月別アーカイブ: 2026年10月

「世界史の眼」No.79(2026年10月)

本号では、小谷汪之さんに、 連載中の「蓼科の近代史」の続稿となる「蓼科の近代史 Ⅲ(下)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』」をお寄せ頂きました。また、木畑洋一さんに、「書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)」をご寄稿頂きました。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅲ(下)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』

木畑洋一
書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)

水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

ミネルヴァ書房より、世界史研究所の小谷汪之氏と南塚信吾氏のそれぞれの新刊が刊行されます。小谷汪之氏の『「辺境」からの世界史—「満蒙」と「南洋」』が10月に、南塚信吾氏の『世界史のなかの北前船—長者丸が漂流した19世紀』が11月に刊行されます。いずれも、日本史・アジア史を「世界史」の中で論じる意欲作です。手にとってお読み頂けますと幸いです。出版社による紹介ページはこちらとこちらです。

カテゴリー: 「世界史の眼」 | コメントする

蓼科の近代史 Ⅲ(下)
―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』
小谷汪之

はじめに
1 「鳥の城」の事件
2 池の平をめぐる「山論」
3 白樺湖の築造
(1)温水溜池としての白樺湖
(2)白樺湖築造における曲折
(以上、前号)
4 白樺湖の築造と「鳥の城」
5 「鳥の城」と「死の概念」
おわりに
(以上、本号)

4 白樺湖の築造と「鳥の城」

 白樺湖築造についての『陰摩羅鬼の瑕』の記述はかなり長く、詳しい。それは、白樺湖築造の経緯がこの小説の主題と密接にかかわっているからであろう。白樺湖築造と「鳥の城」の関係について、『陰摩羅鬼の瑕』では、「伊庭」元刑事の独白の形をとって、 次のように書かれている。

 鳥の城の住人は、多分貯水池造りには全く関与していない筈だ。目の前に湖が出来上がっていく様子を、窓越しに眺めていただけなのだろう。
 彼かの家は入村式をしていないと聞いた。 
 池の平に入植してきたのが何時いつ頃のことなのかは能く知らないが、その際も引受人を立てていないと云うし、然しかるべき手続き―勿論もちろん法的なそれではなく慣例としてのそれなのであるが―も、してはいないようだった。当然、鳥の城の住人は村役となることもないし、村の組にも入っていない。村の行事や寄り合いに顔を出すでもない。オテンマと呼ばれる村の公的な課役も免れていた[長野地方では、道や用水路の整備などのような村の共同作業をテンマ、オテンマといった。伝馬から派生]。
 そこは―鳥の城と呼ばれる建物とそこに暮らす住人達は―共同体から完全に孤立していたのだ。
(『陰摩羅鬼の瑕』248~249頁)

 このように、『陰摩羅鬼の瑕』において、「鳥の城」は白樺湖を最終的に自力で完成させた地域住民たちの「共同体」からは完全に孤立した存在であり、逆から言えば、「鳥の城」は、地域住民たちにとっては、単に異様で不可解な他所者にしか過ぎないものとされているのである。

 そこ[鳥の城]は村ではなかったのだ。
 行政区画上の所番地―住所のことを云っているのではない。共同生活体としてのムラの一員ではなかった、と云う意味である。
 ムラは一緒に生きる。一緒に死ぬ。
 単に結束しているのではない。運命を共有しているのだ。だから国が見放しても湖なんかを造ることが出来る。木場は先程、湖は地元民の努力の賜物たまものだと云うようなことを云っていたが、その物云いは土地の者の耳には別の聞こえ方をする。
 それは多分、ムラが決め、ムラの意思でムラとして行動したからこそ出来たことなのだ。村の共有林を伐採ばっさい売却して財源を確保し、村の若衆や男衆を労働力として成した事業―と云うことなのだろう。
 そうでなければ―個人や家単位に判断が委ねられていたのでは、幾ら利害関係が一致していたとしても意志統一は難しいし、財源も労働力も確保は出来ない。
(『陰摩羅鬼の瑕』247~248頁)

 白樺湖築造についての『陰摩羅鬼の瑕』の記述が長く詳しいのは、白樺湖を自力で完成させた地域住民の「共同体」(ムラ)の強固な団結力を強調するためであろう。それとの対比において、「共同体」(ムラ)から完全に孤立した「鳥の城」の異様さ、不可解さが際立って見えるようになるからである。

5「鳥の城」と「死の概念」

 『陰摩羅鬼の瑕』の主題は「死の概念」(1,121頁)なのであろうが、この小説の最後の方で明らかにされる「由良伯爵」家三代目の「死の概念」は極めて異様で不可解である。この異様で不可解な「死の概念」は「鳥の城」の異様さ、不可解さと深くかかわっているとされているようである。

 伯爵にとっては、
 生きることとは存在することなのだ。
 そして存在しなくなることが死ぬことなのだ。
 伯爵にとっての殺人とはつまり、人間をこの世界から消滅させてしまうことであり、そうでなければ人間の形を失わせてしまうことなのである。人間の形をして此の世に存在して居る以上、伯爵にとってその人は生きて居るのだ。
 生命いのちのあるなしは―。
 関係ないのである。存在するモノは総すべて生きて居るのだ。草も木も花も机も椅子も布巾ふきんも階段も、何もかも、生きて居る。
 机は、机として、生きて居る。
 布巾は布巾として生きて居る。
 机が壊れてしまえば、それは机としては死んだことになるが、木材としてはまだ生きて居る。燃えてなくなってしまった時―それは完全に死んだことになる。人間も―同様だ。
(『陰摩羅鬼の瑕』1,122~1,123頁)

 このような異様で不可解な「死の概念」が生まれる場は「鳥の城」のような異様で不可解な空間でなければならないというのがこの小説の構想なのであろう。「伊庭」元刑事は初めて「鳥の城」に入ったときの印象をこう語っている。

 ―そこは。
 化物屋敷だ。人なんか住んじゃいない。
 あの館は。[中略]
 そう、あの光景は。
 或る意味狂気の沙汰だ。[中略]
 鳥が。
 鮮明に思い出した。
 鳥が、到るところに鳥が。
「こう、屋敷中に、馬鹿みたいに鳥の剥製が並んでてな。鬼魅きみが悪いったらないのよ」
「屋敷中に?」
「ああ、それも百や二百じゃない。もう数え切れない程だった。俺も、一緒に行った同僚も、……すっかり吞まれちまった」
「呑まれた」
「場の雰囲気によ。だって、考えてみろ。剥製と云やァ死骸だろうが。それが何百と並んでいるんだぞ。鬼魅きみが悪いや。城みてェに立派だが中には鳥しかいないのよ。だから―鳥の城だったんだな」 
(『陰摩羅鬼の瑕』253~254頁)

 「鳥の城」に並べられている無数の鳥の剥製は、博物学者として少しは知られていたとされる「由良伯爵」家の二代目が金にあかせて世界中から掻き集めた珍しい鳥を、邸内に住まわせていた剥製師に剥製にさせたものということである(前述のように、「由良伯爵家」二代目は陰摩羅鬼を思わせる偽物の鶴の剥製を作らせたことが発覚して、博物学者としての経歴を絶たれ、三代目の成人を待って自殺したとされている)。

 「鳥の城」で生まれた「由良伯爵」家の三代目は、病弱だったこともあり、20年間「鳥の城」からほとんど一歩も出なかった。三代目は無数の鳥の剥製に囲まれて育ち、外の世界のことをほとんど何も知らなかったのである。それで、三代目はこれら無数の鳥たちを「生きて居る」ものと思うようになったということなのであろう。鳥(モノ)の形をとって此の世に存在して居る以上、それらの鳥(モノ)は「生きて居る」のだという三代目の「死の概念」は、「鳥の城」と呼ばれた「由良伯爵」邸のこのような異様で不可解な空間において形成されたとされているようである。

おわりに

 白樺湖の「建設当時には観光に利用する意図は全くなく、誰も今日のように観光で発展するとは思ってもみなかったようである」(『茅野市史 下巻』763頁)。それにもかかわらず、1950年代後半から、白樺湖一帯は観光地化し始めた。「八子ヶ峰から見る湖底に沈んだ音無川の川筋や、大門街道の道筋がはっきり確認できるほど湖水は澄んでいて、水没した白樺林の先が湖面に突き出て神秘的な美しさをたたえていた」(『茅野市史 下巻』763頁)という魅力的な景観が観光客を呼び寄せたのであろう。

 その頃から、貸ボート業が盛んになり、湖面には多くのボートが浮かぶようになった。ニジマス、ワカサギ、鯉の養殖も始まって、観光客を引き寄せた。湖岸では、農耕用の馬を農閑期に有効活用する観光馬車業が広まった。白樺湖周辺の山の斜面には多くのスキー場が開設され、1960年代のスキーブームに乗って、大勢のスキー客が訪れるようになった。

 観光客の増大に伴って、白樺湖周辺には大きな旅館やホテルなどがたくさん建設されていった。こうして白樺湖周辺はすっかり様変わりしてしまったので、もしそこに「鳥の城」が本当にあったとしても、もう「異様に目立つ」ということはなかったであろう。

 しかし、2000年代になると、白樺湖の観光業は衰退しはじめ、廃墟化する旅館やホテルが出始めた。白樺湖の観光開発は、主として、この周辺一帯の土地を所有している柏原財産区(北山村柏原区の単独財産区。財産区については、拙稿「蓼科の近代史Ⅰ―満洲開拓と戦後開拓」参照)によって行われてきた。その観光開発の方式が時代状況の変化に適応できなかったことも白樺湖観光業衰退の一因とされている。それに、国内観光業の不振やスキーブームの衰退が追い打ちをかけたのであろう。

 ところが、2020年代に入ると、白樺湖の観光業は復活し始めたようである。同じく茅野市大字北山にある蓼科湖周辺でも、一時、観光業の衰退が見られ、人影もまばらになったが、近年、同じような観光業復活の動きが見られるようである。コロナ禍や円安の急激な進行によって外国旅行に行く日本人が減少し、その結果、日本人観光客の国内回帰が起こったということなのであろうか。

(完)

(「世界史の眼」No.79)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)
木畑洋一

 世界の現況を反映する形で、最近帝国史研究が盛んになっているが、本書はその流れに一石を投じる野心的な論文集である。編者の一人水谷智氏は、2018年に刊行された、日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』(岩波書店)に寄稿した研究動向紹介「「間-帝国史trans-imperial history」論」で、「間-帝国史」という研究分野の確立に向けて取り組んでいることを宣明していた。その努力の一つの成果が本書である。「間-帝国史」という少々座りの悪い日本語でなく、国際的に研究が進んでいるトランスインペリアル・ヒストリー(以下TIHと略記)という言葉がそのまま用いられているが、適切な選択である。水谷氏の研究プロジェクト自体国際的な広がりをもって取り組まれており、TIH研究を国際的に主導するダニエル・ヘディンガーとナディン・ヘーという二人の研究者も中心的な筆者となっているのである。

 本書では、序章「「トランスインペリアル・ヒストリー(TIH)」とは何か」を編者3人が、第1章「トランスインペリアル・ヒストリー」をヘディンガー、へーの両氏が執筆し、TIHというアプローチが何を意味するかを解説している。重なりあうところが多いこの二つの章の内容を評者なりに少し強引にまとめてみれば(両章で提示された豊富な論点の内、省略しているものもある)、次のようになろう。

1)対象としての複数帝国:これまでの帝国史研究では多くの場合ある特定の帝国が研究対象とされていたが、TIHは一つの帝国で完結するのでなく、複数の帝国を同時に扱う。
2)新たな対象空間設定:複数帝国のはざまに置かれた地域や複数帝国を包含する空間など、これまでの帝国史研究で等閑視されてきた空間をも対象とする。
3)相互関係の動態的把握:TIHはさまざまな事象の相互関係を複数帝国にまたがって扱うが、その場合、対象の可変性に留意しつつ、動態的な把握を行う。
4)新たな比較の視座:これまでも複数帝国間での比較という作業は行われてきていたが、それはいわば静態的に行われるきらいがあった。TIHでは、相互認識や越境的な関係を重視した動態的な比較がなされる。
5)非国家的主体への着目:帝国運営に関わる国家的な主体以外のさまざまな人びと、とりわけ帝国の草の根の次元を構成する支配される人びとが重要な研究対象となる。
6)反植民地主義の重視:TIHは帝国支配に関わる事象も抵抗に関わる事象も扱うが、とくに反植民地主義とその運動の連関性が重視される。

 このようにTIHの方法論を展開した冒頭部分に、第Ⅰ部「異民族統治をめぐる<比較のポリティクス>」、第Ⅱ部「帝国の<はざま>における経験―移動・帰属・入植」、第Ⅲ部「トランスインペリアルな被支配経験―もつれあう抵抗と連帯」という三部構成の本論が続く。以下では、とくに部の区別にはこだわることなく、各章についての簡単な紹介を、TIHという方法との関連に注目しながら行っていきたい。

 第2章フロリアン・ヴァーグナー「リベラルな帝国とファシスト帝国の境界を曖昧にする」は、1893年から1949年まで存在した国際植民地研究所(ICI)に集って植民地支配に関わる「知の交換と産出に携わった」(81頁、以下頁は省略)人びとが、原住民社会についてどのような情報の交換をし、どのような方策で植民地主義を実践しようとしたかを検討する。ICIが関心を寄せたのは、植民地農村の協同組合や都市の手工業組合であり、それとの関連で、大戦間期には、イタリアのファシスト体制がとっていたコーポラティズムが着目された。こうした国際組織の研究は従来もなされてきたわけで、TIHとして行うとなれば、それなりの独自性が求められるが、コーポラティズムを推賞したインド(ポルトガル領ゴア)出身の経済学者フレッペル・コッタについての議論(96-97)などを除いて、残念ながら本章ではそれがうかがえなかった。なお、著者はICIと日本の関係(柳田国男もICIの日本人会員三人のうちの一人であった)にも注意を払っている。ヘディンガー、ヘーの両氏もそうであるが、日本帝国の問題を巧みに取り入れることができる外国人研究者をそろえているのは、本書の強みであろう。

 第3章ダニエル・ヘディンガー「ファシスト国際主義」は、『枢軸―ベルリン・ローマ・東京 1919―1946年』(人文書院、2025)の著者による、ファシズム運動の国際的連携をめぐる論考であり、イタリアのファシズムを中心として日本の汎アジア主義運動にも周到な目配りをした議論が展開されている。ここで示されているファシスト国際主義の構図自体はきわめて具体的であり、読者はその消長過程についてのイメージを抱くことができる。その反面、国際ファシズムという概念とトランスインペリアルという概念の間の関係については、分りにくさが残るという感が否めない。帝国主義とファシズムの間の関連に留意しつつトランスインペリアルという問題を追求するなかで、国際ファシズム運動がどういう形で位置づけられるのか、についての説明が欲しかった。

 第4章馬路智仁「≪帝国知翻案者≫の可能性」は、国際関係思想史家による、TIHへの思想史的接近についての方法的提言である。ここで提示される方法は二つで、一つは≪比較のポリティクス≫、今一つは≪帝国知翻案者≫である。≪比較のポリティクス≫は、歴史のなかで実践された帝国間の比較作業に迫る方法であり、そうした比較などの結果がどのようにその実践者の帝国構想のなかに織りこまれていくかを「翻案」という作業などに着目しつつ分析していくことが、≪帝国知翻案者≫としての対象に迫る方法である。著者がTIHとしてより可能性が大きい方法として提起するのが後者であることはいうまでもない。それぞれについて、具体的な事例が挙げられているが、共通して取りあげられているのが矢内原忠雄の帝国論であり、違いが説得的に提示されている。帝国をめぐる言説を展開し、さらに帝国運営の実際にも関わったさまざまな人びとについて、この方法を適用することは、確かにTIHに思想史的広がりを付与していくことになろう。

 第5章東栄一郎「入植者植民地主義」は、近年注目が深まっている入植者植民地主義論がイギリス帝国中心的視点を取りがちであることを批判してその是正が必要であるとしつつ、さまざまな入植者植民地主義の間の絡まり合いに着目するTIHとの組み合わせが重要であると説く。そして、その具体的事例として、著者の主著『帝国のフロンティアを求めて――日本人の環太平洋移動と入植者植民地主義』(名古屋大学出版会、2022)でも検討されている、アメリカに入植していた日本人がアジアに回帰して日本の植民地拡大に寄与していく問題を取りあげる。入植者植民地主義論とTIHという方法的視座を結びつけることがその双方を豊かなものにするのは確かであり、大きな可能性をもつ提言であると感じた。

 第6章鶴見太郎「三つの帝国のはざまで」は、シオニズムの生成と展開を、ロシア帝国、オスマン帝国、イギリス帝国という三つの帝国が競い合う空間のなかに位置づけていこうとする試みである。著者は強調しないものの、これはオーストリア・ハンガリー帝国やドイツ帝国も視野に入ってくる枠組みであり、TIHという方法の有効性がよく示されている。ただ、第5章との関連では、イスラエルがガザやヨルダン川西岸で見せている「入植者植民地主義」の様相が、章の最後のところで触れられてはいるものの、シオニストが経験してきたトランスインペリアルな空間の規模感覚の問題に回収されてしまっているようにみえるのは残念である。トランスインペリアルな関係性のなかで展開してきた「入植者植民地」の歴史が、現在パレスチナの地で集中的に発現しているという点に、今少し踏み込めたのではないだろうか。

 第7章増渕あさ子「日米帝国のはざまで」は、沖縄からハワイへの移民の子として生まれた比嘉太郎という人物に焦点をあてて、第二次世界大戦期の彼の行動の軌跡(米軍の一員としてのイタリア戦線での従軍、日系人強制収容所での戦争協力姿勢喚起のための演説活動、沖縄戦期における沖縄への駐留)に重点を置きながら、「彼の主体性や帰属/疎外の意識がどのように揺れ動いていたか」(244)を検討する。TIHは、複数の帝国の力が交錯したり、複数の帝国のはざまに置かれたりしている空間に生きた非エリート層の人びとの生き様を重要な研究対象にするというが、「沖縄人」であることを意識しながらハワイという「故郷」を重視しつづけた比嘉の姿を描いた本章はそのような方向性をよくあらわしている。そうした比嘉の人種意識が揺れ動いていたことについても的確な分析がなされており、近現代世界において重層的な形でひろがる人種主義の様相に迫っていくのにTIHがきわめて有用であることが示されている。

 第8章水谷智「トランスインペリアル・ヒストリーからみた反植民地主義」は、反植民地主義の主体となった人びとの、異なる帝国の境界をこえたつながりをたどるなかで、TIHの射程を浮き彫りにする試みである。評者も、イギリス帝国史研究のなかで、アイルランドのナショナリストとインドのナショナリストの関係の重要性などを指摘してきたが、水谷氏は、TIHはそうした一帝国内に限られた関係をこえた複数帝国間での反植民地主義の連動に迫るものであるとして、具体的素材として、インドのナショナリストと日本帝国の関係を扱っている。日本の汎アジア主義を支持するインド人ナショナリストもいたものの、植民地支配国としての日本を批判し、日本に支配される朝鮮の人びとに共感したナショナリストも多かったとして、その代表例として詩人タゴールを取りあげるのである。この事例研究は、TIHの意味をよく示すものとなっている。ただ、たとえばタゴールを取りあげるとなれば、日本帝国との関係だけでなく、フランス帝国との関係も問題となりうるわけであり(タゴールが朝鮮の人びとに「東方の燈火」という詩を送った1929年という年の重要性を著者は強調しているが、その年に彼は仏領インドシナを訪問し、ベトナム人と交流した)、より多面的な形でTHIの構図を追求すべきではないか、という感が残った。

 第9章山田智輝「請願と出版文化」は、第一次世界大戦期までドイツの植民地であったトーゴが、大戦後国際連盟のもと英仏間に分割されて委任統治領にされていくにあたり、フランスの統治下に入ることを嫌った人びとからイギリスの政府や経済界、さらに国際連盟に対してなされた請願活動を分析する。こうした植民地住民の動きは、TIHの対象として確かに興味深い。また「他帝国の近隣植民地を中心とする地域的な出版文化を活用」する(304)という点もTIHのアプローチに即する重要な着眼点と考えられる。

 第10章呉叡人「相互的な主体化への道」は、すでに公刊されている中国語論文の翻訳である。著者は、イギリス帝国、日本帝国、中国帝国との関係に留意しながら、台湾と香港の近現代史を、人びとの主体形成という問題に即して検討していく。それによれば、台湾での政治的主体の形成は日本による植民地統治下で起こったのに対し、住民に植民地協力者としての性格が強かった香港における主体形成は冷戦期、それも1960年代以降を待たねばならなかった。著者の議論はきわめて明快で、台湾と香港の間の周到な比較によって支えられているが、これをあえてTIHと呼ぶ必要があるのかという点については、疑問を覚えざるをえない。相互の連関や交流、さらには相互参照といった局面がさらに示されるのであれば、TIHの好例になるとは思われる。ただ、複数帝国のはざまに置かれた地域のすぐれた比較研究として、本章の価値が高いことは確かである。

 第11章中尾沙季子「抵抗の連帯か帝国の拡張か」は、パン・アフリカ主義の初期を先導したアメリカの活動家たち、とりわけブッカー・T・ワシントンが推進していた黒人に対する実業教育活動である「タスキーギ・モデル」のリベリアへの導入問題を中心として、章タイトルに示されるアフリカン・アメリカンとアフリカとの関係がはらむ両義性に迫る試みである。帝国的性格をもったアメリカのアフリカへの関心と、パン・アフリカ主義を担ったアフリカン・アメリカンの思想と行動が、どのように絡み合っていったかという問題はすこぶる興味深いが、著者自身が「おわりに」で触れているような諸点―ハイチがしばしば参照軸となった意味、「黒人」という人種概念の機制、日本の植民地支配への投影―をより詳しく論じていけば、TIHという方法をより生かしていくものになったであろう。

 このように、本書には、TIHの日本におけるマニフェストにふさわしい力作が並んでいる。全体を通して評者が感じたのは、TIHというアプローチを生かすことができる研究対象の選択が重要だという点である。少々乱暴に整理してみれば、中にはTIHを意識することによって初めて浮かび上がってくる研究対象(たとえば第7章)がある。一方、これまでもさまざまな形で議論されてきた対象にTIHを用いることで、新たな相貌が見えてくる研究対象(たとえば第6章)もある。さらに、従来もTIHに近い形で研究されてきたもののTIHを意識することで視野をさらに広げられる研究対象(たとえば第8章)もある。TIHの追求によって、さまざまな形での研究の開拓が見通せると思われるのである。そうした研究にあたっては、複数言語の必要などから、言語をまたいでの共同研究が必要であることは、編者たちが指摘している通りであるが、その実践例を本書がよく示していることを、最後に指摘しておきたい。

(「世界史の眼」No.79)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする