書評 : 早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎、2020年3月)
藤田進

 早尾貴紀氏は、イスラエルの政治・文化、ユダヤ人問題等々の思想的考察を重ねてきた日本のパレスチナ・イスラエル学思想史部門を代表する研究者であり、一方現代世界をめぐる思想論争にも精力的に参加している。本書は2005年から2016年にかけて執筆した諸論文に大幅な加筆を加えて一冊にまとめたものである。

I

 2018年5月15日、半世紀以上パレスチナ占領を続けるイスラエルが建国70年を迎え、トランプ米大統領はこれを祝して在イスラエル米国大使館を首都テルアヴィヴから占領下の聖地エルサレムへ移転し、さらに19年3月25日、イスラエル占領下シリアのゴラン高原に対する「イスラエル主権」を認める公式文書に署名し、アメリカがイスラエルの軍事占領政策を公式に承認したことを世界に表明した(バイデン新大統領の登場でこの承認の行方が注目されている)。著者はこのときの心境を次のように記している。

 「いま、パレスチナ/イスラエルをめぐる問題は、直視することも放棄したくなるほどの惨状にある。パレスチナのガザ地区はイスラエルの建設したフェンスで封鎖され、物流も制御された巨大監獄と化し、パレスチナ人のデモには日常的にイスラエル軍スナイパーによる容赦ない狙撃が加えられ、東エルサレムでは理不尽な家屋破壊が遂行されている。そして、イスラエル社会内部にも国際社会にも、それを止めようとする動きは少ない。このような暴力を対岸の出来事として見るのではなく、パレスチナ/イスラエルを、日本を含む近現代世界史の文脈のなかで論じ、またそれをとおして世界と日本を問いなおすことが、いま求められている」(本書のカバー表紙の一文より)。

 やりきれなさと切迫感のなかで完成した本書は以下の構成からなる。

まえがき
第I部 国家主権とディアスポラ思想
 第一章 ディアスポラと本来性―近代的時空間の編制と国民/非国民
 第二章 バイナショナリズムの思想史的意義―国家主権の行方
 第三章 オルタナティヴな公共性に向けて―ディアスポラの力を結集する
第II部 パレスチナナ/イスラエルの表象分析
 第四章 パレスチナ/イスラエルにおける記憶の抗争―サボテンをめぐる表象
 第五章 パレスチナ/イスラエルの「壁」は何を分断しているのか―民族と国家の形を示す五つのドキュメンタリー映像
 第六章 パレスチナ/イスラエルにおける暴力とテロリズム
第III部 歴史認識
 第七章 イスラエルの占領政策におけるガザ地区の役割とサラ・ロイの仕事
 第八章 ポスト・シオニズムとポスト・オリエンタリズムの歴史的課題
 第九章 イラン・パペのシオニズム批判と歴史認識論争
あとがき

 第I部はパレスチナ/イスラエルについての「民族」や「国家」をめぐる思想史的展開を扱う思想編、第II部はドキュメンタリー映画や劇映画やモニュメント作品の表象分析を行う表象編、第III部は歴史認識論争や占領政策の歴史的展開を扱う歴史編である。

 評者の見立てによれば、本書は1990年代後半以降に輩出した著者を含む「新世代の中東研究者」の共同研究の成果と現代哲学・政治思想分野における最新の学説を支えとし、イスラエルの「新しい歴史家ニュー・ヒストリアン」イラン・パぺのイスラエル建国「正史」批判とサラ・ロイの現地調査にもとづく被占領地ガザ政治経済分析を最重要実証資料として著者自身のイスラエル体験に照らしながら、イスラエル国家のシオニズム思想とそれに基づくパレスチナ占領政策について網羅的に考察した思想書であり、イスラエルをその内側から徹底的に考察した貴重な労作である。

 著者は冒頭、「パレスチナナ/イスラエル」と/を用いている理由を、次の諸点を挙げて説明している。「一般に言われているように、パレスチナとイスラエル、アラブ人とユダヤ人は対立し衝突しているわけではない。中東にはユダヤ教徒のアラブ人(=アラビア語を話す人)も普通に存在する」。「どの地理的範囲を指して『パレスチナ』と言い、『イスラエル』と言うべきなのか、きわめて錯綜している」。「『多くが共存し混淆した文化圏』が『本来的ヨーロッパ』によって分断されたことにより両者は対立関係に立たされている」(4-10ページ)。ここに、「アラブ/ユダヤ人」という複合アイデンティティを重視する著者の姿勢があらわれており、本書はこの立場からのシオニズム考察である。考察は次の諸テーマをめぐって展開する。

⑴ ディアスポラと「本来的国民」:近代国民国家論と「ユダヤ人国家」における排除の論理とディアスポラをめぐる考察。
⑵ イスラエル建国後のバイナショナリズム:ユダヤ人人口・領土の拡大をめざすシオニスト側の議論とそれにのみこまれた「パレスチナ自治」をめぐる考察
⑶ テロリズム:アラブ側のみを「テロ」と糾弾するイスラエルの「テロ」議論の考察
⑷ 「純粋ユダヤ人」:アラブ系ユダヤ人を取り込んでユダヤ人口拡大をめざすイスラエル政策についての考察
⑸ 分離隔離壁:第二次インティファーダ以降のヨルダン川西岸占領地を取り巻く分離隔離壁構築による領土的分断および「パレスチナ人」アイデンティティ分断を企てながらパレスチナ人を「強制収容所」状態に閉じ込めて生殺与奪権を握る占領権力の「例外状況的主権行使」についての考察
⑹ 「ユダヤ人国家」内部における反シオニズム派とイスラエル建国擁護派の葛藤

 以上のようにテーマが多岐にわたるうえ様々な議論・理論を踏まえた思想的考察中心のため内容は少々難解である。筆者は⑴を中心に著者の議論を追いつつコメントを加えることにして、あとは本書に目を通す読者におまかせしたい。

II

 著者のシオニズム考察は、現代国民国家におけるディアスポラの問題を取りあげることから始まる。1990年代以降のグローバリゼーション時代において膨大な民が国境を越えて移動する現象が世界的激動因となっているのを前にして、著者は「越境的に移動する民を『ディアスポラ』と呼ぶことが人文社会科学全般に増えてきており、それにともない従来『ユダヤ人のディアスポラ』と理解されてきた用語に意味の転用が生じた」と指摘している。さらに著者は「移住者とその子孫とは『よそ者』つまり『本来的には国民でない者』として、端的に差別の対象となりがちである」という「ディアスポラ」を脅かす現実を指摘して「本来的国民」対「ディアスポラの民」の対立関係を描いたうえで、「『本来的国民』と『非本来的ディアスポラの民』を分ける『本来性』とは何か」との問いを発している。

 著者は「本来性」をめぐって、19世紀初頭の近代国民国家論者のヘーゲル(『歴史哲学講義』)や弟子のヘーゲル主義者たちの発言を検討し、次の諸点を指摘する。
 ●ヘーゲルは、宗教改革と啓蒙思想を経た後のフランス革命がヨーロッパ近代国民国家をもたらしたことを重視し「世界史においては国家を形成した民族しか問題とならない」との立場から、世界史をギリシャ世界からローマ世界、ゲルマン世界へと一直線に至るヨーロッパ近代国民国家の完成に向けた歩みとして描き、ギリシャ文化がアラブ世界を媒介して西欧世界に持ち込まれたという事実を無視した。つまり「狭い内海を共有し、現代国家間のような国境や分断のなかった(ヨーロッパを含む)中東・地中海世界」を、ヨーロッパ対中東という対立した分断の図式でとらえた。ヘーゲルは一方で、個人の理性を国家の理性と同一視して国家を絶対的空間と想定し、国民=均質な民族と規定している。国家における「均質な民族」対「その他」の関係が示唆されている。
 ●19世紀半ばにおけるヘーゲル主義思想家たちは「キリスト教ヨーロッパ世界の純粋性と自律性」を強調し、「世界のすべての民族共同体は排他的な領土を所有し国民国家を目指して発展していく。国民国家の実現を見ていない地域は未開地・後進地域として支配対象となる」と説いた。こうした発言はヨーロッパ世界内のユダヤ的要素とイスラーム的要素を否認することに影響した。当時のヨーロッパでは反ユダヤ主義が高まり、科学を装った人種主義学説が横行するなかで「縮れ毛」や「鷲鼻」を身体的特徴とするステレオタイプの「ユダヤ人種」概念が捏造された。そうした状況下において、プロイセンは「ドイツ=キリスト教国家」の立場からキリスト教徒を「本来的国民」とする一方、「ユダヤ教徒のドイツ人」は均質な民族ではないとしてユダヤ教徒国民を「本来的国民」から除外し、プロイセンは人種差別的国民国家として成立した。

 著者は以上から、現代の国民国家において「本来的国民」と「非本来的な他者」を分断する「本来性」が、19世紀近代国民国家成立期における宗教的差別を通じて生み出されたことを確認する。

 では、「ユダヤ人国家」や「ディアスポラ・ユダヤ人」はどのように成立したのか。著者はそれに関して以下を指摘する。
 ●1842年ドイツのユダヤ人解放令廃止と51年のナポレオン3世のクーデタによるヨーロッパの決定的反動化によって、国民国家における市民革命を通じてユダヤ人を解放する夢が消えたとき、ヘーゲル左派思想家のユダヤ人モーゼス・ヘスは民族主義者に転向した。当時捏造された「ユダヤ人種」がユダヤ教徒を苦しめている状況をしりめに、ヘスはこの人種概念を敢えて自らのアイデンティティとして受け入れるとともに、「ユダヤ教徒は信仰においてユダヤ教徒なのではなく、『人種としてのユダヤ人』である」との強引な解釈を打ち出した。
 ヘスは「世界中に離散しているユダヤ人種は、他のどの人種にもまして、いかなる緯度の場所の気候風土にも順応できる能力を有している」、「ユダヤ人種は自らの歴史的使命を自覚して、自らの民族としての諸権利を主張することが許される諸民族のひとつである」(『ローマとエルサレム』)と唱えて、血のつながりに基づく「ユダヤ人国家」建設(シオニズム)構想を表明した。ヘスの「ユダヤ人国家」構想は西欧列強の援助を前提としており、「ユダヤ人国家」建設は「ヨーロッパ文明世界対野蛮で未開な他者」というヘーゲルの描いた図式に則ってヨーロッパの外部に「ヨーロッパの飛び地」をつくるという西欧列強の取り組みの一環に他ならなかった。
 ●ヘスから「ディアスポラ・ユダヤ人の民族郷土への帰還」を呼びかけた19世紀末のヘルツルを経てイスラエル建国に至るまでの「ユダヤ人国家」建設運動に共通しているのは、「ヨーロッパから排除されつつもその支援を受けたシオニストがヨーロッパ文明世界の先鋒を自認し、来るべきユダヤ人国家を『アジアの野蛮への防壁』(ヘルツル『ユダヤ人国家』)とみなしてその実現を図るために、『多くが共存し混淆した文化圏』のパレスチナにおいてアラブ人を『野蛮で未開な他者』と位置づけて征服・殲滅・追放する」という内容である。シオニストがヨーロッパ帝国主義の手先となってパレスチナでの暴力的任務を果たすのと引き換えに「ユダヤ人国家」領土を獲得する取り組みの凄まじさについて、イスラエル歴史家のイラン・パペは「ヨーロッパ世界出身のシオニストらが行ったのは、できるだけ広い土地からできるだけ多くのアラブ人を殺害や追放することであり、この意図的な政策および軍事行為の総体は『民族浄化エスニック・クレンジング』である」と述べている。
 ●19世紀末のシオニズム運動の展開過程で、「ディアスポラのユダヤ人」という用語がつくりだされた。「ディアスポラ」は元来「ギリシャ人の入植活動」あるいは「戦争による離散」を意味する古代ギリシャ語であったが、東欧におけるポグロム(ユダヤ人襲撃)の嵐にユダヤ人たちがさらされているのを前にして、シオニストは「ディアスポラ」は「ディアスポラのユダヤ人(=離散状態のユダヤ人)」の意味に転用した。「ユダヤ人のディアスポラ」は「古代ユダヤ王国喪失以来土地なき民となったユダヤ人の離散状態を終わらせるためにユダヤ人国家が必要である」との論理を正当化するのに活かされ、またヨーロッパ諸国で「非本来的他者」として差別されているユダヤ人にパレスチナ移住を呼びかけるシオニズム・キャンペーンに利用された。
 1948年「ユダヤ人国家」イスラエルの誕生で、「ディアスポラのユダヤ人」とされてきた人々は「本来的なユダヤ国民」として解放されたものの、今度は占領されたパレスチナのアラブ住民が「非ユダヤ人」とされて「ディアスポラの民(=故郷を追放された移動民)」とされた。「人種」を根拠とする「ユダヤ人国家」は「他者」に対してきわめて排他的・暴力的であり、イスラエル支配の拡大とともに増えていくパレスチナ占領地住民、イスラエル国内のアラブ少数民、中東出身ユダヤ人等々多様な「ディアスポラ」に対する差別的・暴力的抑圧の凄まじさは、イスラエルル建国前後史を「民族浄化」と位置づけるイラン・パペと、占領下ガザについて「長期封鎖と度重なる軍事攻撃で経済成長も通常の社会の存続ももはや不可能で、人間としての生存が危機に瀕している」と分析するサラン・ロイの証言に明らかである。

 ヨーロッパ起源の近代国民国家が「文明的ヨーロッパ」という独善思想と「本来性」という分断論理と「ユダヤ人」という被差別対象を組み込んだ人種差別的統治制度として成立し、最悪の国民国家たる「ユダヤ人国家」をもたらしたとする著者の考察を、評者は以上のように理解した。評者はそこに多くを学んだ。

III

 本書はイスラエルおよび欧米日本側の資料・分析に依拠している。1992年12月、イスラエルがハマースのメンバーやその関係者と疑う多数のパレスチナ人をレバノン南部山岳地帯のイスラエル占領地域とレバノン軍支配域との狭間の雪に覆われた無人地帯に追放したときこの事件を、追放者たちを法も人権も及ばない場所で生存の危機に晒す「例外状態の統治」という最悪の弾圧政策の事例として取りあげている。しかし、アラブ・パレスチナ現代史を専門とする筆者にはこの位置づけは物足りない。エルサレム発行のアラブ紙「アル・クドゥス」はこの事件についてアラブ住民連帯の形成という別の側面を伝えている。

 「イスラエル政府がパレスチナ人追放者たちを追放者居留地のテントに1週間分の食料・燃料だけを与えて送り込み、国内から支援物資が届かぬよう道路を閉鎖し、レバノン側の道路も閉鎖されて国際支援団体の救援物資が届かず、追放者たちは生命の危険にさらされた。しかしそのとき、谷底の追放者テントを見下ろす山岳地帯のアラブ村から夜間密かに食料が運ばれた。村はムスリムとキリスト教徒住民からなり、村はイスラエルのレバノン占領と対決するシーア派ヒズボッラーの拠点でもあり、ヒズボッラー隊員は「我々はパレスチナ人追放者たちが飢えと寒さで死んでいくのを見過ごすことはできない。村は総出で精一杯支援活動をしている」と語った。一方追放者居留地では「テント村委員会」が設置され、テントのいくつかに診療所が開設されて追放された医師たちが仲間を診察するとともに近隣村の住民たちを無料診察した。追放者居留地に一種のコミューンが形成され、追放者たちは全員一緒に故郷に戻るまでこの地を離れないと確認しあい、追放5ヶ月後にはイスラエル軍占領地の境界線までの抗議デモを繰り返すようになった。追放者たちは世界の注目を集めてほぼ一年後に家族のもとへ帰還し、イスラエルの企ては失敗した。」(「アル・クドゥス」1993年1月7日以降の報道から)。

 当時は被占領下パレスチナにおけるイスラエル占領反対抵抗闘争の第一次インティファーダが5年目を迎えていた。反占領住民総決起闘争への参加、追放先でのアラブ住民との交流・協力体制の構築を経て一年後の帰還、それに注目する国際世論の変化等々の一連の流れにおいて追放者たちをとらえれば、そこに「ディアスポラのパレスチナ人」の主体性=抵抗局面が見て取れる。

 本文中に、「・・毎回確実に一定数が射殺されているのを承知でフェンス際に人々が結集するのは、・・・「自爆テロ」ならぬ「自殺デモ」だ」と論じている箇所があるが、そうは断言できないと思う。

 著者は国民国家と「ディスポラ」に関連して次のように述べている。「『本来性』とはたかだか二世紀のあいだのイデオロギー的産物にすぎない。本来性から逸脱したディアスポラたちの存在は絶えずその事実を想起させる」。「国民国家から『本来性』を抜き去ることができるとすれば(だがどうやって?)、そのとき『国民』は『市民』にとって代わられ、住民はすべからく市民権を有することのできる『市民国家』が生まれるのかもしれない。」

 評者は、「アラブ/ユダヤ人」という複合アイデンティティを重視する著者が「ディアスポラのアラブ」により深い考察を加えることを期待したい。

(「世界史の眼」No.13)

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