の鍵であった。同様に、首都という政治的地位と大陸間貿易の経路という地理的条件によって発達を遂げたのは、8世紀後半にアッバース朝カリフによって築かれたバグダードである。中国では行政中心地を主な核として都市網が形成され、長安、南京、大都といった時の帝国の首都がその頂点に位置した。アメリカ大陸においては、14世紀にアステカ帝国の首都として建設されたテノチティトランが、15世紀末までに西半球最大の都市に発展した。これら大国の首都として整備された都市と異なり、当該時期後半に再発展を遂げた西欧都市は、個人の居住選択の結果出現したという特徴があった。そのほか日本、カンボジア、西アフリカで都市の発生が見られた。

 第4章「首都、文化、植民地化、革命」は、16世紀から18世紀までの都市を検討対象とする。近世ヨーロッパでは、政治的中央集権化の結果、首都の急拡大が見られ、とりわけ北西部において急速に都市化が進展した。アジアでは、進出してきたヨーロッパ人との交易も部分的には寄与したが、多くはそれぞれの地域内の要因により都市化が進展し、例えば大名による城下町の建設によって日本における都市部の人口割合は増大した。中でも行政の中心地たる江戸は文化的消費の中心地としても繁栄を極めた。他方、アメリカ大陸においてはヨーロッパ人による植民都市建設が都市化を主導した。中でも18世紀第四四半期に英語圏で二番目の大都市となったフィラデルフィアは、公共圏の成立を背景にアメリカ独立運動の主たる原動力となった。社会的格差などの問題を孕みつつ巨大都市となったパリとロンドンにおいてはすでに同様の公共圏の発達が生じており、アメリカ独立に力づけられた人々は、パリでは革命を成し遂げ、ロンドンでは急進主義組織の活動を通じて民主主義の拡散を図った。

 第5章「工業化時代における都市の成長とその結果」は、世界大戦勃発までの長い19世紀の都市について考察する。新たな国民国家の樹立による行政の中央集権化と産業革命の結果、都市への人口集中が生じた。工場での高生産性を担保するのは蒸気機関という新たな動力源や機械の導入だけではなく、多数の労働者の工場近くへの居住でもあったからだ。機械化された輸送手段の登場は農村から都市への移住も促すことになった。過密に伴う公衆衛生上および道徳上の懸念から、都市環境の改良を目指した民間団体による事業が活発化した一方、権限強化された地方自治体の主導で、19世紀半ばから20世紀初めにかけてヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で衛生面を中心にインフラ整備が進められた。加えて、百貨店やミュージックホールなどの文化的インフラが大衆消費市場の力で生み出され、これらは都市の魅力、都市生活への愛着を強化することになった。

 第6章「植民都市」は、第5章と同時期の帝国主義支配下に置かれた地域の都市について論じる。ヨーロッパ列強の直接的支配が及んだ南アジア、東アジア、東南アジア、アフリカの都市は、支配権力を象徴する公共建築物の存在といった共通点を持ちつつ、住民のほとんどがヨーロッパ人の場合と、非白人である場合(その多くが植民地化以前に歴史を持つ古い都市)とで、設計や政治制度などの点で異なる特徴を有することになった。後者においては、同時代のヨーロッパでは許容されなくなりつつあった非民主的な統治が行われた。権威主義的体制の下で公衆衛生の改善はあまり進まなかったが、こうした試みの中で西洋人と地元民の居住地を分離する人種隔離政策が提案され、いくつかの都市でそれが実行に移されていく。いずれにせよ宗主国の支配の確立、維持のための拠点として都市が重要な役割を果たし、ヨーロッパの都市、植民地の都市、後背地の間で以前にも増して緊密な関係が形成されることになったが、そのネットワークは帝国主義の打倒を目指す運動にも力を与えることになった。

 第7章「破壊と再建」は、世界大戦勃発から戦後復興期にかけての都市について検討する。総力戦による困難に直面し不満を抱えた人々を懐柔し秩序を維持するため、国家や自治体は以前にも増して社会への介入を強めた。しかしペトログラードでは革命が勃発し、その後の内戦を経て生まれたソヴィエト連邦の領域では、急速な工業化とそれに伴う都市化が進んだ。アメリカの都市などの例外を除き、第二次世界大戦がもたらす暴力と無秩序は、それまでの戦争と比べてもはるかに壊滅的な被害を都市居住者に与えることになった。戦後、西側東側問わず、都市部の再建が政府の最重要課題として推進されていく。

 第8章「一九五〇年以降の都市の衰退と成長」は、20世紀後半から今世紀初頭にかけての都市の変遷を跡付ける。この時期、脱工業化と都市郊外化により衰退する都市が欧米で見られた一方、都市化が急速に進展したアジアやアフリカで、上海やラゴスといった巨大都市が出現した。この要因は公衆衛生の改善による自然増と農村から都市への人口移動であり、後者は教育を通じた若者の啓発やマスメディアを通じた都市生活の喧伝によって促されていた。また、摩天楼の建設も都市居住者の急拡大を可能にした。これら開発途上国の都市を中心に、スラムや大気汚染などの課題が今なお山積しているが、他方、都市はそうした問題の解決が模索され未来が形作られる場でもあると締めくくられる。

 以上概観してきたが、評者の考える本書の意義は、同時代の世界史的状況の中に各地の都市形成や発展を位置付けているという点にある。例えば、紀元前3世紀に35万人ほどの住民を擁したパータリプトラが同時代のローマと同程度の規模だったと述べる(p. 42)一方、その後紀元2世紀までに後者の人口は少なくとも70万人に達し、世界史における最初の巨大都市となったという評価を与える(pp. 33-34)。このように本書は随所で様々な都市の推計人口を示しつつ共時的、通時的な比較を提示しており、評者のように個別都市の実証研究を行っている者の目を開いてくれるように思われる。

 ただ本書が、シリーズの巻頭言で掲げられるヨーロッパ中心的な発展段階の叙述ではない新しい世界史叙述の試みとなっているかどうかと問われると、その点はやや心許なく感じた。例えば章別編成について、第3章からは明らかであるが、西洋史の時代区分を踏襲しているように思われる。その結果、15世紀末までに都市化が進んだ中国の都市人口はヨーロッパのそれよりも多く、1800年当時、北京は恐らく世界最大の都市であった(p. 81)と指摘しながら、第3章、第4章でのそれぞれ分散した言及に留まり、大都から北京への都市発展の筋道立った叙述が提示されないという憾みが残る。ほかにも、植民都市を考察する第6章において(前後の章では日本の事例が考察されているにもかかわらず)、大日本帝国の植民地ないし居留地についての言及は皆無であるが、仮にそうした議論が加わっていれば、この章でもっぱら対象となっているヨーロッパ列強による植民都市のあり方を相対化する叙述になり得たのではなかろうか。

 もっとも、たとえ上述の指摘が妥当だとしても、都市を主題とする世界史叙述を日本語で世に問うた本書の価値は揺らぐものではない。都市史研究者はもちろん、日本史と世界史の共時性に関心を持つ教育者にも一読をお勧めする。

(「世界史の眼」No.67)

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「世界史の眼」No.66(2025年9月)

今号から、小谷汪之さんの「敗戦と「南洋」―「土人」という言葉に触発されて」を連載します。また、南塚信吾さんに、連載中の「北前船・長者丸の漂流  その4」をご寄稿頂きました。今号で完結です。

小谷汪之
敗戦と「南洋」(上)―「土人」という言葉に触発されて

南塚信吾
北前船・長者丸の漂流 その4

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『世界史の中の「ガザ戦争」』が刊行されました

世界史研究所とそのメンバーが企画・編集に関わった、藤田進・世界史研究所編『世界史の中の「ガザ戦争」』が、大月書店から刊行されました。いまだ終わりの見えない「ガザ戦争」の根源を広く世界史の中に探ろうとする意欲作です。

大月書店の紹介ページは、こちらです。また、本書の目次は以下の通りです。

第Ⅰ部 「ガザ戦争」とは何か――歴史から問う
第1章 「ガザ戦争」の真相……………………………………………………藤田進
 1 一〇月七日まで
 2 「ガザ戦争」
 3 高まる世界的批判 二〇二四年
 4 おわりに
第2章 パレスチナ問題の歴史を読み直す…………………………木畑洋一・藤田進・平井文子
 1 パレスチナ問題の起源――イギリスの責任(木畑)
 2 イスラエル国家とパレスチナ難民の解放闘争(藤田)
 3 二〇〇六年 パレスチナ分裂以降――ハマス政権下のガザ(平井)

第Ⅱ部 イスラエルと西側諸国
第3章 イスラエル・パレスチナ問題と米欧………………油井大三郎・木畑洋一・木戸衛一 
 1 米国のイスラエル・パレスチナ政策と反シオニズム(油井)
 2 イスラエル批判と反ユダヤ主義(木畑)
 3 ドイツの〈反・反ユダヤ主義〉のドグマ(木戸)
第4章 イスラエルの岐路……………………………………………………清水学・鶴見太郎
 1 ガザ攻撃を続けるイスラエル国家が示すもの(清水)
 2 イスラエルのユダヤ人問題(鶴見)
第5章 日本と「ガザ戦争」――中東での戦争と日本の戦争国家化…………………山田朗  
 1 中東の戦争と日本の関係性
 2 日本の中東政策の原点――オイルショック
 3 第一の転機としての湾岸戦争
 4 第二の転機としてのイラク戦争
 5 第三の転機としての集団的自衛権の容認
 6 おわりに――中東の戦争を利用した日本の戦争国家化

第Ⅲ部 対抗と平和への模索
第6章 「下から」の抵抗と変革……………………………………松本耿郎・松下冽・堀内隆行
 1 滅ぶことなき抵抗者たち――不死なるものムスタズアフィーン(松本)
 2「ガザ戦争」と「グローバルサウス」――戦争が顕在化する「グローバルサウス」空間の重層性(松下) 
 3 南アフリカのジェノサイド提訴(堀内)
第7章 アメリカとの対抗と「ガザ戦争」…………………………下斗米伸夫・久保亨
 1 「ガザ戦争」とウクライナ戦争、あるいは帝国とユダヤ(下斗米)
 2 中国と中東問題――パレスチナおよびイスラエルとの関係を中心に(久保)
第8章 国連の改革へ……………………………………………清田明宏・パトリック・マニング
 1 「ガザ戦争」と国際社会の失敗――国連の現場で見た「ガザ戦争」の失敗(清田)
 2 「ガザ戦争」と国際世論と国連改革(マニング・南塚訳)

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『被爆者・切明千枝子さんとの対話』が刊行されました

桐谷多恵子『被爆者・切明千枝子さんとの対話—〈私たちの復興〉をめざして』が、彩流社より刊行されました。95歳になってもなお被爆証言を続ける切明千枝子さんとの対話を通して、戦後の広島の<復興>の姿を問う意欲作です。

彩流社の紹介ページは、こちらです。

本書の目次は以下の通りです。

はじめに
Ⅰ 序論にかえて
1 被爆者の孫として生まれて
2 被爆者切明さんとの出会い
3 戦争を通して人間をやめたくなった経験
4 眼差しの先
5 女性の被爆者の証言
Ⅱ 切明千枝子さんの生い立ち
1 切明さんの家系─祖父母の家族史
2 誕生から幼稚園まで
3 小学校から広島県立広島第二高等女学校まで
Ⅲ 軍都廣島の軍国少女
1 軍都廣島
2 軍都廣島の「軍国少女」
3 広島と軍隊と戦争
4 戦前の広島の持つ「加害」性 他
Ⅳ 切明さんの被爆体験
1 切明さん自身の被爆体験
2 後輩の被爆と看護
3 友達を焼いた日
4 「お手洗いに行きたい」という懇願
5 被爆地で生きていく覚悟
6 原爆症の発症と回復
Ⅴ 切明さんの戦後
1  「敗戦」と「棄民」
2  原爆の惨禍を目に医師を志す
3  県立女子専門学校にて
4  「社会」との出会い
5  「平和」との出会い
6  「民主主義」との出会い
7  切明悟さんとの結婚と出産
8  「東方出版」と教育の改革
9  本当の平和とは何か
10 被爆者への差別
11 近現代広島において女性であることの困難 他
Ⅵ  被爆体験を語ること
1  「生き残ってしまった」苦しみ
2  被爆体験を語り始めた契機
3  江口保氏との出会いと被爆証言
4  級友とチームを作って話す
5  証言行為と自身への影響
6  証言講話の頻度
7  病気の発症と被爆証言をめぐる周囲の心配
8  聞かせて欲しいと言う人の存在
9  「広島修学旅行」より後の証言活動
10 切明さんの涙と願い
11 切明さんの被爆体験講話の構成
Ⅶ  アメリカによる占領という経験
1  戦後の占領政策
2  被爆者と「空白の10年」
3  戦後の飢えと占領軍の配給
4  民主主義を広める担い手として
5  子供の人権―児童図書館での驚き
6  アメリカの豊かさと憧れ
7  ABCC(原爆傷害調査委員会)による被爆者調査
8  オバマ大統領の広島訪問
9  「アメリカ憎し」と嘆く祖母の涙
10 アメリカの見事な占領政策
Ⅷ  広島の「復興」と〈私たちの復興〉
1 復興とは何か
2 広島市における都市計画による「復興」
3 重ならない都市計画による復興と生活者としての復興
4 切明さんの語る〈私たちの復興〉
5 被爆者にとっての復興とは何か
6 切明さんにとって〈私たちの復興〉の意味するもの
7 あらためて切明さんと対話し、復興の課題を確認する
Ⅸ  終わりに
1 どうか書き残してください
2 「人間が変わる」ということ
3 平山郁夫「広島生変図」
4 自衛のための戦争
5 人間再生の壮絶な闘いの軌跡
6 被爆三世として
7 個人の尊厳について

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