≪書評≫ジュリオ・ボカレッティ著、今西康子訳『水の世界史:文明・国家・グローバル社会はいかに作られたか』白揚社、2026年
鹿住大助

 本書は、人が定住生活を始めた約1万年前から現代までの人類史を、水をめぐる制度の変遷として叙述したものである。人類史を気候科学・環境科学の知識で裏打ちし、歴史的出来事や諸制度の誕生と変化を語り直そうとする野心的な著作である。

 表紙カバーに記載された略歴によれば、著者のジュリオ・ボカレッティ氏は、ユーロ・地中海気候変動センターの科学ディレクターを務めるほか、気候科学の博士号を有し、マッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナーとして持続可能性および資源生産性向上に関する取り組みを主導し、世界的な環境保護団体であるザ・ネイチャー・コンサーバンシーの水分野の最高戦略責任者でもあったとある。また、気候変動に関する政府間パネルの報告書なども執筆しているようだ。地球規模での気候変動に注目が集まるようになって久しいが、ボカレッティ氏は研究者であると同時に、その変動に対処しようと活動する人物でもある。

 本書の邦題は『水の世界史:文明・国家・グローバル社会はいかに作られたか』であるが、原題はWater: A Biographyである。直訳すれば『水の伝記』であるが、その意図は著者が原著を出版した2021年に、自身が運営するサイトに記している。

 “無生物である物質に対して「伝記」という言葉を用いているのは、そう経験するように、水が私たちの社会生活と切り離せない存在だからだ。
 洪水が問題になるのは、私たちの都市の家々がそれに巻き込まれるからである。嵐は、私たちの生産活動の円滑な進行を妨げる。干ばつは、私たち土地から生産物を得る能力を脅かす。水の物語とは、実のところ私たち自身についての物語なのである。”[1]

 本書が扱う「水」とは、液体としての水だけを指しているわけではない。「水」は地球の気候そのものであり、固体・気体・液体の三態で地球上の至る所に循環しながら遍在することで、あるいは、時と場所によってはそれが極端に多かったり、少なかったりすることで、自然環境や人間の社会生活に極めて大きな影響を与えてきたのである。

 一方で、人間の側でも様々な仕組みで「水」に対処しようとしてきた。本書の「序章」は、中国における長江三峡ダムの建設から叙述が始まる。人間はテクノロジーの進歩により、自らを自然から解放し、環境を作りかえ、運命を思い通りに支配してきた、という物語で人類史が語られることがある。著者はこれを誤りであると指摘する。「水の物語は、科学技術の物語ではなく、実は政治の物語なのだ」(16-17頁)と著者は主張する。著者の目的は、「流動する水に囲まれながら社会の組織化を目指す人類の営みの中から、相互依存関係で個人を結び付けて水環境に対処しようとする諸制度が生まれた」(17頁)というテーマで人類史を描くことである。古代国家の形成も、ローマ法も、共和主義も、リベラリズムも、水と人間との関係を抜きにしては理解できない、というのが著者の中心的な主張であろう。

 本書は気候科学と歴史を接続し、水と政治制度の関係から人類史を再解釈する壮大な試みである。本稿ではまずその議論を整理したうえで、世界史叙述としての可能性と限界について検討したい。

* * *

 次に、本書の内容を紹介する。本書は全体で4部・21章からなる。約500頁の大著であり、トピックも多岐にわたっている。ここでは各部分のかいつまんだ紹介となること、一方で、著者の主張を明らかにするためにはある程度の文量が必要であることもお許しいただきたい。

 「第1部 端緒」では、まず、地球上の生命・気候を支配する水の物理的性質と、人類による定住農耕の開始、人工生態系の誕生を論じる。農耕の開始によって、人類は「ファウスト的取引」(34頁)を行った。水は一箇所にとどまり続けることなく動く公共財(レス・プブリカ)であり、自ら動かないことを選択した人類は、水の変化に対応して周囲の環境を改変せざるを得なくなった。

 降雨量の変化や、河川の増水、干ばつといった変化に対応するため、メソポタミアの古代国家は河川の流量を管理したり、灌漑を用いた農業や貯水施設を整備したりする方法を編み出した。シュメール諸都市には、水路網が設けられ、上流に位置する都市国家が水の供給を支配することで、下流の都市国家の支配をおこなう関係性もみられた。また、古代エジプトでは、ナイル川を利用した農業によって繁栄しただけでなく、河川輸送によって食糧輸送を円滑におこない、さらには往来する船に通行税を課してその収入を干ばつ・不作対策の食糧貯蔵の財源に充てるなど、河川を軸にした経済活動の組織化がみられた。

 ところが、紀元前1500年頃から太陽からの放射エネルギー量の減少にともない、氷河が拡大し、高緯度地域が寒冷化するとともに、東アフリカ、アマゾン川流域、カリブ海地域が乾燥化した。地球の水循環が大きく変化したのである。これにともない、エーゲ海、地中海東岸、西アジア一帯が12世紀にかけて300年以上にわたる長期の干ばつを経験した。その結果、ヒッタイトやエジプトなど近東地域の古代帝国が弱体化し、海の民の侵入などもあって崩壊した。

 古代ギリシャ世界も同様であり、南下してきたドーリア人がアカイア人に取って代わり、ミケーネ文明が崩壊した。しかし、紀元前9〜8世紀には再び農業生産力が高まった。ギリシャ特有の地質(峡谷、ドリーネ、地下水路、クレバスなどによってあちこちに水が流れる)の影響もあって、谷間の至る所に独立した都市国家、ポリスが形成されたのである。古代ギリシャのポリスの社会、国家権力を形作り、政治制度を生み出したのは水と人間の関係が再構築された結果であった。

 古代ローマといえば都市の水道橋や水路網で有名であるが、ボカレッティ氏によれば、古代ローマはその広大な領域に見合う規模で水資源の統合的管理をしたことがなかった。基本的にはローマ市民権は私有財産制度に根ざしており、国家がその権利を侵害することがないように保護されていた。水は個人的所有の範囲内に閉じ込めることができないものであったが、私的土地所有に根ざす農業で用いる水のすべてが公共物であるとも言い難かった。

 結果として、古代ローマは、大規模な灌漑施設の整備や治水事業によってではなく、地中海全域にまたがる交易インフラ(港湾施設や河川交通路)や市場の整備によって、局所的な降水量の変動に対処し、全体に食糧を行き渡らせたのである。「こうした仕組みがあるからこそ、ローマという国家は、全体としての供給量しか保証されないランドスケープのもとで、個々の市民の財産権を軸に政治体制を維持していくという芸当ができたのだ。この驚異的なシステムこそが、十九世紀まで西洋で最も広大な領土を支配した国家の興隆を支えていた」(128頁)のである。

 「第2部 収束の一千年」では、中世から近代にかけて、共和制政府や商業資本が水利構造物に投資し、領域国家が形成され、国家による水管理が展開されていく過程が描かれる。

 西ローマ帝国崩壊にともない、ローマの諸制度も消滅した結果、ヨーロッパの河川舟運が衰退したり、畑作地帯が牧草地や沼地に変質した。また、6世紀には中央・北ヨーロッパの湿潤化・寒冷化に対し、地中海地域の乾燥化がみられた。食糧生産力が急激に低下し、森林が勢いを盛り返したのである。結果として、ヨーロッパの水ランドスケープ(地理的環境)は大きく変化した。

 さらに、領土の断片化も水ランドスケープの変化に影響を与えた。教会や皇帝が普遍的な権力を主張したものの、強力な行政国家は不在であり、水は分断された領主の支配下にあった。また、河川での事業に対する課税権を修道会や司教に認めて統制を試みるなどした結果、河川の共同管理は困難になっていた。政治的な土地支配の細分化が進んだ結果、訴訟が多発するようにもなった。

 こうした問題に対処するため、ローマ法に再び注目が集まった。13世紀イギリスのマグナ・カルタにも水の管理に関する条項が追加されたように、「普遍的」ルールとなって河川利用をめぐる紛争解決のための法体系が誕生したのである。ローマ法の再導入は水資源の支配にも大きな影響を与えた。ローマ法では、航行可能な水路は全体のものであり、支配権は国家(皇帝)が握っていた。結果として、領主や都市が水運に利用可能な運河を整備したりしても、その利益は誰もが享受できるものとなり、紛争も皇帝の権威によってしか解決できなかった。その後、都市では共和政体や商人階級が出現し、民間による水インフラへの投資資金調達の必要性から金融システムが発達したり、自由主義の思想もうまれていったりしたのだが、ここでは詳細を割愛する。

 1648年のウェストファリア条約は、近代主権国家の成立点として語られている。ボカレッティ氏はこれを「人民支配から領域支配への移行」であったと評価し、「こうした政治的進化は、社会と水の関係に重大な影響を及ぼした」と指摘する(195頁)。ひとつは動員できる経済力の増加によって大規模な河川インフラ構築が可能になったこと、もうひとつは、社会全体の利益と個人の権利の両立は困難なままであったが、土地と水を含む領土を支配する国家が、水の問題と向き合わざるを得なくなったということである。水の物語が国民国家の物語となったのである。「領域の支配圏を主張する強力な領域国家と、直接的な国家介入よりも民間活動を重視する経済との緊張関係が、近代社会における水管理の最重要課題になろうとしていた」(196頁)。

 ヨーロッパの水ランドスケープを離れ、異例の発展を遂げたのがアメリカ合衆国である。人々の生活は自由主義の社会に委ねられていた。一方で、アメリカの水ランドスケープは個人の力で対処できるレベルをはるかに超えていた。至る所に民間企業の運河・河川開発会社が出現したが、州境をまたぐインフラ開発の問題に直面して、連邦主義が後押しされることになった。こうした中で国家の水管理を担う最重要機関となったのが水路網開発の主力となったアメリカ陸軍工兵隊である。アメリカでは国家権力は水ランドスケープの工学技術(エンジニアリング)として表出した。エンジニアリングへの誇りは、南北戦争の分断を乗り越え、統一を呼びかける演説にも表れた。ゲティスバーグでのリンカーンの有名な演説の前に、エドワード・エヴァレットは次のように語った。「気候の境界を越えて流れる大河が、自然の産物や工業製品の交換を促し、奇跡を生み出すエンジニアの腕前が、東部と西部を隔てる山脈の壁を取り払ってきたのです」(213頁)。19世紀、民間企業の隆盛の時代を経て、新たな強力な国家が水ランドスケープの主要な開発主体となっていったのである。

 それは植民地帝国における開発においても同様であった。イギリスはインド支配の中で、インダス川流域の運河・ダム開発を積極的に推し進め、世界最大規模を誇る灌漑システムを構築した。地域の資源を搾取するだけでなく、自然環境に対する思想も変容を促すランドスケープ帝国主義の管理国家が世界に拡大したのである。人間社会は自然の力から切り離された、という幻想を持つようになり、国家は巨大プロジェクトによって大自然の威力を支配することが役割となっていったのである。

 「第3部 水の世紀」は19世紀後半以降、主には20世紀の近代国家と産業資本が地球上の水ランドスケープを大きく変化させたプロセスを論じている。

 この頃から顕著になってきた傾向は、第一に人口の爆発的増加であった。国家はこれに対応するため、例えばイギリス帝国はインダス川に続いて、ナイル川の開発に取り組むようになり、アメリカは国内西部の乾燥地帯での灌漑農業を積極的に推進した。農業生産性の向上という命題に対応するため、国家がますます大きな役割を果たすようになっていった。

 第二の傾向は、工業化の進展である。水(河川)は産業革命初期の機械の動力となっただけでなく、20世紀には水力発電を通じて膨大なエネルギーを供給し、世界各地の国家・産業の近代化に寄与した。ヨーロッパやアメリカだけでなく、日本の琵琶湖疎水のように、国家的事業として資金が調達され、水運・水力発電等の目的で大規模プロジェクトが推進された。

 そして第三の傾向は、国民の政治参加である。19世紀、国民の一部だけが政治に参加していた頃はまだ、水関連事業に大規模な投資がなされることはなかった。ところが参政権の拡大とともに、水インフラへの投資は政治と経済の問題となった。「これこそが、近代の水力国家の始まりだった。水力国家とは、交易に資するよう環境を変えるために、相当額の公的資金を投入できるほどの強い権力をもつ、公的な経済主体である」(273頁)。公的支出の判断のために費用便益分析の発想が生まれ、水を中心とした国家の発展を支えた。

 しかし、第一次世界大戦によって世界経済が打撃を受けた結果、ほとんどの国で国内や海外領土でのインフラ事業投資が減少した。一方で、戦後には二つの新しい主体が登場する。ひとつはレーニンのソビエトであり、もうひとつはムッソリーニのファシズムである。このどちらでも、水力発電による電化と工業化が推し進められ、自由主義諸国に対して社会に積極的に介入する国家のモデルが提示された。イギリスをはじめ、各国政府は福祉や水ランドスケープへの公的支出の増額により、市場経済を基本としつつも国家が積極的に社会的資源の再分配に関わる体制へと変化していった。

 20世紀前半のアメリカは、恐慌に喘ぐ一方で、水関連技術の輸出に乗り出す。アメリカは北米の水資源開発によって世界の穀倉となり、穀物を輸出するまでになっていた。また、ニューディール政策のもとで、テネシー川流域開発公社(TVA)に代表される大ダム建設や流域管理を推し進め、これを開発と近代化の標準モデルとして世界へ輸出した。水資源の乏しいアラビア半島の諸国がアメリカの支援を受け入れたが、未知の水源を掘り当てる代わりに、別の収入源として石油を発見した。中国も同様にアメリカの水関連技術を受け入れた。中国は1931年の淮河の大洪水により、深刻な被害を受けていた。中国はアメリカから小麦を購入するだけでなく、第二次世界大戦が始まるまで水関連技術の援助も受け入れることになった。

 戦後の東西冷戦下で、世界の水をめぐっても東西対立の構図が現れ、世界の水ランドスケープはより一層大きな変化を経験することになった。すでに産業化を達成している国も、植民地支配からの独立を達成したアジア・アフリカ諸国も、民主主義への忠誠を誓う代わりにアメリカから投資を受け、水資源開発を加速させていった。ソ連もまた、スターリンのもとでステップ地帯の緑地化という大規模なランドスケープ改造に乗り出し、新たに誕生した独立国にソ連型モデルを提示してみせた。しかし、旧植民地における反帝国主義独立運動を牽引したのは社会主義思想だったが、世界を主導する水資源開発手法はアメリカのそれであった。「アメリカ合衆国は、世界に向けて『水文学の司令塔』の役割を買って出た」(357頁)のである。

 ところが、20世紀後半になると、アメリカでは国内の水資源開発がある程度完了し、水への投資は魅力的ではなくなってしまった。また、中国やソ連での農業生産拡大を狙った水資源開発プロジェクトも失敗し、かえって経済的な停滞を招くようになった。1963年、イタリアのバイオントダムでの地すべり・溢水災害もあって、巨大ダム開発計画は停滞し、世界のエネルギー供給源は石油にシフトしていった。20世紀末、水主導型の開発は魅力を失い、インフラ整備、国家主導型開発、保護貿易主義などはすべて費用がかさむ誤った政策だと見なされるようになった。

 「第四部 フィナーレ」は、他のパートと比べれば叙述は短く、20世紀後半から21世紀の事例をいくつか取り上げ、水の物語の現在地を提示している。

 東西冷戦下でのエジプトのアスワン・ハイ・ダムとスエズ運河国有化をめぐる地政学的な駆け引き、ヨルダン川の流路をめぐるイスラエルとアラブ諸国の対立や、サウジアラビアの農業開発とニクソン・ショックに端を発する石油輸出国のカルテル結成など、「20世紀後半は石油経済、食糧安全保障、水インフラへの投資が複雑かつ密接に絡み合うことになった」(408頁)。陣営争いや国家による巨大プロジェクトへの投資の終了と新自由主義の台頭、食糧・エネルギー資源をめぐる国際的な利害関係などが結果、社会と水との関係は見えづらくなっていった。

 一方で、国際社会のアクターとして目に見えて台頭してきたのが中国である。輸出主導型の成長モデルによって著しい経済成長を遂げた中国は、国内のインフラ開発に莫大な投資をおこなってきた。「序章」でみた三峡ダムはその一つであり、世界最大のインフラとなったのである。そして中国は世界のあらゆる地域で投資をおこなっていく。海域の港湾開発や内陸部の河川開発事業、水力発電ダムの建設などに関与し、自らの成長に必要な物資輸送経路を確保しつつ、勢力圏拡大を狙う地政学的アプローチを展開していく。ボカレッティ氏は「二〇世紀がアメリカの世紀だったとしたら、二一世紀は中国の世紀になるのかもしれない」(416頁)と予見している。

* * *

 最後に、評者なりに本書の意義や限界、問題点を指摘する。

 ボカレッティ氏の議論は、カール・ウィットフォーゲルの「水利社会(hydraulic society)」論を想起させる。しかし本書は単純な環境決定論ではなく、水への対応の中で形成された政治制度に注目する点で、より制度論的な関心を有している。本書の叙述には、地球規模で循環する水の世界と、そこに生きる人間社会の政治制度との弁証法的関係という、一貫したモチーフがある。人間は今、極端な気候変動による災害や危機を経験している。そして水をめぐる国際政治は、そのパワーバランスのシフトチェンジを経験しつつあるのかもしれない。ボカレッティ氏が明示的に語ることはなかったが、水の循環が従来通りではないことと、地球規模での地政学的リスクの増大は連動しており、新しい政治や制度が生み出されつつあるのかもしれない。マクロな視点から水と人間社会の現在地を理解し、今後の世界を想像する上で、本書が提示するモチーフは思索を助けてくれるかもしれない。

 一方で、本書には大きな問題が複数ある。

 第一に、本書の叙述は、意図してか、結果としてかは不明だが、西洋中心主義的な構成になっている。本書の「水」が、それが著しく不足する地域も含めて地球全体の人間生活に及ぶ影響を与えているものである以上、本書は欧米に偏りすぎた物語であると言わざるを得ない。中国、東南アジア、インド、アフリカなど、諸地域は事例として登場することはあっても、物語の脇役である。水と人間社会との関係や政治制度は、ヨーロッパの歴史的展開とあわせて発展したのであり、他の地域ではみられなかったかのようである。本書の理論枠組みが世界史全体を説明するものとしてどこまで有効なのかについては大きな疑問が残る。

 例えば、内陸部の乾燥地帯、ステップに暮らした人々は水とどのように関わったのだろうか。その政治制度はどのように構築されたのだろうか。モンゴル帝国の事例を出すまでもなく、ユーラシア内陸部の動向は世界史に大きな影響を与え続けてきた。その存在すら叙述せずに世界史を語ることはできるのだろうか。

 近年、日本語訳が出版されたティルタンカル・ロイ氏の『モンスーン経済:水と気候からみたインド史』の方が、世界各地の地理的不均衡が、どのように地域独自の問題解決の取り組みを促し、その成長に繋がったのかを理解しやすいのではないだろうか。西欧近代国家による植民地統治という国家の物語に、インダス川流域の水インフラ整備を含めただけで満足してはならないはずである。

 同様に、京都大学出版会から刊行されている「講座 生存基盤論」シリーズの方が、温帯を中心とした先進国の生産性向上という近代主義的な命題に基づく物語に対して、熱帯圏の「生存」の有り様というオルタナティブをよりよく提示してくれている。工業化や農業生産力増強のためにランドスケープを作り替えた物語ではなく、自然と人間との共生や自然へのケアという異なる思想や価値観がよくあらわれている。

 第二の問題は、第一の問題とも関連するが、本書の観点に地理学的な発想が乏しいという点である。穿った見方をすれば、気候科学者には当然のことであって本書の中心的な叙述に据える必要がないのかもしれないが、地球上には様々な地理区分や気候区分、地形や土壌、植物の分布が存在し、それぞれに応じた人間の暮らし、それに働きかけながら営まれてきた生活がある。本書は、特に後半に進むにつれて、人間がいかなる政治制度や思想の下で強力な国家を形成・運営して水環境をどのように作り替えたのか、その変遷をマクロな視点で追うあまり、人々の生活様式から集団としての文化や社会が形作られ、それを維持・変化させようとする諸制度が生み出されるのかという視点を失っている。

 ほかにも、民俗学や考古学など、さまざまな学問分野が「水」と人間の関わりについて多くの知見を提示している。近年では、2024年に吉川弘文館から出版された『水と人の列島史:農耕・都市・信仰』も、日本列島における水と農業や宗教・世界観、都市形成などを知る上で示唆に富んでいる。こうした文献の方が、水と人間がいかに影響し合いながら暮らしを営んできたのかを理解できる。

 第三の問題は、「水の物語は、科学技術の物語ではなく、実は政治の物語なのだ」という繰り返し現れてくる本書のモチーフに、違和感や驚きがないという点である。その「当たり前」が世界史全体を通じて成立するのかを示そうとした点こそ本書の特徴であるならば、その評価は分かれるだろう。評者としては、これを読者に理解してもらうために、1万年前からの人類史を語る必要があったのだろうかという疑問が残った。

 もちろん、本書は膨大な時空間を扱っており、そこに記された事実には、これまで知らなかったことの方が多い。しかし、水と政治が切り離せないものであることは、およそ本書を手に取ろうとする人であれば、様々な経験を通じて理解しているはずである。農村部で生まれた評者には、「我田引水」をいかなる価値観や集団の規律・運営によって防止するか、ひとたび水不足が起こった場合に集団がどのように協議して問題解決をはかるか、大人たちの様子を見ていれば、それがムラの政治や制度・慣習を形作っていることに否が応でも気がつく。また、本書は都市と水についての叙述も少ないが、例えば水不足が起こった場合に都市の消費生活と農村部の生産労働にどのように水を分配するか、時代や地域、価値観などの条件に応じてどのように変わるのか、その事例を提示するだけでも十分だったのではないだろうか。

 恐らく、ボカレッティ氏は「水をめぐる地政学」の最前線で、水の持続可能性を担保するための調査をしたり、政府機関に提言したりする活動も経験してきたのであろう。勝手な想像ではあるが、筆者は地球規模で展開する水循環と近年のその大きな変動に対して、欧米の近代国家を中心とした世界規模でのインフラ投資から、中国へと物語の主体が切り替わるだけでよいのかという危機感を有しているのかもしれない。もし、その発露が本書であるのならば、水と西欧国家の歴史を分厚く語るのではなく、現在の水をめぐる国際政治上の対立現場などの先鋭的な事例を提示して欲しかったというのが率直な感想である。

 以上のような問題点はあるものの、本書は水を媒介として国家・国際秩序の形成を一つの視座から描こうとした野心的な試みであり、気候変動時代に人類史を再考するための問題提起となっている。環境学、歴史学、政治学などの成果を横断しながら読むことになる読者にとって、本書は多くの異論と議論を誘発する刺激的な一冊といえるだろう。


[1] https://giulio-boccaletti.medium.com/why-i-wrote-a-book-about-water-d11dd2c4a8f7(2026年9月29日確認)

(「世界史の眼」No.80)

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