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世界史寸評
参政党の歴史観を考える(その2)―「南京事件は捏造」なのか

 2025年10月3日の『毎日新聞』デジタル版は、“「南京事件は捏造」と主張する参院議員 研究者が鳴らす警鐘とは”と題する記事を載せた。矢野大輝記者によるこの記事は、「今夏の参院選で、旧日本軍が1937年に中国・南京を占領後、捕虜や民間人を殺りくした南京事件(南京大虐殺)を「捏造(ねつぞう)」「フィクション」と主張する候補が当選した」ことを問題として取り上げたものである。

 南京事件は、日中戦争で上海を攻略した旧日本軍が、中国国民党政府の首都・南京を陥落させた1937年12月~38年3月に、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や住民らを殺害し、強姦などを重ねた事件を指すが、これを「捏造」とする者が当選したというのである。

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 記事によれば、8月8日に「ユーチューブ」にアップされた教育研究者の藤岡信勝氏との対談で、参院選で初当選した参政党の初鹿野(はじかの)裕樹氏=神奈川選挙区=が「南京事件は捏造」だと主張し、隣に座った参政党の神谷宗幣代表も、南京事件は「もうすっかり日本軍の罪にされて」と付け加えたという。初鹿野氏は、南京事件で殺されたという人たちの「(遺)骨もどこにあるか分からないし、証拠だという写真も全部捏造。何も証拠もないような状況で、あったと断定するにはおかしいのではないか」と言ったという。実は、初鹿野氏はX(ツイッター)でもすでに6月18日に「南京大虐殺が本当にあったと信じている人がまだいるのかと思うと残念でならない」と投稿しているという。

 初鹿野氏が南京事件を否定している根拠の一つが、南京市の人口である。上の「ユーチューブ」では、旧日本軍が侵攻した37年12月にそれは「20万人」で、2カ月後には「25万人に増えている」とし、「30万人も40万人も人が亡くなっていることはない」と主張している。さらに『毎日新聞』が初鹿野氏に送った質問状への回答では、この人口について、事件当時南京在住の外国人で組織した南京安全区国際委員会が作成した文書群「DOCUMENTS OF THE NANKING SAFETY ZONE」(39年出版)を根拠として示したという。加えて、南京事件を否定している別の根拠として、写真も「南京事件の揺るぎない証拠として認定されたものはない」し、南京事件の目撃者や1次資料について「中立性のある第三者による有効なものがない」と回答したという。その上で、「歴史教科書のほぼすべてが南京事件があったという前提で書かれていることが問題と捉えている」と指摘したという。

 記事は、日本保守党から比例代表で出馬し初当選した作家の百田尚樹氏も、南京事件について組織的、計画的な住民虐殺はなかったとしていることを、想起している。かれの著書『日本国紀』(2021年、文庫版)では「占領後に捕虜の殺害があったのは事実」で、「一部で日本兵による殺人事件や強姦(ごうかん)事件はあった」と認める一方、「民間人を大量虐殺した証拠はない」と主張している。その根拠の一つとして、同じく人口問題を取り上げて、「南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人」とし、「『30万人の大虐殺』が起きたという話がありますが、これはフィクションです」と記しているというのである。

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 『毎日新聞』の記事は、このような主張に対する歴史家たちの批判をあげている。

 まず、南京事件の研究者で現代史家の秦郁彦氏は、虐殺があったと裏付ける証拠写真の特定は難しいとしつつ「(証拠)写真がないからといって南京事件がなかったとはならない」と言う。その理由として、当時の旧日本軍の戦闘詳報や外務省東亜局長が日本軍の不法行為を日記に書きとめていたことを挙げ、初鹿野氏の主張について「根拠が乏しい。ある程度の規模の民間人の虐殺があったことは否定できない」と批判したという。

 次に、同じく南京事件について研究する都留文科大学の笠原十九司(とくし)氏は、初鹿野氏と百田氏が持ち出す「人口」の根拠を、もっと実証的に「間違っている」と指摘しているという。

 笠原氏によると、南京市内に「占領前に20万人」いたという資料はなく、南京市政府の調査では占領直前の人口は50万人だったと記載されている。笠原氏は、初鹿野氏と百田氏が持ち出す「20万人」という数字は、南京安全区国際委員会で委員長を務めたドイツ人がヒトラーに宛てた手紙の中に出てくるものだが、これは市内の安全区に避難すると見込まれた人数の推計で「南京市の人口ではない」という。笠原氏は、占領2カ月後に「25万人に増えている」という主張についても否定する。旧日本軍がその頃に中国軍の敗残兵を見つけ出す目的で実施した住民登録で南京城内の住民は、安全区に20万人、その他の地域に5万人いたことを示す資料はあるが、南京市の占領直前の人口が50万人だったことを考えると「増えた」とする根拠にはならないという。

 なお、笠原氏は、その著書『南京事件』(岩波新書 1997年)において、南京事件を史実をもって跡付けており、外国人ジャーナリストや外国大使館員らが事件を報じていることも示している。さらに氏の『南京事件 新版』(岩波新書 2025年)は、関係者の証言をさらに加え、写真も載せ、そして南京事件の犠牲者の総数についてデータをもって証明している。

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 最後に『毎日新聞』の記事は、被害者数については日中の研究者で開きがあるものの、事件そのものは日本政府も認めていると指摘する。外務省はホームページに「日本政府としては、日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」との見解を掲載している。

 また、日中両国政府による「日中歴史共同研究」の日本側の報告書(10年)には「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と記載されていて、死者数は、中国側の見解が「30万人以上」、日本側の研究では「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。

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 記事の中で、笠原氏は、世界各地で戦争が今も絶えず日本でも防衛費が増額していることに触れ、「南京大虐殺の基礎知識や日本の侵略戦争がいかに残酷で無謀だったかということを知らない世代も増えてきている。デマに流されず、事実を見つめてきちんと反省しないと、日本は戦争という同じ過ちを繰り返すことになる」と述べている。記事は、戦後80年を迎え戦争の記憶が薄らぐ中、歴史研究者は「史実を見つめないと、また同じ過ちを繰り返すことになる」と「良識の府」(参議院)の担い手に警鐘を鳴らしていると、指摘している。これは「良識の府」だけの問題ではないであろう。

(南塚信吾)

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世界史寸評
「ガザ」とアメリカ歴史学会―P.マニングからのメールに思う

 わたしたちが出した『世界史の中の「ガザ戦争」』(大月書店)を、先日、アメリカのピッツバーグ大学のパトリック・マニングに届けた。マニングは、この本に国際連合の改革についての論稿を載せてくれた歴史家で、アメリカの内外で「世界史」を先導していることで知られている。

 この本をかれに送るについてはひと騒ぎがあった。9月に始め、日本からアメリカの彼に本を送ろうと郵便局へ行ったところ、この本は金額的にも本の目的としても問題ないはずであるが、いまトランプ関税の影響で通関業務が混乱していて、本がいつ着くか分からないし、無事に着くかも分からない、その場合には本は戻ってくるが、郵送料は帰ってこないと言われた。だから、1か月ぐらいは様子を見た方がいいというのであった。途方に暮れていたところ、たまたまわたしの息子が9月に末にワシントンへ仕事で行くというので、かれに本2冊を預けて、ワシントンで郵送してもらうことにした。それで無事にマニングに本が届いたのであった。

 さて、本を受け取ったマニングから早速メールで本2冊の安着を知らせてきた。そして、こう書いてきた。

  1. 本の1冊をピッツバーグ大学の世界史センターのセンター長であるラージャ・アダルRaja Adalに渡そう。かれは日本史の専門家で日本語もできる。かれに言って、日本語をできて、ガザ危機に関心を持っている人たちに、この本の事を広めてもらうつもりだ。
    ―マニングは2008年にピッツバーグ大学の世界史センターを創設した人物で、わたしもその最初の研究員として招聘され、4か月を過ごしたことがある。
  2. アメリカ歴史学会American Historical Association (AHA)の中に、ガザに関心を持って非常にアクティヴに活動している「平和と民主主義を求める歴史家集団」Historians for Peace and Democracy (HPAD)というのがあるので、そこに書簡を送って、今回の本のことを知らせ、日本語ができる歴史家たちに接触してこの本を探して読むように勧めるつもりだ。ついでに言うと、アメリカ歴史学会(AHA)は、2025年の総会においてガザでの「学校潰し」”scholasticide”についての決議を拒否していたが、最近HPADのリーダーたちに接近し、ガザに関する委員会をAHAに設けることで一致した。最近、われわれは、この重要な問題について、少しずつではあるけど、前進しているのだ。
    ―この「学校潰し」についての決議をめぐる問題というのは以下のようである。2025年1月5日にAHAの実務者会議business meetingが、「ガザでの学校潰しに反対する決議」を出していた。イスラエルがガザであらゆる教育機関を攻撃してそれを潰していたことに反対する決議である。決議はイスラエルのジェノサイドとアメリカのそれへの支援を非難するものであった。しかし、1月17日のAHA評議会はその決議を否決した。それは教育と研究というAHAの学術的な目的を規定したAHA規約の枠外にあるものだからというのであった。ところが、そのようなAHA指導部の姿勢が最近変化したというのである。マニングは2016-2017年にAHAの会長をしていたから、このようなAHAの変化にホッとしたことであろう。(詳しくは、The American Historical Association Council Betrayed its Members and the People of Gaza – Left Voice

 このように、マニングのメールからは、ガザへの関心を広めようという動きが細々と進められていること、そしてアメリカにおけるガザ問題が歴史家のあいだに竜巻を引き起こしていることを垣間見ることができるのである。

(南塚信吾)

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「世界史の眼」No.67(2025年10月)

今号では、先号より連載の小谷汪之さんの「敗戦と「南洋」―「土人」という言葉に触発されて」の(下)を掲載しています。今号にて完結です。また、東海大学の菅原未宇さんに、アンドリュー・リース(鹿住大助訳)『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)の書評をご寄稿いただきました。

小谷汪之
敗戦と「南洋」(下)―「土人」という言葉に触発されて 

菅原未宇
書評:アンドリュー・リース著、鹿住大助訳『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)

アンドリュー・リース(鹿住大助訳)『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)の出版社による紹介ページは、こちらです。

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書評:アンドリュー・リース著、鹿住大助訳『都市の世界史』(ミネルヴァ書房、2025年)
菅原未宇

 本書は「ミネルヴァ世界史<翻訳>ライブラリー」の一書として、オクスフォード大学出版局から出版されたNew Oxford World Historyシリーズのうち2015年に刊行されたThe City: A World Historyを翻訳したものである。著者のアンドリュー・リースはアメリカの近現代ドイツ社会史、思想史、都市史研究者である。

 第1章「初期都市の起源と位置」の冒頭で著者は、歴史上長きにわたり相対的に少数の人口を擁したに過ぎない都市が、社会に深い影響を与え、人類史の決定要因となってきたと述べ、都市の世界史を語る意義を示す。最初期の都市は紀元前4000年紀半ば、都市形成の前提条件である余剰食糧の生産地域から近く、水利に恵まれたメソポタミアに出現した。次いでその影響を受けながら、それぞれ異なる特徴を有した都市がエジプト、インダス渓谷に建設された。独自の都市化が起こった中国では、紀元前3000年頃に都市の出現が見られ、紀元前500年頃までに、人口10万人超の都市が少なくとも四つ存在するという、同時代の他地域では見られない状況を呈した。中央アメリカにおいても都市ネットワークの建設が確認できるが、そのほかのほとんどの地域において都市はまだまれな現象であった。

 第2章「大都市」では、紀元前500年から紀元300年にかけて都市文明の繁栄を見た地中海沿岸都市が主として論じられる。中でも、政治制度や建築、文化の面で独創性を示したアテネ、ヘレニズム世界の文化的中心となったアレクサンドリア、世界史上最初の巨大都市といえるローマについて考察がなされた。ローマ人の手で、帝国内の各地にローマ同様の公共建築を備えた都市が築かれたこと、同時代にはそのほか、パータリプトラや長安、洛陽といった王国の首都が、ギリシア・ローマの影響圏の外に発達したことも記される。

 第3章「衰退と発展」では、西欧が西ローマ帝国の崩壊による都市の衰退とその後の再発展を経験する4世紀から15世紀までの世界各地の都市の展開を跡付ける。当該時期前半、11世紀までのヨーロッパにおいて都市の活力を牽引したのはビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルであった。アジアとヨーロッパ、地中海と黒海を結ぶ国際商業網の要に位置したことが、その繁栄の鍵であった。同様に、首都という政治的地位と大陸間貿易の経路という地理的条件によって発達を遂げたのは、8世紀後半にアッバース朝カリフによって築かれたバグダードである。中国では行政中心地を主な核として都市網が形成され、長安、南京、大都といった時の帝国の首都がその頂点に位置した。アメリカ大陸においては、14世紀にアステカ帝国の首都として建設されたテノチティトランが、15世紀末までに西半球最大の都市に発展した。これら大国の首都として整備された都市と異なり、当該時期後半に再発展を遂げた西欧都市は、個人の居住選択の結果出現したという特徴があった。そのほか日本、カンボジア、西アフリカで都市の発生が見られた。

 第4章「首都、文化、植民地化、革命」は、16世紀から18世紀までの都市を検討対象とする。近世ヨーロッパでは、政治的中央集権化の結果、首都の急拡大が見られ、とりわけ北西部において急速に都市化が進展した。アジアでは、進出してきたヨーロッパ人との交易も部分的には寄与したが、多くはそれぞれの地域内の要因により都市化が進展し、例えば大名による城下町の建設によって日本における都市部の人口割合は増大した。中でも行政の中心地たる江戸は文化的消費の中心地としても繁栄を極めた。他方、アメリカ大陸においてはヨーロッパ人による植民都市建設が都市化を主導した。中でも18世紀第四四半期に英語圏で二番目の大都市となったフィラデルフィアは、公共圏の成立を背景にアメリカ独立運動の主たる原動力となった。社会的格差などの問題を孕みつつ巨大都市となったパリとロンドンにおいてはすでに同様の公共圏の発達が生じており、アメリカ独立に力づけられた人々は、パリでは革命を成し遂げ、ロンドンでは急進主義組織の活動を通じて民主主義の拡散を図った。

 第5章「工業化時代における都市の成長とその結果」は、世界大戦勃発までの長い19世紀の都市について考察する。新たな国民国家の樹立による行政の中央集権化と産業革命の結果、都市への人口集中が生じた。工場での高生産性を担保するのは蒸気機関という新たな動力源や機械の導入だけではなく、多数の労働者の工場近くへの居住でもあったからだ。機械化された輸送手段の登場は農村から都市への移住も促すことになった。過密に伴う公衆衛生上および道徳上の懸念から、都市環境の改良を目指した民間団体による事業が活発化した一方、権限強化された地方自治体の主導で、19世紀半ばから20世紀初めにかけてヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で衛生面を中心にインフラ整備が進められた。加えて、百貨店やミュージックホールなどの文化的インフラが大衆消費市場の力で生み出され、これらは都市の魅力、都市生活への愛着を強化することになった。

 第6章「植民都市」は、第5章と同時期の帝国主義支配下に置かれた地域の都市について論じる。ヨーロッパ列強の直接的支配が及んだ南アジア、東アジア、東南アジア、アフリカの都市は、支配権力を象徴する公共建築物の存在といった共通点を持ちつつ、住民のほとんどがヨーロッパ人の場合と、非白人である場合(その多くが植民地化以前に歴史を持つ古い都市)とで、設計や政治制度などの点で異なる特徴を有することになった。後者においては、同時代のヨーロッパでは許容されなくなりつつあった非民主的な統治が行われた。権威主義的体制の下で公衆衛生の改善はあまり進まなかったが、こうした試みの中で西洋人と地元民の居住地を分離する人種隔離政策が提案され、いくつかの都市でそれが実行に移されていく。いずれにせよ宗主国の支配の確立、維持のための拠点として都市が重要な役割を果たし、ヨーロッパの都市、植民地の都市、後背地の間で以前にも増して緊密な関係が形成されることになったが、そのネットワークは帝国主義の打倒を目指す運動にも力を与えることになった。

 第7章「破壊と再建」は、世界大戦勃発から戦後復興期にかけての都市について検討する。総力戦による困難に直面し不満を抱えた人々を懐柔し秩序を維持するため、国家や自治体は以前にも増して社会への介入を強めた。しかしペトログラードでは革命が勃発し、その後の内戦を経て生まれたソヴィエト連邦の領域では、急速な工業化とそれに伴う都市化が進んだ。アメリカの都市などの例外を除き、第二次世界大戦がもたらす暴力と無秩序は、それまでの戦争と比べてもはるかに壊滅的な被害を都市居住者に与えることになった。戦後、西側東側問わず、都市部の再建が政府の最重要課題として推進されていく。

 第8章「一九五〇年以降の都市の衰退と成長」は、20世紀後半から今世紀初頭にかけての都市の変遷を跡付ける。この時期、脱工業化と都市郊外化により衰退する都市が欧米で見られた一方、都市化が急速に進展したアジアやアフリカで、上海やラゴスといった巨大都市が出現した。この要因は公衆衛生の改善による自然増と農村から都市への人口移動であり、後者は教育を通じた若者の啓発やマスメディアを通じた都市生活の喧伝によって促されていた。また、摩天楼の建設も都市居住者の急拡大を可能にした。これら開発途上国の都市を中心に、スラムや大気汚染などの課題が今なお山積しているが、他方、都市はそうした問題の解決が模索され未来が形作られる場でもあると締めくくられる。

 以上概観してきたが、評者の考える本書の意義は、同時代の世界史的状況の中に各地の都市形成や発展を位置付けているという点にある。例えば、紀元前3世紀に35万人ほどの住民を擁したパータリプトラが同時代のローマと同程度の規模だったと述べる(p. 42)一方、その後紀元2世紀までに後者の人口は少なくとも70万人に達し、世界史における最初の巨大都市となったという評価を与える(pp. 33-34)。このように本書は随所で様々な都市の推計人口を示しつつ共時的、通時的な比較を提示しており、評者のように個別都市の実証研究を行っている者の目を開いてくれるように思われる。

 ただ本書が、シリーズの巻頭言で掲げられるヨーロッパ中心的な発展段階の叙述ではない新しい世界史叙述の試みとなっているかどうかと問われると、その点はやや心許なく感じた。例えば章別編成について、第3章からは明らかであるが、西洋史の時代区分を踏襲しているように思われる。その結果、15世紀末までに都市化が進んだ中国の都市人口はヨーロッパのそれよりも多く、1800年当時、北京は恐らく世界最大の都市であった(p. 81)と指摘しながら、第3章、第4章でのそれぞれ分散した言及に留まり、大都から北京への都市発展の筋道立った叙述が提示されないという憾みが残る。ほかにも、植民都市を考察する第6章において(前後の章では日本の事例が考察されているにもかかわらず)、大日本帝国の植民地ないし居留地についての言及は皆無であるが、仮にそうした議論が加わっていれば、この章でもっぱら対象となっているヨーロッパ列強による植民都市のあり方を相対化する叙述になり得たのではなかろうか。

 もっとも、たとえ上述の指摘が妥当だとしても、都市を主題とする世界史叙述を日本語で世に問うた本書の価値は揺らぐものではない。都市史研究者はもちろん、日本史と世界史の共時性に関心を持つ教育者にも一読をお勧めする。

(「世界史の眼」No.67)

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「世界史の眼」No.66(2025年9月)

今号から、小谷汪之さんの「敗戦と「南洋」―「土人」という言葉に触発されて」を連載します。また、南塚信吾さんに、連載中の「北前船・長者丸の漂流  その4」をご寄稿頂きました。今号で完結です。

小谷汪之
敗戦と「南洋」(上)―「土人」という言葉に触発されて

南塚信吾
北前船・長者丸の漂流 その4

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『世界史の中の「ガザ戦争」』が刊行されました

世界史研究所とそのメンバーが企画・編集に関わった、藤田進・世界史研究所編『世界史の中の「ガザ戦争」』が、大月書店から刊行されました。いまだ終わりの見えない「ガザ戦争」の根源を広く世界史の中に探ろうとする意欲作です。

大月書店の紹介ページは、こちらです。また、本書の目次は以下の通りです。

第Ⅰ部 「ガザ戦争」とは何か――歴史から問う
第1章 「ガザ戦争」の真相……………………………………………………藤田進
 1 一〇月七日まで
 2 「ガザ戦争」
 3 高まる世界的批判 二〇二四年
 4 おわりに
第2章 パレスチナ問題の歴史を読み直す…………………………木畑洋一・藤田進・平井文子
 1 パレスチナ問題の起源――イギリスの責任(木畑)
 2 イスラエル国家とパレスチナ難民の解放闘争(藤田)
 3 二〇〇六年 パレスチナ分裂以降――ハマス政権下のガザ(平井)

第Ⅱ部 イスラエルと西側諸国
第3章 イスラエル・パレスチナ問題と米欧………………油井大三郎・木畑洋一・木戸衛一 
 1 米国のイスラエル・パレスチナ政策と反シオニズム(油井)
 2 イスラエル批判と反ユダヤ主義(木畑)
 3 ドイツの〈反・反ユダヤ主義〉のドグマ(木戸)
第4章 イスラエルの岐路……………………………………………………清水学・鶴見太郎
 1 ガザ攻撃を続けるイスラエル国家が示すもの(清水)
 2 イスラエルのユダヤ人問題(鶴見)
第5章 日本と「ガザ戦争」――中東での戦争と日本の戦争国家化…………………山田朗  
 1 中東の戦争と日本の関係性
 2 日本の中東政策の原点――オイルショック
 3 第一の転機としての湾岸戦争
 4 第二の転機としてのイラク戦争
 5 第三の転機としての集団的自衛権の容認
 6 おわりに――中東の戦争を利用した日本の戦争国家化

第Ⅲ部 対抗と平和への模索
第6章 「下から」の抵抗と変革……………………………………松本耿郎・松下冽・堀内隆行
 1 滅ぶことなき抵抗者たち――不死なるものムスタズアフィーン(松本)
 2「ガザ戦争」と「グローバルサウス」――戦争が顕在化する「グローバルサウス」空間の重層性(松下) 
 3 南アフリカのジェノサイド提訴(堀内)
第7章 アメリカとの対抗と「ガザ戦争」…………………………下斗米伸夫・久保亨
 1 「ガザ戦争」とウクライナ戦争、あるいは帝国とユダヤ(下斗米)
 2 中国と中東問題――パレスチナおよびイスラエルとの関係を中心に(久保)
第8章 国連の改革へ……………………………………………清田明宏・パトリック・マニング
 1 「ガザ戦争」と国際社会の失敗――国連の現場で見た「ガザ戦争」の失敗(清田)
 2 「ガザ戦争」と国際世論と国連改革(マニング・南塚訳)

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『被爆者・切明千枝子さんとの対話』が刊行されました

桐谷多恵子『被爆者・切明千枝子さんとの対話—〈私たちの復興〉をめざして』が、彩流社より刊行されました。95歳になってもなお被爆証言を続ける切明千枝子さんとの対話を通して、戦後の広島の<復興>の姿を問う意欲作です。

彩流社の紹介ページは、こちらです。

本書の目次は以下の通りです。

はじめに
Ⅰ 序論にかえて
1 被爆者の孫として生まれて
2 被爆者切明さんとの出会い
3 戦争を通して人間をやめたくなった経験
4 眼差しの先
5 女性の被爆者の証言
Ⅱ 切明千枝子さんの生い立ち
1 切明さんの家系─祖父母の家族史
2 誕生から幼稚園まで
3 小学校から広島県立広島第二高等女学校まで
Ⅲ 軍都廣島の軍国少女
1 軍都廣島
2 軍都廣島の「軍国少女」
3 広島と軍隊と戦争
4 戦前の広島の持つ「加害」性 他
Ⅳ 切明さんの被爆体験
1 切明さん自身の被爆体験
2 後輩の被爆と看護
3 友達を焼いた日
4 「お手洗いに行きたい」という懇願
5 被爆地で生きていく覚悟
6 原爆症の発症と回復
Ⅴ 切明さんの戦後
1  「敗戦」と「棄民」
2  原爆の惨禍を目に医師を志す
3  県立女子専門学校にて
4  「社会」との出会い
5  「平和」との出会い
6  「民主主義」との出会い
7  切明悟さんとの結婚と出産
8  「東方出版」と教育の改革
9  本当の平和とは何か
10 被爆者への差別
11 近現代広島において女性であることの困難 他
Ⅵ  被爆体験を語ること
1  「生き残ってしまった」苦しみ
2  被爆体験を語り始めた契機
3  江口保氏との出会いと被爆証言
4  級友とチームを作って話す
5  証言行為と自身への影響
6  証言講話の頻度
7  病気の発症と被爆証言をめぐる周囲の心配
8  聞かせて欲しいと言う人の存在
9  「広島修学旅行」より後の証言活動
10 切明さんの涙と願い
11 切明さんの被爆体験講話の構成
Ⅶ  アメリカによる占領という経験
1  戦後の占領政策
2  被爆者と「空白の10年」
3  戦後の飢えと占領軍の配給
4  民主主義を広める担い手として
5  子供の人権―児童図書館での驚き
6  アメリカの豊かさと憧れ
7  ABCC(原爆傷害調査委員会)による被爆者調査
8  オバマ大統領の広島訪問
9  「アメリカ憎し」と嘆く祖母の涙
10 アメリカの見事な占領政策
Ⅷ  広島の「復興」と〈私たちの復興〉
1 復興とは何か
2 広島市における都市計画による「復興」
3 重ならない都市計画による復興と生活者としての復興
4 切明さんの語る〈私たちの復興〉
5 被爆者にとっての復興とは何か
6 切明さんにとって〈私たちの復興〉の意味するもの
7 あらためて切明さんと対話し、復興の課題を確認する
Ⅸ  終わりに
1 どうか書き残してください
2 「人間が変わる」ということ
3 平山郁夫「広島生変図」
4 自衛のための戦争
5 人間再生の壮絶な闘いの軌跡
6 被爆三世として
7 個人の尊厳について

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世界史寸評
参政党の歴史観を考える

 参政党は「日本人ファースト」などという借り物のスローガンで選挙民を引き付けたが、われわれはその考え方の基本となく歴史観をしっかりと把握しておく必要がある。参政党の歴史観を知るうえで参考になるのが、2025年7月19日の毎日新聞に出た日本近現代史家の山田朗さんのインタヴュー記事(栗原俊雄氏による)である。それは、《参政党の歴史観を「面白い」に危機感 史実無視した演説、歴史学者は》と題されていて、1930年代からの日本の戦争についての参政党代表の考えを批判的に論じたものである。

●治安維持法

 参政党は戦前の日本の政治体制について、どう考えているのか。神谷代表は、鹿児島市での7月12日の街頭演説で、1925年成立の治安維持法を巡り、こう語っていた。

<日本も共産主義がはびこらないように治安維持法って作ったんでしょ。(中略)悪法だ、悪法だっていうけど、それは共産主義者にとっては悪法でしょうね。共産主義を取り締まるためのものですから。だって彼らは皇室のことを天皇制と呼び、それを打倒してですね、日本の国体を変えようとしていたからです>

 これに対して、山田さんは、治安維持法というのは、「共産主義取り締まりを名目として『国体変革』を目指すとされたさまざまな反政府運動・思想を弾圧した」としたうえで、「朝鮮などでは独立運動家も治安維持法によって厳しく取り締まりを受けている。国内でも次第に自由主義者に弾圧が拡大された」と指摘した。つまり、治安維持法は、共産主義だけでなく広く思想や言論の自由を弾圧する法律であったと指摘した。

このような法律を駆使して、戦前の日本の支配層は日本が戦争へ進む歯止めをはずして行ったのである。

●日中戦争

 神谷代表は6月23日に、那覇市での街頭演説で、1931年の満州事変に始まる日中戦争についてこう語っていた。

<(日本は)中国大陸の土地なんか求めてないわけですよ。日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそです。違います。中国側がテロ工作をしてくるから、自衛戦争としてどんどんどんどん行くわけですよ>

 満洲を侵略し支配していた日本の関東軍に対して、中国側が起こした抵抗を「テロ」と断定していたわけである。山田さんは「日中戦争は、近代日本の膨張主義の結果であり、とりわけ満州事変(1931年)を成功事例とみなした結果の侵略行為だった」と指摘した。さらに「日本には中国への勢力拡張を目指す勢力とそれを支持する人たちがいて、その結果が満州事変と満州国建国(32年)だった。そして満州国を足がかりに中国華北にさらに勢力を拡張しようとして『華北分離工作』を行っていた。その最中に起きたのが盧溝橋事件(37年)だった」と述べて、満州事変以後の日本軍の対中侵略戦争を「自衛戦争」とする見方を否定した。

●太平洋戦争

 神谷代表は、同じ演説で1941年からの太平洋戦争についても次のように述べていた。

<大東亜戦争は日本が仕掛けた戦争ではありません。真珠湾攻撃で始まったものではありません。日本が当時、東条英機さんが首相でしたけど、東条英機を中心に外交で何をしようとしてたかというと、アメリカと戦争をしないことです。そして、中国と和平を結ぶ。当時、中国ってないですけどね、支那の軍閥、蔣介石や毛沢東、張学良、ああいった人たちと、いかに戦争を終わらせるか、ということをやるんだけど、とにかく戦争しよう戦争しようとする人たちがいるわけですよ。今も昔も>

 毎日新聞は、日米開戦に至る経緯を次のように振り返っている。「日中戦争は欧米諸国が中国側を支援したこともあり、泥沼化した。さらに、日本は40年、米国の同盟国である英国と戦っていたドイツ、イタリアと三国同盟を結んだことから、英米との関係が悪化した。近衛文麿首相はルーズベルト米大統領との直接会談を模索するなどしたが、かなわなかった。鍵は米国が求めていた、中国からの日本軍撤兵だった。しかし東条英機陸相らが強硬に反対。近衛内閣は総辞職した。代わって誕生したのが東条内閣だ。」と。事実関係は、このとおりである。

 戻って、参政党代表の主張に対して、山田さんは「日米交渉の中で、米国が日本軍の中国からの撤退を要求すると、東条を中心とする陸軍が『日中戦争の成果を無にすることはできない』と主張し、英米との戦争に踏み切った」と反論したのだった。

●開戦

 神谷代表は、鹿児島市での7月12日の街頭演説で、太平洋戦争が始まった経緯についても、次のように述べていた。

<(共産主義者は国体を)自分たちだけでは変えられなかった。彼らは何をしようとしたか。政府の中枢に共産主義者とかを送り込んでいくんですね。スパイを送り込んでいくんですね。そして日本がロシアや中国、アメリカ、そういったところと戦争をするように仕向けていったんです。ロシアとされると困るんです。旧ソ連ですね、ソ連は共産主義だから。じゃあアメリカやイギリス、そのバックアップを受けている中国とぶつけよう。それで日本は戦争に追い込まれていったという事実もありますよね。教科書に書いてないですよ。なぜか。戦後の教科書は、彼らがチェックしてきたからです。こういうことをちゃんと、国民の常識にしないといけない>

 こうした歴史認識について、山田さんは「戦争は『共産主義者』の陰謀という見方は、戦前から存在する典型的な陰謀史観。事実認識としては全く誤っている」と指摘する。

 神谷代表は、こういう歴史観をどこから仕入れてきたのだろう。上の「陰謀史観」を事実でもって証明した議論を聞きたいものである。

●ユダヤ系国際金融資本

 毎日新聞は、神谷代表の演説の背後を探ろうと、彼の編著による「参政党Q&Aブック 基礎編」(2022年)に当たっている。そこでは、「ユダヤ系の国際金融資本を中心とする複数の組織」を「あの勢力」と呼び、太平洋戦争が起きたのは日本が「あの勢力」に逆らったためとする説を主張しているという。

 これに対し山田さんは、「(戦争は)『ユダヤ系金融資本』の陰謀とする見方も、世界に広く流布している典型的な陰謀論『ディープステート』論の一つ。実態はないが、人々にそのようなものが存在しているかもしれないと思わせ、被害者意識を膨らませ扇動する政治的手法だ」と批判した。

 当然ながら、なぜ、こうした「陰謀論」が公然と語られ、また、影響力を持ち続けるのかという疑問がわいてくる。これに対して、山田さんは、「真面目な歴史学者や地道なジャーナリズムの成果が、出版や教育を通じて一般化されておらず、歴史的事実を無視した極端な議論が『面白い』『新しい』と受け取られてしまう状態が広がってしまっている。戦後80年の節目に、こうした状態を転換したい」と話したという。このような山田さんの危機感をわれわれはどう受け止めていくべきであろうか。真剣に考えなくてはならないであろう。

(文責 南塚)

 

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世界史寸評
広島原爆投下直後の米軍メモ―国家安全保障アーカイブの新公表資料から
木畑洋一

 国家安全保障アーカイブ(The National Security Archive:NSA)は、1985年に米国のワシントンにあるジョージ・ワシントン大学で創設された民間組織であり、情報公開制度を用いて米国政府資料の発掘を積極的に行うなど、世界現代史に関わる資料の収集につとめ、それを公開する活動を展開してきている。そのNSAが日本への原爆投下に着目したのが、投下後60年目に当たる2005年であり、それ以降、この問題に関わる資料を公開してきている。投下後80年目の今年(2025年)にも、新たな資料の発掘・公開が行われているが、そのなかに、広島への原爆投下直後で長崎にはまだ投下されていない8月8日に、テニアン島(原爆を投下したエノラ・ゲイの出発地)の米空軍所属の誰か(人物の特定はできていない)がまとめた、原爆投下状況に関するメモが含まれている。きわめて興味深いメモであるため、その概要を紹介してみたい。

 なお、このメモは、Library of Congress Manuscript Division, Henry Arnold Papers, box 5, Chron Correspondence にあるもので、NSAの公開にかかるurlは以下である。

https://nsarchive.gwu.edu/document/33330-doc-71a-headquarters-20th-air-force-telecon-fn-08-21-comgenaaf-20-c0mgenustaff-rear

 以下は5頁強にわたるこのメモの骨子である。

 広島について今いえることは、Hiroshima is no more という4語で足りる。広島は、最大級の地震によるよりもさらに壊滅的な形で、地図から消し去られたのだ。火事の徴はないが、それは燃えるものが何も残らないような形で、核の力がすべてを粉砕したためである。

 爆発によるクレイターも存在しないが、それはそうした穴を残さないようにした爆弾投下計画の結果である。

 広島の人口は334000人である。その内、完全に破壊された地域に住んでいる20万人以上が命を失ったと考えられるが、最も控えめに推定しても、少なくとも10万人が「すでに負けたと知っている戦いを続けることにこだわった軍事指導者の犠牲」になった。彼らが米国などによる条件[ポツダム宣言]を受け入れない限り、近い将来、広島の何倍にも上る犠牲者が出ることになるだろう。

 8月6日に用いられた原爆のエネルギーは理論上TNT火薬100万トンに相当するが、現行知識の限界から、実際に用いることができたエネルギーはTNT火薬8000トンから2万トンに限られた。それでも、人間が作った武器としては最大の爆発力である。

 原爆投下の5時間後に行った偵察飛行によると、広島市の上空は爆発による雲に覆われたままだった。7月にニューメキシコで行われた実験の際には、5時間後に雲は消失したので、広島での爆発力がはるかに大きかったことが分る。これは、空爆の体験豊富な飛行士が誰も経験したことがなかった事態である。

 原爆を投下したエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツ大佐は、支給されていた色眼鏡をかけるのを忘れていて、まぶしさのために眼が見えなくなったと語っている。「眼の前が完全に真っ白になってしまった」のだ。

 同じくエノラ・ゲイに搭乗していた[副機長]ロバート・A・ルイス大尉は、「町のその部分は引き裂かれてしまったように見えた」と言い、「そんなものはこれまで見たことがなかった」という言葉を繰り返した。「[投下の]結果を見ようと機首を戻したところ、眼の前にあらわれたのは見たこともないような爆発だった。市の9割は煙に包まれ、それは3分もしない内に3万フィートの高さに達した。それは予想をはるかに超えていた。恐ろしいことが起こりそうだとは思っていたものの、実際に眼にしてみると、我々は皆、25世紀の未来の戦いを描いた映画バック・ロジャーズ[1939年に公開された映画]の戦士であるかのように感じたのだ。」

 原爆の開発にも関わり、エノラ・ゲイに搭乗していたウィリアム・S・パーソンズ大尉も、「ひどい光景」だったと述べる。「きのこ雲の下の方では直径3マイルにわたって紫がかった灰色のちり状の物体が煮えくりかえっていた。全地域が煮えくりかえっていたのだ。」「きのこ雲の頂上部分から大きな白い雲が離れて上昇していった。2番目の白い雲も空中に昇り最初の雲を追いかけていった。きのこ雲のてっぺんも煮えくりかえっていた。」「もしジャップが、隕石に打たれたと言ったりすれば、我々は、この爆弾の出発点にはこれがもっとあるのだと答えることになろう。」

 この間、この基地では、日本がポツダム宣言を受け入れなければさらなる攻撃にさらされることになると日本の軍部指導者を説得するための努力が払われ、これから36時間以内に「日本の人々」に宛てて投下される予定のビラの文言として次のようなものが考えられている。

我々が新たに開発した原子爆弾は2000機のB29に匹敵する爆発力をもつ。それに疑いをもつなら、広島で何が起こったか調べてみるといい。この爆弾を使って軍の資源を全滅させる前に、戦争を終わらせることをあなた方が天皇に請願するよう求めたい。今軍事的抵抗をやめなければ、戦争を速やかに無理矢理にでも終わらせるため、我々はこの爆弾や他のすぐれた武器を使っていくことになる。

 いうまでもなく、このメモが書かれた翌日の8月9日、同じテニアン島を飛び立った航空隊によって、長崎に二つ目の原爆が投下されたのである。

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アメリカのイラン攻撃をどう考えるか―主要新聞の社説から―
南塚信吾

 2025年6月21日、アメリカが突然イランの核施設3か所を攻撃した。イスラエルに続いてアメリカがイラン攻撃に参戦したわけである。この問題をめぐって、ネット上に登場した日本の主要新聞の「社説」「主張」を比較点検してみた。比較したのは、日本経済新聞6月22日社説、読売新聞、産経新聞、朝日新聞、毎日新聞、信濃毎日新聞、東京新聞、北海道新聞、神戸新聞の各6月23日社説・主張である。すでに、イスラエルのイラン攻撃についての各紙の社説などは、比較して検討してみたが、それを受け継いで、アメリカのイラン攻撃についての社説などを検討しようというのである。なるべく重複は避けるようにしてみた。

 論点は多岐にわたるが、以下では主なものについてのみ、検討の対象としている。

1.国連憲章との関係について

(1)アメリカのイラン攻撃が国連憲章と国際法への明白な「違反」「暴挙」であると厳しく批判しているのは、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、東京新聞、信濃毎日新聞、北海道新聞、神戸新聞、赤旗である。
 例えば、北海道新聞は、「最大限に非難する」とし、毎日新聞は、「ルールや手続きを一切度外視し、思いのままに他国の領土を攻撃するトランプ氏の行動は、道理に反し、看過できない」とし、朝日新聞は、「法の支配」の揺らぎは深刻だと警戒している。東京新聞は、「米政権は4月以降、核開発を進めるイランとの交渉を続け、軍事介入とは距離を置いてきたが、イスラエルのイラン攻撃を受けて、攻撃を準備しつつ、イランに無条件降伏を迫る姿勢に転換した」として、イラン攻撃の根拠の曖昧さを突いた。

(2)これに対し、読売新聞、産経新聞は、アメリカの攻撃は国連憲章への違反だという批判はしていない。読売新聞は、「国連憲章や国際法に違反している」というのは、イランの主張だという。では、イスラエルの攻撃にどういう正当な理由があるというのだろう。読売新聞は、「ウクライナやパレスチナ自治区ガザでの停戦はめどが立たず、イランとの核交渉も行き詰まっていた。外交で実績が乏しい中、トランプ氏は成果を急いでイラン攻撃を決断した」とするだけで、正当な理由は示していない。
 産経新聞は、アメリカは「核武装を阻止するとしてイランを攻撃中のイスラエルに加勢した」のであり、「核兵器級の90%へ近づく行動で、イスラエルなどがイランは短期間で核兵器を生産できると危機感を強めたのは当然だろう。」とする。
 両紙とも、国際法上の理由は示していない。この論理では、自国の都合や判断で、いつでも他国を武力攻撃できることになる。

(3)この問題は「自衛権」の有無に関係している。一主権国家が他の主権国家を武力攻撃するというのは、国連憲章に認められた「自衛権」の行使以外にはありえないわけであるが、アメリカがイランのために自国の危機が差し迫っているわけではないので「自衛」ということは当てはまらないというのが、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞などの主張である。
 毎日新聞は、「国際法上、他国への武力行使が認められるのは、自衛権の行使か国連安全保障理事会の決議がある場合に限定されている。自衛権の行使は、攻撃を受けた後に反撃する場合や、差し迫った脅威があることが前提となるが、いずれにも当たらない。」と厳しい。したがって、「国連のグテレス事務総長が「深刻な懸念」を示し、「世界の平和と安全に対する直接的な脅威だ」と警告したのは、当然だろうという。
 朝日新聞も、アメリカの攻撃は、「自衛権の行使を例外に紛争の武力解決を禁じた国連憲章に反する。グテーレス国連事務総長が「国際の平和と安全に対する直接的な脅威だ」と批判したのは当然だと言う。 
 日本経済新聞も、「国連憲章は武力行使を原則として禁じる。例外として自衛権の行使を認めるが、米国に正当化できる差し迫った脅威があるのだろうか。軍事介入を認める国連安全保障理事会決議も得ていない。」と批判する。
 6月15日から6月17日に開かれたカナダでの主要7カ国首脳会議(G7会議)nには期待する面もあったが、その共同声明は米国への配慮からイスラエルの自衛権を支持したのだった。東京新聞は、「誤りは明白だ」と厳しく批判した。そして、「米国の軍事行動を厳しく非難し、国際秩序を守る決意の言葉を発するよう求める」と強い論調を張った。
 これら各紙は、イスラエルについてさえ、そのような自衛権は認められないとしていたわけであるから、ましてアメリカについては、自衛権などは問題外だということである。
 一方、読売新聞の議論では、アメリカは、イスラエルの「自衛権の行使」を認め、自らはイスラエルに加担したのだと、説明している。産経新聞は、自衛権の問題にはまったく触れていない。
 この問題は、さらにイランの核開発の評価に関係している。

2.イランの核兵器開発について

(1)朝日新聞、日本経済新聞、東京新聞、北海道新聞、神戸新聞は、イランの核開発が核兵器の保有近くにまで進んでいたからと言って、アメリカが攻撃したことは非難すべきだとしている。とくに日本経済新聞、東京新聞、神戸新聞は、アメリカはイランが核を保有しているという「根拠」を示すべきだと主張している。
 この問題では、日本経済新聞が厳しい姿勢を取っている。同紙は、国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は、イランの核兵器開発に向けた組織的取り組みの証拠はないとしていたことを指摘し、イランが核兵器を持っているという「根拠はあやふやだ」と批判する。東京新聞も、イランの核兵器製造の「証拠がない」と指摘する。
 日本経済新聞は、ギャバード米国家情報長官が3月時点で、イランは核兵器を製造していないとの見解を示していたのに、トランプ氏がその分析を否定すると、同氏と足並みをそろえて説明を翻したとして、トランプの圧力を示唆する。同じく、朝日新聞も、アメリカの情報局長がイランの核保有を否定しているのに、トランプがそれは嘘だと否定した件を取り上げている。
 以上の新聞や赤旗は、すべて2003年にアメリカのブッシュ大統領がイラクを攻撃した時、イラクが大量破壊兵器を持っていると主張して攻撃したが、のちにイラクは大量破壊兵器を持っていなかったことが判明したことを引き合いに出して、その轍を踏まないよう警告していた。例えば、「2003年のイラク戦争の教訓を米国は忘れてしまったのか」と、日本経済新聞は驚きを隠さない。イラク攻撃のときも安保理決議はなかったが、パウエル米国務長官が安保理で報告するなど一定の手続きを踏む姿勢をみせた。それに比べ、トランプ政権は軍事介入につき国連安全保障理事会に報告さえしようとしていないという。毎日新聞も同様の主張である。

(2)これに対して、読売新聞と産経新聞は違った議論をしている。産経新聞は、イランの核武装を前提にして、アメリカはイランの核武装を阻止するためにイスラエルに加勢したのだとし、イランは速やかに核兵器を放棄すべきだと主張する。「核兵器級の90%へ近づく行動で、イスラエルなどがイランは短期間で核兵器を生産できると危機感を強めたのは当然だろう。」「イランはイスラエルの生存権を認めないと公言する唯一の国である。イランが核兵器を持てば、直接または親イラン武装勢力によって、イスラエル攻撃に用いられる恐れがあった。それは核戦争の勃発につながる」と、理解を示した。しかし、これはアメリカの危機ではないのではなかろうか。
 このようなイスラエルやアメリカの危機対応を理解してあげる教訓として、産経新聞は、2003年のイラク戦争ではなく、1994年の北朝鮮問題を挙げる。1994年に北朝鮮の核武装をめぐってアメリカが北朝鮮に妥協して、その後の北の核武装を許してしまったと主張して、そのような失敗をするなと言うのである。「1994年当時の米国や日韓は北朝鮮の核武装を見過ごしたが、現代のイスラエルや米国は核武装に進むイランの行動を傍観しなかったことになる」と、正当化するのである。
 一方、読売新聞は、アメリカは、イランとの核交渉も行き詰まり、外交で実績が乏しい中、トランプが成果を急いでイラン攻撃を決断したとする。イスラエルは、米国に軍事介入するよう求めていたが、トランプは当初、否定的だった。だが、イスラエルの攻撃が成果を上げたとの見方が広がると、一転してイラン攻撃へと傾いたのだという。だが、これは攻撃の正当化にはならない。
 いずれも、核兵器保有の「根拠」などは必要なかったと見ているわけである。恐ろしいことに、この二紙によれば、核兵器保有の可能性があれば、大国は自由に他国を攻撃できることになる。

3.イランの反応について 

 アメリカの攻撃を受けたイランについては、各紙はどのように論じているのだろうか。

 第一に、アメリカの攻撃を受けたイランの自制を求めるのが多い。例えば、日本経済新聞は、「イランは米国の軍事介入があれば報復する構えを示してきた。中東の米軍基地に反撃し、周辺のアラブ諸国に戦火が広がりかねない。報復の連鎖は危険だ。イランに慎重な行動を求めたい」と述べた。

 第二に、アメリカの攻撃がイランの核開発を刺激することを怖れる声が多い。例えば、同じく日本経済新聞は、イランが通常兵器だけでは抑止力を回復できないとみて、核兵器の製造に傾くかもしれない。そうなれば不安定な中東に大きな火種を残す。イランが核拡散防止条約(NPT)からの脱退に動けば、世界の核不拡散の努力に向かい風が強まるという議論を展開している。信濃毎日新聞も同様にイランの核開発に懸念を表明している。

 第三に、朝日新聞は、「イランに非がなかったわけではない」とする。イランは、「原発の燃料などに必要な濃度をはるかに上回る高濃縮ウランの貯蔵量を増やし続けた。これが、トランプ政権と距離を置いていた欧州の疑念も呼び、イスラエルに攻撃の口実を与えた」というのである。たしかにそうではあるが、このような「非」を主張しているのは、同紙だけであった。

 第四に、イスラエルのイラン攻撃に際しては、イランの体制危機を問題にしていた毎日新聞などは、今回は、それを問題にしなかった。代わって、東京新聞がこう述べていた。「軍事的にはイランの劣勢は明白だが、最高指導者ハメネイ師にとってイスラム革命体制の維持が最優先で、体制崩壊につながる降伏は選択肢になり得ない。」と。

 体制の危機を意識したのか、ともかく、イランの報復は限定的で、戦火は当面拡大はしなかった。しかし、イランの体制にどういう問題が生じたのか、またイランが核開発をどのように再開したのかなどは分からない。

4.イスラエルの対応について

 アメリカのイラン攻撃に関連して、イスラエルがどのように論じられたのだろうか。

(1)イスラエルの動きを最も厳しく批判するのが、北海道新聞である。国際法違反の主権侵害を先に行ったのはイスラエルだ。そのイスラエルの要請に応じ、世界最大の軍事大国が歩調を合わせたことを国際社会は最大限非難しなければならない。アメリカは、国連決議や正当な根拠もなく、一方的に先制攻撃を加えた。こうアメリカを批判した後、同紙は、イスラエルについて、イスラエルのネタニヤフ首相は米国の攻撃を称賛した。イスラエルはガザで非人道的な攻撃を続けている。同国は、事実上の核保有国であるにもかかわらず核拡散防止条約(NPT)に非加盟で、国際原子力機関(IAEA)の査察も受けていないと批判する。そのイスラエルに肩入れする米国のこうした中東地域での偏った対応は、国際テロ組織アルカイダや過激派組織イスラム国(IS)などの憎しみの連鎖を生むことにもつながったのだと指摘した。
 日本経済新聞も厳しい。今回のトランプのアメリカのイラン攻撃は、「イスラエルと一体化した軍事行動を急いだ場当たり的な対応との印象が拭えない」という。そして、イスラエルのネタニヤフ首相が「強さこそが平和を生み出す」とトランプ氏をたたえたこと、同国はパレスチナ自治区ガザへの攻撃を1年半以上も続ける傍ら、今月になって一方的にイラン攻撃を始めたこと、国際法違反との非難が周辺国から相次いだことを指摘したうえで、米国はイスラエルに強い影響力を持つのに自制させず、イラン攻撃に加担したと批判した。

(2)ネタニヤフへの直接的な言及をしないが、イスラエルの立場を基本的に批判するのが、多い。朝日新聞は、「イスラエルが一方的にイランの核保有が間近だと主張して先制攻撃した。そして、イスラエル単独では破壊できない地下施設などの攻撃に米国が協力した」とし、その正当性の欠如を指摘した。だが、主要7カ国(G7)首脳会議は、戦線を広げるイスラエルに自制を求めず、むしろ「自国を守る権利」を認めたと批判した。
 信濃毎日新聞は、イスラエルは、イランの核開発が自国への脅威だとして一方的な攻撃を仕掛けたのであり、武力行使の禁止を原則とする国連憲章に違反し、「自衛」は正当化できないと批判する。そのうえで、今回、米軍がイスラエルに加勢し、イランの核施設を攻撃したのであるとする。したがって、正当性はまったくないことになる。そして、日本を含む国際社会は、米国とイスラエルの攻撃を厳しく非難した上で、イランを含めた当事国に強く自制を促すべきだと警告した。
 毎日新聞は、米軍による核施設攻撃は、「イスラエルが要請していた」と断言する。そしてネタニヤフ首相はアメリカのイラン攻撃を「大胆な決断」とたたえ、「米国は無敵だ」と述べた。そもそもイランに対するイスラエルの先制攻撃が国際法に抵触する。米軍の攻撃はその違法行為に加担したも同じだと厳しく批判する。
 神戸新聞は、アメリカは、イスラエルが仕掛けたこのたびの戦闘に、核兵器開発の根拠を示さず加担したという。そして、イランだけでなく、イスラエルの核兵器開発の実態も解明してもらいたいと、ポイントを突いた注文を出していた。同紙は、覇権主義こそが今の世界情勢を危機にさらしている元凶だとして、イスラエルとアメリカなどの覇権主義を批判する立場を取っている。

(3)読売新聞は、ややあいまいな姿勢を取った。イランを巡ってはイスラエルが今月中旬、核施設を空爆し、米国に軍事介入するよう求めていた。トランプ氏は当初、否定的だったが、イスラエルの攻撃が成果を上げたとの見方が広がると、一転してイラン攻撃へと傾いた。トランプ氏は以前から、他国の紛争に米国は関与すべきではないという立場を取り、武力行使には慎重とみられてきた。だが今回は、イスラエルの「自衛権の行使」を認め、自ら加担した、というのである。ただ、これを正当だとも、誤りだとも明言していない。

(4)産経新聞はアメリカ、イスラエルの攻撃を正当化している。アメリカは、核武装を阻止するとしてイランを攻撃中のイスラエルに加勢したのである。イランはイスラエルの生存権を認めないと公言する唯一の国である。イランが核兵器を持てば、直接または親イラン武装勢力によって、イスラエル攻撃に用いられる恐れがあった。それは核戦争の勃発につながる。産経新聞は、こうして正当化した。
 ともかく、今回のアメリカの攻撃は、イスラエルと通じた両国の連携攻撃であると各紙のいうところから確定することができる。残念ながら、その後イスラエルやアメリカの攻撃を諸国は押しとどめることはできていない。イラン攻撃をめぐる両国の動きが当たり前になって、その結果、イスラエルは、核兵器の有無などに関係なく、ユダヤ教徒の保護を口実に他国を武力攻撃することを「自由」に行うようになっている。それは、7月16日のシリア攻撃に明確に表れている。

5.国際的対応

 アメリカのイラン攻撃が世界全体に与える影響については、各紙はどのような点を指摘しているのだろうか。

(1)核不拡散条約(NPT)の信頼崩壊を懸念

 朝日新聞は他紙とは違って、NPTの信頼崩壊を懸念している。曰く、「今回の攻撃で破壊されたのは、半世紀以上にわたり核軍縮に重要な役割を果たしてきた、核不拡散条約(NPT)への信頼だ。NPTは、米英仏中ロの5カ国にだけ核兵器を持つことを認めている。不平等だが、ほとんどの国連加盟国が批准し(ている)・・・ところが今回、NPTに加盟せずに核兵器を持つとされるイスラエルが、加盟国イランの核関連施設を攻撃した。これに核大国である米国も加勢した」。「核保有国は、条約が定める軍縮努力を怠るどころか、軍拡に転じている。自国の安全を守るには、NPTを脱退して核保有を目指すほうが得策だと考える風潮すら高まりかねないことを危惧する」。こうして、「法の支配」の揺らぎは深刻だと捉えている。

(2)第三国

 第三国の役割の重要性に言及する紙がある。朝日新聞は、米ロ中の3大国が既存の秩序に挑んでいると捉え、新たな「戦間期」を生まないために求められるのは、「ミドルパワーの西欧や日本が軸となり、多国間協調を築く覚悟」であるという。神戸新聞は、「今後の停戦や核に関する協議は、中立的な第三国が仲介し、国際協調下で行う必要がある」という。 
 一方、日本経済新聞は、「大国間の競争から距離を置くグローバルサウス(新興・途上国)が米国に向ける視線は厳しさを増す可能性が高い」とし、グローバルサウスに注目している。同じく毎日新聞も、「欧州や中東の戦争により、経済的なしわ寄せを受けているグローバルサウス(新興・途上国)の不信感も増大するに違いない」と注目している。
  大国への不信は北海道新聞も明言している。「先進7カ国首脳会議(G7サミット)は米国の離反を避けようとして、イスラエルの攻撃を容認する共同声明をまとめた。腰の引けた姿勢では米国の暴走を止めることはできまい。」とし、「国連は、欧州やアジア各国だけではなく、中ロも巻き込み事態収拾を急ぐ必要がある。」と主張した。そして、北海道新聞は、「中東情勢の激化により、原油高など日本だけでなく米国や世界の経済活動も不確実性が増す。日本は在留邦人の保護に万全を期すとともに、米国の攻撃を支持しない姿勢を明確にして仲介に動くべきだ。」と行動を求めた。

(3)アジア諸国

 アジアへの影響については、毎日新聞が、「アジアでは北朝鮮が核弾頭を製造し、搭載可能な弾道ミサイルを多く配備する。脅威の度合いはイランより深刻だ」と警戒している。朝日新聞は、「欧州、中東、アフリカの戦乱に加え、先月は南アジアの核保有国であるインドとパキスタンの軍事衝突も起きた。日本が位置する東アジアも、台湾海峡と朝鮮半島の緊張が続く。大戦終結から80年の今年、国際社会は未踏の危険水域に進みつつある」と警戒する。産経新聞はよりリアルに、「中東方面への米軍出動の間隙(かんげき)を突いて、北東アジアで中国が軍事的圧迫を強めてくる事態への警戒も怠れない」として、警戒を強調した。これらは、どこまで根拠のある警戒なのであろうか。あるいは、どこまですぐに軍事的に対応しなければならない脅威なのであろうか。

(4)アメリカの暴走

 実は、朝日新聞が、一言、「イラク戦争時から未解決な国際問題は実は、中東の混迷だけでなく、米国の暴走に対処するすべを世界が見いだせていない現実だ」と述べている。この指摘は重要である。同紙は、2025年6月のアメリカのイラン攻撃だけでなく、2003年の大量破壊兵器の保有という間違った口実に下で始めたイラク戦争以来のアメリカの「暴走」ということを言っている。しかも、アメリカの「暴走」については、「中東の混迷だけでなく」と言って、ウクライナ問題もそこに含めているのである。同様の指摘は、神戸新聞にも見られ、同紙は、トランプ氏は、イランが和平に応じなければ「将来の攻撃はさらに強大になる」と威嚇し、イスラエルのネタニヤフ首相も「力による平和を」と歓迎したが、しかし、「覇権主義こそが今の世界情勢を危機にさらしている元凶だ」と指摘していた。

6.日本の対応

 アメリカのイラン攻撃にたいする日本の対応について各紙はどのような問題を指摘しているだろうか。

(1)まずは、アメリカの同盟国としての日本の役割という観点から、毎日新聞は、「日本は、同盟国として米国の身勝手な軍事力の行使を見過ごすようなことがあってはならない。欧州とも連携して自制を促すべきだ。」と論じた。同じく、日本経済新聞も、「日米同盟への配慮が必要とはいえ、安易に支持するのは控えるべきではないか。」とやんわりと日本の姿勢を批判した。
 この延長線上で、日本の責任を問い、警告したのが、朝日新聞と信濃毎日新聞で、朝日新聞は、「戦禍への懸念よりも、イスラエル寄りの米国への配慮を優先した欧州、カナダ、日本は、重い責任を負ったことを自覚せねばなるまい」と警告した。また信濃毎日新聞は、「
 日本を含む国際社会は、米国とイスラエルの攻撃を厳しく非難した上で、イランを含めた当事国に強く自制を促すべきだ。(日本は)歴史的にイランと友好関係を築いてきた立場を踏まえ、米国とは距離を置き、緊張を緩和する役割を主導すべきだ。」と指摘した。
 北海道新聞は、上述のように、「日本は在留邦人の保護に万全を期すとともに、米国の攻撃を支持しない姿勢を明確にして仲介に動くべきだ。」と行動を求めた。

(2)この間の日本政府の主張の矛盾をついているのが、赤旗で、同紙は、石破政権はイスラエルがイランに先制攻撃を加えた際、「核問題の平和的解決に向けた外交努力が継続している中、軍事的手段が用いられたことは到底許容できず、極めて遺憾であり、今回の行動を強く非難する」との外相談話を発表していました(13日)が、ところが、石破首相を含めた主要7カ国(G7)首脳の声明(16日)はトランプ大統領の意向をくんで、イスラエルの「自国を守る権利」を認め、「(同国の)安全に対する支持」を表明しましたと、日本政府の立場の二面性を指摘した。

(3)このような問題には触れず、イラン攻撃の日本人への影響を具体的に論じたのが、読売新聞であった。同紙は、「イスラエルとイランから在留邦人とその家族計100人以上が周辺国にバスで出国した。多くは民間機で日本に向かうという。政府は、民間機が使えなくなる場合などに備えて、自衛隊の拠点があるアフリカ東部・ジブチに空自の大型輸送機「C2」を2機派遣した。円滑に任務を果たすことを期待する。」と述べた。産経新聞は、軍事的対応にもっと踏み込んで、「機雷除去へ海上自衛隊の派遣は必要ないのか。世界の米軍基地や米国民へのテロ攻撃もあり得よう。在日米軍基地や空港の警備強化も急ぎたい。」と述べた。

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