書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)
木畑洋一

 世界の現況を反映する形で、最近帝国史研究が盛んになっているが、本書はその流れに一石を投じる野心的な論文集である。編者の一人水谷智氏は、2018年に刊行された、日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』(岩波書店)に寄稿した研究動向紹介「「間-帝国史trans-imperial history」論」で、「間-帝国史」という研究分野の確立に向けて取り組んでいることを宣明していた。その努力の一つの成果が本書である。「間-帝国史」という少々座りの悪い日本語でなく、国際的に研究が進んでいるトランスインペリアル・ヒストリー(以下TIHと略記)という言葉がそのまま用いられているが、適切な選択である。水谷氏の研究プロジェクト自体国際的な広がりをもって取り組まれており、TIH研究を国際的に主導するダニエル・ヘディンガーとナディン・ヘーという二人の研究者も中心的な筆者となっているのである。

 本書では、序章「「トランスインペリアル・ヒストリー(TIH)」とは何か」を編者3人が、第1章「トランスインペリアル・ヒストリー」をヘディンガー、へーの両氏が執筆し、TIHというアプローチが何を意味するかを解説している。重なりあうところが多いこの二つの章の内容を評者なりに少し強引にまとめてみれば(両章で提示された豊富な論点の内、省略しているものもある)、次のようになろう。

1)対象としての複数帝国:これまでの帝国史研究では多くの場合ある特定の帝国が研究対象とされていたが、TIHは一つの帝国で完結するのでなく、複数の帝国を同時に扱う。
2)新たな対象空間設定:複数帝国のはざまに置かれた地域や複数帝国を包含する空間など、これまでの帝国史研究で等閑視されてきた空間をも対象とする。
3)相互関係の動態的把握:TIHはさまざまな事象の相互関係を複数帝国にまたがって扱うが、その場合、対象の可変性に留意しつつ、動態的な把握を行う。
4)新たな比較の視座:これまでも複数帝国間での比較という作業は行われてきていたが、それはいわば静態的に行われるきらいがあった。TIHでは、相互認識や越境的な関係を重視した動態的な比較がなされる。
5)非国家的主体への着目:帝国運営に関わる国家的な主体以外のさまざまな人びと、とりわけ帝国の草の根の次元を構成する支配される人びとが重要な研究対象となる。
6)反植民地主義の重視:TIHは帝国支配に関わる事象も抵抗に関わる事象も扱うが、とくに反植民地主義とその運動の連関性が重視される。

 このようにTIHの方法論を展開した冒頭部分に、第Ⅰ部「異民族統治をめぐる<比較のポリティクス>」、第Ⅱ部「帝国の<はざま>における経験―移動・帰属・入植」、第Ⅲ部「トランスインペリアルな被支配経験―もつれあう抵抗と連帯」という三部構成の本論が続く。以下では、とくに部の区別にはこだわることなく、各章についての簡単な紹介を、TIHという方法との関連に注目しながら行っていきたい。

 第2章フロリアン・ヴァーグナー「リベラルな帝国とファシスト帝国の境界を曖昧にする」は、1893年から1949年まで存在した国際植民地研究所(ICI)に集って植民地支配に関わる「知の交換と産出に携わった」(81頁、以下頁は省略)人びとが、原住民社会についてどのような情報の交換をし、どのような方策で植民地主義を実践しようとしたかを検討する。ICIが関心を寄せたのは、植民地農村の協同組合や都市の手工業組合であり、それとの関連で、大戦間期には、イタリアのファシスト体制がとっていたコーポラティズムが着目された。こうした国際組織の研究は従来もなされてきたわけで、TIHとして行うとなれば、それなりの独自性が求められるが、コーポラティズムを推賞したインド(ポルトガル領ゴア)出身の経済学者フレッペル・コッタについての議論(96-97)などを除いて、残念ながら本章ではそれがうかがえなかった。なお、著者はICIと日本の関係(柳田国男もICIの日本人会員三人のうちの一人であった)にも注意を払っている。ヘディンガー、ヘーの両氏もそうであるが、日本帝国の問題を巧みに取り入れることができる外国人研究者をそろえているのは、本書の強みであろう。

 第3章ダニエル・ヘディンガー「ファシスト国際主義」は、『枢軸―ベルリン・ローマ・東京 1919―1946年』(人文書院、2025)の著者による、ファシズム運動の国際的連携をめぐる論考であり、イタリアのファシズムを中心として日本の汎アジア主義運動にも周到な目配りをした議論が展開されている。ここで示されているファシスト国際主義の構図自体はきわめて具体的であり、読者はその消長過程についてのイメージを抱くことができる。その反面、国際ファシズムという概念とトランスインペリアルという概念の間の関係については、分りにくさが残るという感が否めない。帝国主義とファシズムの間の関連に留意しつつトランスインペリアルという問題を追求するなかで、国際ファシズム運動がどういう形で位置づけられるのか、についての説明が欲しかった。

 第4章馬路智仁「≪帝国知翻案者≫の可能性」は、国際関係思想史家による、TIHへの思想史的接近についての方法的提言である。ここで提示される方法は二つで、一つは≪比較のポリティクス≫、今一つは≪帝国知翻案者≫である。≪比較のポリティクス≫は、歴史のなかで実践された帝国間の比較作業に迫る方法であり、そうした比較などの結果がどのようにその実践者の帝国構想のなかに織りこまれていくかを「翻案」という作業などに着目しつつ分析していくことが、≪帝国知翻案者≫としての対象に迫る方法である。著者がTIHとしてより可能性が大きい方法として提起するのが後者であることはいうまでもない。それぞれについて、具体的な事例が挙げられているが、共通して取りあげられているのが矢内原忠雄の帝国論であり、違いが説得的に提示されている。帝国をめぐる言説を展開し、さらに帝国運営の実際にも関わったさまざまな人びとについて、この方法を適用することは、確かにTIHに思想史的広がりを付与していくことになろう。

 第5章東栄一郎「入植者植民地主義」は、近年注目が深まっている入植者植民地主義論がイギリス帝国中心的視点を取りがちであることを批判してその是正が必要であるとしつつ、さまざまな入植者植民地主義の間の絡まり合いに着目するTIHとの組み合わせが重要であると説く。そして、その具体的事例として、著者の主著『帝国のフロンティアを求めて――日本人の環太平洋移動と入植者植民地主義』(名古屋大学出版会、2022)でも検討されている、アメリカに入植していた日本人がアジアに回帰して日本の植民地拡大に寄与していく問題を取りあげる。入植者植民地主義論とTIHという方法的視座を結びつけることがその双方を豊かなものにするのは確かであり、大きな可能性をもつ提言であると感じた。

 第6章鶴見太郎「三つの帝国のはざまで」は、シオニズムの生成と展開を、ロシア帝国、オスマン帝国、イギリス帝国という三つの帝国が競い合う空間のなかに位置づけていこうとする試みである。著者は強調しないものの、これはオーストリア・ハンガリー帝国やドイツ帝国も視野に入ってくる枠組みであり、TIHという方法の有効性がよく示されている。ただ、第5章との関連では、イスラエルがガザやヨルダン川西岸で見せている「入植者植民地主義」の様相が、章の最後のところで触れられてはいるものの、シオニストが経験してきたトランスインペリアルな空間の規模感覚の問題に回収されてしまっているようにみえるのは残念である。トランスインペリアルな関係性のなかで展開してきた「入植者植民地」の歴史が、現在パレスチナの地で集中的に発現しているという点に、今少し踏み込めたのではないだろうか。

 第7章増渕あさ子「日米帝国のはざまで」は、沖縄からハワイへの移民の子として生まれた比嘉太郎という人物に焦点をあてて、第二次世界大戦期の彼の行動の軌跡(米軍の一員としてのイタリア戦線での従軍、日系人強制収容所での戦争協力姿勢喚起のための演説活動、沖縄戦期における沖縄への駐留)に重点を置きながら、「彼の主体性や帰属/疎外の意識がどのように揺れ動いていたか」(244)を検討する。TIHは、複数の帝国の力が交錯したり、複数の帝国のはざまに置かれたりしている空間に生きた非エリート層の人びとの生き様を重要な研究対象にするというが、「沖縄人」であることを意識しながらハワイという「故郷」を重視しつづけた比嘉の姿を描いた本章はそのような方向性をよくあらわしている。そうした比嘉の人種意識が揺れ動いていたことについても的確な分析がなされており、近現代世界において重層的な形でひろがる人種主義の様相に迫っていくのにTIHがきわめて有用であることが示されている。

 第8章水谷智「トランスインペリアル・ヒストリーからみた反植民地主義」は、反植民地主義の主体となった人びとの、異なる帝国の境界をこえたつながりをたどるなかで、TIHの射程を浮き彫りにする試みである。評者も、イギリス帝国史研究のなかで、アイルランドのナショナリストとインドのナショナリストの関係の重要性などを指摘してきたが、水谷氏は、TIHはそうした一帝国内に限られた関係をこえた複数帝国間での反植民地主義の連動に迫るものであるとして、具体的素材として、インドのナショナリストと日本帝国の関係を扱っている。日本の汎アジア主義を支持するインド人ナショナリストもいたものの、植民地支配国としての日本を批判し、日本に支配される朝鮮の人びとに共感したナショナリストも多かったとして、その代表例として詩人タゴールを取りあげるのである。この事例研究は、TIHの意味をよく示すものとなっている。ただ、たとえばタゴールを取りあげるとなれば、日本帝国との関係だけでなく、フランス帝国との関係も問題となりうるわけであり(タゴールが朝鮮の人びとに「東方の燈火」という詩を送った1929年という年の重要性を著者は強調しているが、その年に彼は仏領インドシナを訪問し、ベトナム人と交流した)、より多面的な形でTHIの構図を追求すべきではないか、という感が残った。

 第9章山田智輝「請願と出版文化」は、第一次世界大戦期までドイツの植民地であったトーゴが、大戦後国際連盟のもと英仏間に分割されて委任統治領にされていくにあたり、フランスの統治下に入ることを嫌った人びとからイギリスの政府や経済界、さらに国際連盟に対してなされた請願活動を分析する。こうした植民地住民の動きは、TIHの対象として確かに興味深い。また「他帝国の近隣植民地を中心とする地域的な出版文化を活用」する(304)という点もTIHのアプローチに即する重要な着眼点と考えられる。

 第10章呉叡人「相互的な主体化への道」は、すでに公刊されている中国語論文の翻訳である。著者は、イギリス帝国、日本帝国、中国帝国との関係に留意しながら、台湾と香港の近現代史を、人びとの主体形成という問題に即して検討していく。それによれば、台湾での政治的主体の形成は日本による植民地統治下で起こったのに対し、住民に植民地協力者としての性格が強かった香港における主体形成は冷戦期、それも1960年代以降を待たねばならなかった。著者の議論はきわめて明快で、台湾と香港の間の周到な比較によって支えられているが、これをあえてTIHと呼ぶ必要があるのかという点については、疑問を覚えざるをえない。相互の連関や交流、さらには相互参照といった局面がさらに示されるのであれば、TIHの好例になるとは思われる。ただ、複数帝国のはざまに置かれた地域のすぐれた比較研究として、本章の価値が高いことは確かである。

 第11章中尾沙季子「抵抗の連帯か帝国の拡張か」は、パン・アフリカ主義の初期を先導したアメリカの活動家たち、とりわけブッカー・T・ワシントンが推進していた黒人に対する実業教育活動である「タスキーギ・モデル」のリベリアへの導入問題を中心として、章タイトルに示されるアフリカン・アメリカンとアフリカとの関係がはらむ両義性に迫る試みである。帝国的性格をもったアメリカのアフリカへの関心と、パン・アフリカ主義を担ったアフリカン・アメリカンの思想と行動が、どのように絡み合っていったかという問題はすこぶる興味深いが、著者自身が「おわりに」で触れているような諸点―ハイチがしばしば参照軸となった意味、「黒人」という人種概念の機制、日本の植民地支配への投影―をより詳しく論じていけば、TIHという方法をより生かしていくものになったであろう。

 このように、本書には、TIHの日本におけるマニフェストにふさわしい力作が並んでいる。全体を通して評者が感じたのは、TIHというアプローチを生かすことができる研究対象の選択が重要だという点である。少々乱暴に整理してみれば、中にはTIHを意識することによって初めて浮かび上がってくる研究対象(たとえば第7章)がある。一方、これまでもさまざまな形で議論されてきた対象にTIHを用いることで、新たな相貌が見えてくる研究対象(たとえば第6章)もある。さらに、従来もTIHに近い形で研究されてきたもののTIHを意識することで視野をさらに広げられる研究対象(たとえば第8章)もある。TIHの追求によって、さまざまな形での研究の開拓が見通せると思われるのである。そうした研究にあたっては、複数言語の必要などから、言語をまたいでの共同研究が必要であることは、編者たちが指摘している通りであるが、その実践例を本書がよく示していることを、最後に指摘しておきたい。

(「世界史の眼」No.79)

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